ちゃんとした挨拶の出来ない若い人が多くなったように思うが、如何であろうか。
挨拶という言葉の「挨」は押す、「拶」は逼る(強いて進む)という意味で、「前にあるものを押しのけて進み出る」というのが、一般的な使われかたであった。これが禅宗に入って、師家(先生)が「門下の僧と押問答して、その一言一句からその者の悟りの深さをためすこと」という意味になり、さらに人との問答ということを意味し、人との対応、相手の様子をうかがうという遍歴をへて、今日の挨拶という意味に変わって来たようである。やくざが「ちょっと挨拶してやろう」という場合、仕返しをしてやろうという意味であろうから、「押しのけて進む」という原義に近い意味に、偶然もどってしまったのもおもしろい。
現在の挨拶という意味を表す当時(鎌倉時代)の言葉は、今日「人事課」などというときに使用する「人事」という意味であった。
挨拶のときに軽く会釈する(軽く頭を下げる)ということがあるが、この会釈の本来の意味は、「利会通釈」または「和会通釈」といい、これを略した言葉といわれ、会通ともいわれた。この意味は、互いに矛盾するかに見える教説を照合して、その間に通ずる意味を見い出して、解釈するという難しいものであった。
ところが、後にあれこれ事情を考慮して気を配るという意味になり、さらに相手の心を推し測って対応するという意味になり、今日の挨拶の一つになったが、しかしその底には「その場をとりなす」という考えがあり、まさに今日の会釈の意味になったのであろう。