待ち合わせ場所は、福岡市・天神のデパート前。携帯電話のメールに夢中の女性の横を、ヘッドホンをした若者が自転車ですり抜けた。人込みの中を無事、来られるだろうか。ハラハラしていたら、女性がゆっくりと歩いて来た。盲導犬が寄り添っている。「すいません。寄り道していたら遅れちゃって…」
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栗田陽子さんに寄り添う盲導犬パール=5月30日、福岡市・天神
福岡市営地下鉄の車内で、全盲の女性が連れていた盲導犬の顔に乗客がマジックでいたずら書きをした-。取材先で耳にした話を「デスク日記」(5月18日付朝刊社会面)に紹介したところ、読者の方からメールや便りをいただいた。
「そんな人がいるのが悲しい」「盲導犬が人間嫌いになったのでは」「社会的な不満や疎外感のはけ口を自分より弱いものに向けているとしたら、犯罪の凶悪化と土壌は同じだ」。心無い行為に対するやり切れなさが文面ににじんでいた。
被害に遭った女性の連絡先も分かった。傷ついたであろう彼女に読者の思いを伝えたい。電話して5月末に会った。
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福岡県鞍手町の栗田陽子さん(38)。盲導犬はラブラドルレトリバーのパール(メス、5歳)だ。
栗田さんは4月17日、福岡市内の動物病院でパールを診せた後、天神に向かうため地下鉄に乗った。パールから空いている席に誘導された。「犬が邪魔になるかもしれませんが、すいません」。栗田さんは両脇の乗客に声をかけた。
左隣の人がパールの頭を何度も触っている気配を感じた。抵抗しないよう訓練されている盲導犬。栗田さんは「犬は仕事中なんで、やめてもらえますか」と言ったが、反応はなかった。
いたずらを知ったのは地下鉄を降りた後、立ち寄ったデパートだった。店員がパールの目と鼻の下に書かれた黒いマジックの線を消してくれた。
地下鉄、天神の雑踏。パールの顔に気付いた人はいたかもしれないが誰も声を掛けてくれなかった。「悔しい。車内で直接、注意するのは勇気がいる。でも、せめて私に教えてくれたら…」
取材に応じたのはこんな思いをする人を増やしたくないからだ。「沈黙していれば、いたずらはエスカレートするかも。ほかの盲導犬のユーザーに被害が広がらないためにも、わたしの体験を社会が共有してほしい」
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未熟児網膜症だった栗田さんは、26歳のころ光を失った。福岡県宮若市の病院で鍼灸(しんきゅう)師として働く。週末に高速バスで天神を訪れ、買い物や食事をするのが楽しみだ。いつもパールがそばにいる。
「私とパールだけでは街を歩けないんです。今、いる場所を教えてもらったり…。知らない人から助けられながら歩いています」
初めての飲食店で、よそよそしい空気を肌で感じ、席を離れることもある。「盲導犬を知らない人や犬が苦手な人もいますから。ある程度の距離感を保って、お互い譲り合いながら暮らしていければいいんですけどね」
最近、評判のレストランで食事をした。店を出るとき、「盲導犬っておとなしいですね。ホスピタリティー(もてなし)の勉強になりました」と店主から声を掛けられた。パールと一緒に行ける店が増えると思うとうれしくなった。
デスク日記で「『犯人』も『目撃者』も悔やんでいると思いたい」と書いたことを栗田さんに告げるとこう答えてくれた。
「みんなどこかに優しさがあるって、信じたい」
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=2010/06/06付 西日本新聞朝刊=