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虚構の社会福祉士・介護福祉士制度を廃止すべき. [Social Policy]

私はこれまでにも社会福祉士国家試験制度は,マルコス独裁政権下に制度化されたフイリピンくらいにしか見られない制度だと繰り返し主張して来ました.

最近になって,文部科学省の認可を受けた大学が,社会福祉士国家試験受験資格取得コースの認可を厚生労働省から受けなければならない,いわば大学の自治に対する国家統制に矛盾を感じ始め,この認可を返上してしまおうとする動きが,出始めています.
これは少し常識ある教授陣を擁する大学なら,至極当然の動きだと考えます.
私などには,あのレベルの低い社会福祉士試験受験者向けの,内容重複だらけのテキストを見ますと,どう見ても専門学校生ないしそれ以下レベルにしか思えないのです.

社会福祉士は、昭和62年5月の第108回国会において制定された 「社会福祉士及び介護福祉士法」で位置づけられた、社会福祉業務に携わる人の国家資格です.
「社会福祉士及び介護福祉士法」には、社会福祉士とは「専門的知識及び技術をもって、身体上もしくは精神上の障害があること、または環境上の理由により日常生活を営むのに支障がある者の福祉に関する相談に応じ、助言、指導、福祉サービスを提供する者又たは 医師その他の保健医療サービスを提供する者その他の関係者との連携及び調整その他の援助を行うことを業とする者」とされています.

しかし,この社会福祉士資格は、国家資格ではありますが医師や弁護士のように「業務独占」の資格でなく、「名称独占」の資格に過ぎないのです.
「名称独占」とは、資格を持たない者が、「社会福祉士」という名称を使用してはならないということだけで、社会福祉士資格をもっていなければ、上記業務につけないという制約など全くないのです.

実際問題として,社会福祉士資格は,公立の児童相談所や福祉事務所等の地方自治体相談機関には当てはまりませんから,もっぱら,民間社会福祉事業にしか意味をなさないといえます.しかし,そこは社会福祉法人という形式に守られた家族経営が圧倒的大多数ですから,就職先としての魅力には乏しい所ばかりといって過言ではありません.

そもそも世界に例をみない「国家資格制度」が,何をキッカケにどうして作られてしまったかといえば,法成立前年の1986年に東京で国際社会福祉協議会総会(The International Council of Social Welfare)が開催された機会に,当時の厚生省社会局庶務課に社会事業大学から出向していた京極高宣専門官が,課長をラポーターに押し立てながら,その分科会議長をやっていた私の右側ラポーター席に,自分を含めて4人も並ぶという異常さのなかで,何とか社会福祉職の専門職化を報告に盛り込ませようとしたことに端を発しています.
京極氏の頭の中には,単科大学の社会事業大学の志願者数増大が至上命題としてあったに違いないでしょう.

しかし,実際にはそんな専門職化の議論には強い反対論があって直ぐ消えましたから,私の議長報告では,社会福祉職の専門職化論に触れる余地はなかったのです.
私自身,社会福祉の行政職内部における専門職化を前向きに検討したことがありましたが,イギリスに留学してCommunity Care の方向性について学んだ際,Community Careに必要なことは,「社会福祉の専門職化(professionalization)ではなく,社会福祉(知識)の社会化(socialization)」だという方向性を学んで,考え方が変わっていたのです.

にもかかわらず,京極専門官は,大阪セミナーに参加したイギリス人から専門職化の必要性が指摘されたという虚構(そんな筈がないことは,私の直前の「イギリス最悪の児童虐待死事件」のブログをご覧いただければ一目瞭然です)を作り上げて,上述の「社会福祉士及び介護福祉士法」の成立を図ったのです.
その
意図は「業務独占」にあったのでしょうが,省内や他省庁,とくに内閣法制局との折衝課程で,「名称独占」に後退してしまったのです.それでは立法の意味がほとんど失われたと思いますが,1度走り出したことを止めてしまうのは,厚生省としては許されなかったのでしょう.

そんな法律が出来たことで,しかしながら,厚生省は社会福祉専攻課程を持つ大学の統制にかかったのです.そして,国家資格試験制度が作られたことで,資格指向の学生志願者はそれにつられて増大しましたから,雨後の竹の子のようにいわば貧困ビジネスとしての社会福祉系大学, 学部,学科が作られ,大学数は増大し,それに反比例して,水膨れした専攻課程や,その教育スタッフのレベルは低下しました.

このように社会福祉士国家試験受験資格コースの国家統制は,現実には,社会福祉系大学のレベルを低下させ,結果的に,かえって日本のソーシャル・ワーク水準を決定的に低下させたというべきでしょう.それは日本の児童福祉の現状が端的に立証しています.

また,国家試験合格者のなかで,家族経営レベルの実習先が学生の就職に結びつく比率はほとんど高まりませんでしたから,上述の通り,まともな教授のいる大学では,社会福祉系コースの国家統制による画一化に反対し,国家試験受験資格コース,さらには社会福祉学専攻そのモノごと返上してしまおうという声がくすぶり始めているのです.

同じ法律で定められた介護福祉士についても,大きな問題が現実化しています.
介護の分野では人口の高齢化と共に,人手不足が叫ばれていますが,欧米諸国が広く受け入れている保健医療職への移民を,日本では保健から介護に分離したsocial care への移民希望者にも「日本語の国家資格試験」の受験を要求して,事実上移民をシャットアウトしているのです.
どう考えても出身国の資格や来日後の3年間の実習で十二分に足りるはずですが...まるで,「介護福祉士」が単なる名称独占に過ぎないことを忘却した暴挙です.

そもそも日本は先進諸国の中では,極端に移民受け入れの少ない国なのです,この状況では,日本の大学で学ぼうとする外国人学生も初めから他国へ行ってしまうでしょう.

他方で,日本は,社会福祉士資格などにまで手を伸ばさせたバブル経済が崩壊後,20年以上にわたって「失われた20年」を経験し,経済成長率ゼロないしマイナスの状態が続き,今や2流国に転落していますが,その最大の原因は,イノベーションの力が不足してきたからです.

それは,福島第1原子力発電所の原子炉が,あれだけの大地震,大津波にも Fail Safe で作られていたのに,東京電力の職員の誰もが原子炉のシステム構造をきちんと理解していなかったために,次々と最悪のメルトダウンに至った,いくら悔やんでも悔やみきれないわが国技術力の大失態が,世界に向かって日本人の技術知識水準の低さを広く証明してしまったのです.

この失われた革新性喪失の20年を,30年,40年と続かせないためには,日本は世界中からイノベーションの力を持った頭脳を,大量移民受け入れのなかから見いだすしかないでしょう.

そう考えますと,無用の国家試験受験資格制度などはすべからく廃止すべきで,今,国家試験受験資格制度に惹かれている若者のなかからも,無用な制度がなくなれば,思わぬ所で,イノベーションの頭脳を発揮するかも知れないではありませんか.

文部科学省が,最近,新設学部申請を不認可にした大学がありましたが,この大学については,厚生労働省も,本来なら文部科学省の処分以前に,この大学を社会福祉士国家試験受験資格認定コースから外すべきではなかったのでしょうか.
この大学は,群馬県から大学用地の提供を受けながら,大学名を「東京~~」とした不道理な大学ですし,旧学長が性的スキャンダルで逮捕されたことから辞任しながら,国家試験合格率日本一を(虚偽誇大)に歌って,東京,名古屋にキャンパスを拡大した,その質的レベルに大いに疑問のある大学です.
そもそも,モラルを見失った教育者に育成された社会福祉専門職など考えようがないではありませんか.

厚生労働省がその辺から決断できないようならば,社会福祉士国家試験受験資格認定コースをいよいよ多くの大学が認定返上に向かうべきでしょう.

そもそも「社会福祉士及び介護福祉士法」の生みの親自身が,昨年,別種のスキャンダルから厚生労働省の研究所長職の辞任に追い込まれたことも,彼が,虚構をでっち上げて作った「社会福祉士及び介護福祉士法」の存続意義をさらにいっそう失わせたのではないでしょうか.

 


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