特集

神話の果てに−東北から問う原子力
特集
»一覧

第5部・原発のまち(4)欲望/巨額補償、安全見失う

漁業補償協定の締結に向け東電側と協議する各漁協の組合員ら=2000年12月4日、いわき市の福島県水産会館

<億単位で上積み>
 「今度来るときは、もう一つゼロを付けてこい」。福島県浪江町の漁業桜井治さん(76)は請戸漁協(現・相馬双葉漁協)を代表して時折、声を荒らげながら東京電力の担当者と交渉を重ねていた。2000年の夏から冬にかけてだった。
 東電が福島第1原発7、8号機の増設計画(未着工)を示したのを機に、請戸など7漁協は1〜8号機の温排水に対する漁業補償を求めた。
 既に運転していた1〜6号機については建設当時、まだ温排水による漁場への影響が問題視されず、補償対象に含まれていなかった。
 7漁協に東電が当初示した額は計80億円。組合員の目算とは大きな差があったが、東電は交渉する度に億単位で上積みしていった。
 「目標額になるまでは絶対に譲れなかった」と桜井さん。交渉を優位に進めようと、原子力施設が集中立地する青森県・下北半島にある漁協も視察した。
 20回近い交渉の末、東電は同年12月、当初額を42億円上回る計122億円の支払いに同意した。組合員1人当たり約5000万円になり、請戸漁協の目標通りだった。
 目標額算定の基準は、後継者が船や家を買い替えられること。桜井さんは「後継者が育たなければ、原発との共存共栄はあり得ない」と考えていたからだ。
 「東電から引き出せる補償は、これが最後だろう。取れるだけ取りたい」。組合員にはそんな思いもあったという。

<尽きぬ請求理由>
 冷却用に大量の海水を使う国内の原発は、海岸線に造られる。そのために漁業補償は避けて通れない。1970年代以降は原発の立地計画が浮上する度、各地で地権者や漁業者が激しく抵抗し、計画が行き詰まるケースが相次いでいた。
 東電は分かっているだけで、これまで約200億円を福島県の漁業者に支払っている。
 最初は66年の約1億円。第1原発に隣接する約5万4000平方メートルを対象に、共同漁業権が消滅する9漁協(当時)への補償だった。
 請戸の漁業者のほとんどが、木造の無動力船で操業していたころだった。補償金でエンジン付きの漁船を購入し、漁具を更新した。
 原発が動きだすと、補償の請求理由に事欠かなくなる。「ホッキ貝から放射性物質が見つかった」「核燃料を積んだ大型船が操業海域近くを通ることで迷惑している」
 地元漁業者の要求に、東電はその都度応じた。
 「安全を求めるのではなく、金を求めるようになっていた」(相馬双葉漁協の組合員)との自覚はその頃、まだなかった。

<汚染された漁場>
 東電は昨年4月、福島県漁連(いわき市)にファクス1枚を送り、福島第1原発事故による低レベル汚染水の海洋放出に踏み切った。
 県漁連は「あまりに一方的」と抗議したが、原子炉等規制法によると、海洋放出に漁業者の了解は必要ない。漁場汚染が決定的になったことに、県漁連の新妻芳弘専務は悔やんだ。
 「東電との交渉には何度も立ち合ってきたが、自分を含め誰も、原子炉等規制法などは知らなかった」

◇福島県浜通りへの主な漁業補償

1966年 東電が漁業権補償協定を請戸など9漁協と締結。補償額計1億円
  71年 第1原発1号機が営業運転開始
  73年 第2原発、広野火力発電所(火発)の漁業補償35億円で調印
      第2原発の工業用水取水に伴う漁業補償協定を締結
  75年 第2原発1号機着工
  78年 東電が県漁連と使用済み核燃料の海上輸送に伴う協定締結
  80年 東電が福島県相双沿岸漁業調整基金で覚書調印
  82年 第2原発1号機が営業運転開始
2000年 第1原発7、8号機増設計画などと広野火発5、6号機に伴う漁業補償協定152億円(うち30億円が火発分)で締結


2012年10月19日金曜日

Ads by Google

△先頭に戻る