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生活保護を受ける人が210万人を超えた。かかる費用は年間3兆7千億円にもなる。
高齢化の影響が大きいが、問題はまだ働ける年齢層で受給者が増えていることだ。
社会の大きな変化が根本にある。経済のグローバル化が進んで、製造業の安定した仕事が少なくなる一方、低賃金の非正規雇用が増える。「黙々と勤めれば普通に生活できる」という前提自体が崩れている。
■北の街での試み
北海道釧路市を訪ねた。やはり経済の疲弊に苦しむ地方都市の一つである。
80年余りの歴史を持つ炭鉱が02年に閉山、製紙業は低迷し、漁業の水揚げはピーク時の10分の1に縮小……。地域経済の衰退と比例するように、生活保護を受ける人が増え続けた。
求人件数は、求職者のほぼ半分。季節労働の水産加工を除けば、受給者がすぐに就けそうな仕事はほとんどない。働くよう指導するだけのやり方は壁に当たっていた。
切羽詰まった状況で、市は生活保護のあり方を転換する。国のモデル事業として04年度、母子家庭の就労支援に取り組んだことがきっかけだった。
当事者が気持ちを動かさないと何も始まらない。そんな認識から、受給者が自分の存在を肯定できる「自尊感情の回復」をまず支援の中心に据えた。
NPOや企業に頼み込んで、就労体験的なボランティア活動をいくつも用意し、「中間的就労」と位置づけた。
動物園のエサづくりや公園の清掃、病院や介護施設での話し相手など、とにかく家の外に出て、人と関わる。貧困で断ち切られた社会とのつながりを回復するのが最初の目的だ。
参加を呼びかける時も、「これぐらいならできるだろう」ではなく、「市民の一人としてまちづくりに力を貸して欲しい」と訴えた。
地域経済が回復しないなか、釧路市の受給者はなお増えてはいる。今年は約1万人。市民18人に1人という割合は、全国平均の3倍を超す。
だが、生活保護を受けつつ働く人の割合は増え、受給者の医療費も減った。釧路市の平均の保護費は月約12万円で、道内の同じ規模の市に比べ1.5万〜2万円ほど低い。
厚生労働省は、生活が苦しい人たちの自立を支える「生活支援戦略」を検討している。
そこには二つの顔がある。
一つは早めに、幅広く、より手厚く支援する取り組みだ。いわば太陽の光で暖めて、やる気を取り戻してもらう。
もう一つは「北風」の引き締めだ。不正や無駄遣いを監視する権限を強化し、高齢でも病気でもない「働けるはずの人」には自ら健康を管理し、早く仕事につくよう指導を強める。
■引き締め策への懸念
釧路市のような中間的就労は「太陽政策」のひとつだろう。他の自治体でも様々な取り組みが進む。いずれも地域のNPOや企業との連携なしには成り立たない。
生活保護行政は、プライバシー保護を名目に、受給者を一般市民から見えにくい存在にしてきた。その殻を破って支援のプロセスを見えやすくし、外部とも連携して就労先を確保できるか。行政の決断と、市民活動の厚みが問われる。
心配なのは、引き締めだ。
制度への国民の信頼を保つためには、不正をチェックし、自立へ向けた本人の努力を促すことは必要なことだ。
ただ、運用次第では、むしろ自立を損ねる懸念がある。
たとえば、受給者にかわって行政が家賃を払ったり、保護費の支出の状況を細かく調べたりする権限の強化である。
家賃滞納の心配をなくして、保護費がパチンコや酒に使われるのを防ぐのが目的だ。自民党は、食費や洋服代の現物支給も検討している。
そうした権限が必要な場面はあるだろう。だが、受給者の状況とは関係なく、一律に監視や指導を強めれば、自立には逆効果になりかねない。
こうした引き締め策が議論される背景には「生活保護にただ乗りしている人間が大勢いる」という疑念の広がりがある。社会が余裕を失い、私たち自身が自尊感情を持ちにくい時代になったからかもしれない。
■自立への階段つくれ
このような視線にさらされる当事者は、かえって社会とのつながりを失い、引きこもり、ますます生活保護への依存度を強める恐れがある。
「やる気さえあれば、できるはずだ」とか、いきなり「仕事をしなさい」といっても、届かないロープに向かって飛べと言うようなものだ――。そんな現場の声に耳を傾けよう。
就労による経済的自立までに階段を用意し、それを一歩ずつ上れるよう社会全体で手助けする。それが生活保護の肥大化を防ぐ近道ではないか。