先日、内田樹先生、小田嶋隆さん、平松前大阪市長、そして高木新平さんと僕という異色のパネルディスカッションを楽しんできました。
10月18日(木)18:30~緊急開催! 内田樹×小田島隆×平松邦夫×イケダハヤト 「ポストグローバル社会と日本の未来を考える第2弾」 | 現代ビジネスからのお知らせ | 現代ビジネス [講談社]
貨幣を媒介としない第二の市場が大きくなっている
僕がそもそも平川克美先生や内田先生の影響を受けているということもありますが、議論の方向性や前提はかなりの部分でシンクロしていて興味深かったです。
特に印象的だったのは「既存の市場はシュリンクしているが、貨幣を媒介としない第二の市場が大きくなっている」という内田先生の言葉。内田先生は先日オタキングこと岡田さんと対談をしたそうで、「評価経済」という言葉も登場していました。
ここら辺の議論は既視感がありますし、きっと読者のみなさんもキャッチアップしていることと思いますが、特に面白かったのは「公共」との接続についても語られていた点。「公共政策ラボ」のイベントだったので当然と言えば当然ですが…。
「貨幣を媒介としない第二の市場」でも「評価経済」でも言葉は何でもいいですが、このテーマを「だから評価を得て成功しましょう」といった自己啓発的な落としどころで終えてしまうのはもったいないのです。この裏には「社会保障における<脱税金>」とでも呼べるテーマが隠れています。
個人の生活にお金が掛からなくなるということは、それだけ金銭的な公共サポートを受ける必要性が減る、ということです。
例えば、我が家にもうすぐ子どもが生まれるのですが、育児用品は基本的に新品で購入せず、中古か知人から譲ってもらおうと考えています。こうした「第二の市場」がさらに発達し、ほとんどの育児用品が既存の市場を介さずに取引されるようになれば、育児用品のコストは相当に減らすことが可能になります。そうなれば、金銭的な意味での育児サポート(例えば子ども手当とか)は削減できるかもしれません。
もちろん既存の意味での経済規模は縮小します。が、これは不可避の流れじゃないでしょうか。無駄に生産・消費されていたものが、コミュニティやテクノロジーの力で無駄遣いされなくなると考えれば、結局世の中にとっては好影響があると僕は思うのです。少なくとも個人の生活レベルでは、新品ですべてのものを買うより、よっぽど豊かになるのではないでしょうか(お金を稼ぐための労働時間も減らせますし)。
これもやや極論ですが、そのため「第二の市場」がうまく機能すれば、生活保護や年金の重要性も下げることが可能になるでしょう。これからの時代は「とにかくお金がないと人は生きられない」という発想を捨てないと、社会は回っていかないと思います。
納税と選挙だけは不十分
「第二の市場」は人々の社会への参加態度を変えるとも思います。減らないうつ病や自殺の問題等、「社会問題がお金で解決できない」のは既にこの日本社会で明らかになっていることです。なら、僕たちは単に納税して選挙に行くだけでは不十分なのです。
生活に余裕がある人に限っては、直接的に社会に関与し、GDPに計上されない「第二の市場」に属するような価値提供をするべきだと僕は考えます。例えば毎日定時で帰れて、アフター5や土日に余裕がある人は、ぜひとも自分の能力を生かしてボランティアやプロボノを「すべき」だと思うのです。なんとも暑苦しいですが、これは縮小均衡時代の社会規範になっていくのではないでしょうか。だってお金じゃ解決できないんですから。
圧倒的に多額の税金を納めている人や、人を雇用している企業経営者、生活が明らかに苦しい人に関しては、そういった圧力の範囲外にいてもよいと思います。ただ、この免除範囲に関しては、明確な基準を作れる話でもない気がします。時代や個人によって、モラルの範疇は変わってくるでしょう。
既存の路線ではうまくいかない
経済成長と納税ですべての社会問題を解決しようとするアプローチでは、社会はうまく回らないことはもう明白です。僕らはオルタナティブなやり方を見つけないといけないわけです。
僕にとってそのオルタナティブは、お金を介さない「第二の市場」を活性化させることであり、余剰の時間で採算度外視の人助けをしていくことです。生活における<脱お金>、社会保障における<脱税金>という言葉でも表現できるでしょうか。うまくいくかは分かりませんが、僕はこの生き方に可能性を感じています。
皆さんは「第二の市場」の可能性についてどう考えますか?経済成長が困難になる時代、個人はどう生き、社会にかかわるべきだと考えますか?ぜひあなたのお考えを聞かせてください。
関連本。タイトル通り、「縮小均衡」時代の社会、生き方について説いた一冊。おすすめです。
話題の源泉なので、未読の方はこちらもぜひ。