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2012年10月17日 (水)

死生観

妻の状態はどんどん悪化していきます。

乳がんの患部は更に大きくなり、ハンドボール並の大きさになっています。患部を処置するために患部を毎日見ていますが、本当に凄まじい状態です。多分こういう例は珍しいのではないでしょうか? やはり細胞分裂で増えているとは思えません。

大豆くらいの突起がボコボコと出てきて、翌日になるとそれがそらまめくらいになり、3日くらいで複数のボコボコが合体して大きな塊になります。塊から浸出液と血液が出てきますが、これを医者からもらった血止め用のワタのようなものを貼って出血を抑えます。
現在はおっぱいの下側にその勢力を伸ばしつつあります。最初にできたおっぱい上部の塊はだんだん壊死してきているようで、膿のようになり腐ってきています。医者が言うには今後そこが陥没してくるのではないかということです。

こうやって注意深く見ていると、乳がんの皮膚転移は見た目は派手で処置が大変ですが、外に増殖している限り致命傷になるようなものとは思えません。皮膚転移はがん細胞の最終段階で、毒素を外に吐き出して自ら死んでいっている状態なのかもしれません。
しかし妻の場合、問題なのは体力的なものに尽きると思います。

とにかく妻は、痛みにより体を動かさなかったため、筋肉が萎え排毒が十分に出来なくなっていることが症状悪化の原因と思われます。昨日、いよいよベットから起きるのが難しくなり、ほぼ寝たきりになってしましました。

妻は初めて大人用おむつを装着しましたが、なれないおむつで精神的に排尿出来ない状態が続きました。どうしてもベットの上でおしっこを出す気持ちにならないようなのです。おむつでおしっこが出来るようになるまで一日以上かかってしまいました。それに夫とはいえ男性の私からおむつを替えてもらうなど、本人にとって屈辱的なことでしょう。

体のむくみも更にひどくなり、もう満身創痍の状態です。往診の医者からは後二週間持つかどうかなので、準備をしておいてくださいと言われました。でも最後まで諦めたくありません。末期のがんから奇跡的に回復したという例は結構あると思います。

私と妻が宗教をやっていることは、以前の投稿で書きましたが、私の宗教では、死後の世界のことはかなり詳しく教えられています。宗教以外でも死後の世界については既にたくさんの情報があり、インターネットを探しただけでもたくさんヒットします。私にとっては死後の世界はもはや当たり前で、疑うことなどありえません。死後の世界の科学的証拠はありませんが、自分の意識、存在といったことが肉体の脳みそにあるのではないことは直感でわかるからです。そういう意味では唯物論者のように自分の意識、存在がなくなってしまうという恐怖はありません。妻も宗教をやっているので多分同じ考えだと思います。

しかし、死後の世界を信じているとは言っても、死んだことがないのでどうなるかわからない不安、それから長い間刷り込まれた人間の感情としての死の恐怖があります。それと死ぬ時の苦しみと別離の悲しみもあります。いずれにしても、やはり私たちにとって死とは出来れば普段考えたくない、この人生最後のイベントなのです。

私も、今回妻が乳がんになって、自分ではしっかりした死生観を持っているにもかかわらず、心が動揺し制御出来ないような感情も体験しました。多分自分が死にそうな状況になったときはあまり感情は揺れ動かないと思うのですが、自分以外、特に家族の生き死にとなると、「死後の世界はあるから大丈夫」などと達観してはいられません。これが今のこの世界で生きる人の「人情」というものなのだと思います。

いずれにしても、人は精一杯、生きる努力をするべきだと思いますし、肉体の人間でいる時間というのは自分の魂の成長にとって非常に大切な時間であります。

妻は現在瀕死の状況ですが、私は最後の最後ギリギリまで諦めるつもりはありません。末期のがんから生還した人はたくさんいますし、諦めなければ奇跡が起こるかもしれません。私自身としては祈りに徹したいと思います。

それ以外の策として、現在、「遠隔氣功」というのをやってもらっています。これについてはまた次に投稿したいと思います。

[続く>>]

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