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輝く郷里、稚魚に託し/ふ化場場長・及川慶一さん=気仙沼市本吉町
 | 手際よく採卵作業を行う及川さん。ふ化させ、来年2月には海に放流する=気仙沼市本吉町 |
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◎サケ回帰へ、放流諦めず
午前8時、気仙沼市本吉町を流れる津谷川(小泉川)の河口。遡上(そじょう)してきたシロザケの群れが勢いよく跳びはね、しぶきを上げる。 小泉川鮭(さけ)増殖組合の一員で「小泉川さけふ化場」の場長、及川慶一さん(75)=同市本吉町=が目を細めた。 「あの日の津波で川の環境も一変したけれど、こうして絶対に帰ってくると信じていた」 今季の採卵作業は震災の影響で例年より10日遅く、10月21日に始まった。組合員7人が手分けしてサケを捕まえ、約2キロ上流のふ化場へと運ぶ。雌の腹を専用のナイフで割くと、オレンジ色のきらきらと光る卵が姿を見せた。すぐに雄の精子をかけ、授精させる。 当初の採卵数は1日当たり10万粒程度だったが、ピークを迎えた今は20万粒に達する日もある。
3月11日、ふ化場も大津波に襲われた。作業小屋や自動餌やり機は全壊。ふ化場から避難しようとしていた組合員の女性の行方も分からなくなった。放流を待っていた稚魚約800万匹は津波にのまれ、全滅した。 仲間の組合員たちが途方に暮れる中、及川さんはこう呼び掛けた。 「またすぐ稚魚を育てないと、川に戻ってくる3年後、4年後に影響が出る。秋のシーズンに間に合わせよう」 自身の家は流失し、所有する農地も水没した。だが4月には、ふ化場の水槽にたまった泥のかき出し作業を始めた。施設の修理に必要な資材も、いち早く注文した。 「カキの養殖も、農業も大きな痛手を被った。地元に貢献できるものがあるとすれば、放流を続けることしかない」 及川さんが組合に入ったのは1980年代半ば。まだサケの漁獲は少なく、1日の採卵数は数万粒程度だった。10万粒に達すると「神社に報告してお供えをした」。 当時はふ化場が山あいにあり、使っていた山の水が冷たすぎるという悩みも抱えていた。稚魚は大きく成長せず、放流できる数も少なかった。 及川さんの提案もあってふ化場は98年、現在地に移った。水温も稚魚の飼育に適した10度前後に。「冬でも元気に泳いで、大きく強く育つようになった」。努力の結果、サケの回帰率(川に戻る割合)も5、6%に上がり、県内平均の4%前後を超えている。
復旧したふ化場は、まだ急ごしらえの状態。いけすの修復も途中で、作業場造りも遅れている。それでも「震災の影響を少なくするためにも、来春は例年以上の1200万匹を放流したい」と及川さんは意を決し、簡易水槽の受精卵の様子を毎日欠かさず確かめる。 サケは観光資源でもある。川のサケ釣りは原則禁止だが、小泉川では資源調査を名目に宮城県の特別許可を受け、11、12月ごろ限定で「解禁」してきた。釣り人が調査員になる仕組みで、東北、関東から毎年集い、特有の強い引きを楽しんだ。 会場だった河口付近は堤防が壊れたままで、周囲の農地にもがれきが生々しく残る。 「サケ釣りのにぎわいを復活させ、小泉地区復興の証しにしたい」と及川さん。願いを込めた稚魚は必ず帰ると信じる。 (田柳暁)
2011年11月18日金曜日
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