浅草から銀幕消える 映画館発祥の地、3舘が閉館 耐震化困難で
産経新聞 10月22日(月)8時48分配信
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浅草名画座で最後の上映を楽しんだ観客ら=21日午後8時12分、東京・浅草(桐原正道撮影)(写真:産経新聞) |
日本の映画館発祥の地とされる東京・浅草で最後に残った「浅草名画座」「浅草新劇場」「浅草中映劇場」の3館が21日、閉館し、銀幕が消えた。浅草に初めて映画館ができて109年。最盛期は30館以上あったというが、テレビやレンタルビデオの普及で客離れが拡大。東日本大震災を受けて耐震化が急務となったが、資金が捻出できないことも追い打ちをかけた。
【写真で見る】 10月21日で最後の上映となった「浅草中映劇場」
■1作品使い回しも
「一帯に映画館はたくさんあったが、いつも立ち見ばかり。ディズニーランドもテーマパークもなかった時代、ここが日本のワンダーランドだった」。生まれも育ちも浅草というグラフィックアーティストの吉岡篤さん(70)はこの日、懐かしそうに往時を振り返り、歴史に幕を下ろす3舘を写真に収めた。
浅草に最初の映画館「電気館」が建設されたのは明治36年。以降、次々と映画館が建てられ、浅草は娯楽地として活況を呈した。
「目抜き通りには上映作品の題名が書かれたのぼりが並び、着物姿の人がたくさん歩いていた」。この日閉館した3館の運営会社「中映」(東京都台東区)社員として長年勤めていた山本栄一さん(79)は戦前の様子を振り返る。
にぎわいがピークを迎えた昭和20〜30年代には東京都内外から多くの老若男女が訪れた。複数の映画館で、1セットしかない新作映画のフィルムを同じ日に使い回す“荒業”も日常茶飯事だった。
山本さんは「持っていくフィルムの順番を間違え、すでに死んだ役の人が生き返っちゃって、お客さんに怒られたこともあった」と懐かしむ。
浅草新劇場の村上宏之支配人(39)によると、ピーク時には連日立ち見だったというが、入館者数は年々減り続け、現在は3館とも「席の半分が埋まる程度」だった。
■「人情伝承を」
各地に映画館が増え、テレビが普及すると、若者を中心に浅草から客足は遠のいた。50年代には閉鎖する映画館も現れ始め、その後はレンタルビデオ・DVDの普及、インターネットなど趣味の多様化もあって、衰退の流れは加速した。女性シート導入やカップル向け映画の上映など、若い客層を取り込もうとしたが効果は上がらなかった。
中映の野口知信社長(53)は「老朽化が閉館の理由。東日本大震災で客の安全を保証できなくなった」と説明。近年は修理費だけで年間1千万円に上り、売り上げと釣り合わずに経営を圧迫していた。
21日、浅草名画座では下町の人情を描いた「男はつらいよ」シリーズの最終作「寅次郎紅の花」が上映された。浅草新劇場で午後7時から上映の松田優作さん主演「あばよダチ公」(49年)が3館最後の上映作品になった。山本さんは「これで浅草から映像娯楽はなくなるが、大衆演劇やストリップ、演芸などは頑張っている。お客さんに声をかけたり、下町の人情を伝承できれば芸能の火は消えないだろう」と話した。
最終更新:10月22日(月)11時29分
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