日比の歴史における、相互理解を阻むもの

神 直子
ブリッジ・フォー・ピース(BFP)設立者・代表

 
ブリッジ・フォー・ピース(以下、BFP)が小さな産声をあげたのは、2003年。今年で活動7年目を迎えます。大学生の時に初めて訪れたフィリピンで戦争犠牲者の方々に出会い、その後日本で戦時中に自分が行った残虐行為に苦しめられている元日本兵がいた話を聞き、元日本兵の想いをビデオメッセージとしてフィリピンに届ける活動を始めました。その経緯など、詳しい事を2005年に『若い世代の戦後60年―「日本人」の私たちに何ができるのか』と題したエッセイに書かせて頂きました。 

この間、約70人の元日本兵の方々と、約50人のフィリピンの方々の戦争体験の聞き取りを行い、日本とフィリピンの両国でビデオ・メッセージ上映会を開催してきました。この他関連する活動として、元日本兵の方々の体験を聞くイベントやアジアの歴史教科書の展示イベントなども開催し、こうした活動を通して戦争体験の語り継ぎと、10代から90代までの幅広い世代間の交流を図っています。これらの活動を通して、仲間も増え、今年1月にはNPO法人格を取得することが出来ました。今後、さらに色々な立場や世代の方々と繋がりを持ちながら活動を広げていきたいと考えています。

この7年間で予算の許す限り毎年フィリピンを訪問し、現地の方々と交流を重ねる中で、色々なことが見えてきました。その中で、特に気にかかる事を今回はご紹介したいと思います。それは、「日比の歴史における、相互理解を阻むもの」が存在するのではないかということです。

具体的には、フィリピン人のホスピタリティ溢れる国民性ゆえ、また政治や経済的な背景ゆえに生じているのであろう、フィリピン人の「日本人に対する配慮と遠慮」です。ここ数年、フィリピンでビデオメッセージの上映会を開催する中で、少しずつ感じ始めていたことではありました。

                                                                             フィリピンの子供たちと      

例えば、知り合って日が浅いフィリピン人は、日本兵の蛮行について日本人を責めるような事を口にすることはほとんどありません。フィリピンで仕事をしていた経験をもつある日本人は、数年間にわたりフィリピン人と仕事を一緒にする中で、いっさい過去の戦争について話が出たことがなかったと言います。しかしお酒を飲む席で、急に過去に日本がフィリピンに対して行った事をどう思うかと問い詰められ、驚いたことがあると話してくださいました。

同様に、BFPが主催するフィリピンでのビデオメッセージ上映会に参加してくださる方々も、上映前は「そんなに酷くなかったと聞いてるよ」とにこやかに対応してくださる方が多くいます。しかし、ビデオメッセージを見終わった後に映像によってさまざまな感情が噴出してくるのか、突然多弁になる様子を何度か目の当たりにしました。

このように、たとえ心の中では日本人の過去の行いに対する何らかの感情を持っていたとしても、実際にそれを口にする事はフィリピン人の場合は少ないと言えると感じています。実際に、フィリピンへ観光目的で行った人の中に、戦争について現地の人から聞いたり、語り合ったりする経験を得られる人は多くないはずです。

日本人の中にはこの事実を真に受けて、「フィリピン人は日本人に悪い印象など持っていないから、過去の清算は終わっている」と主張する方もいます。特に、日本が過去に行った蛮行から目を背けていたいと思っている方々にとっては、フィリピン人が日本人に対して過去の話を積極的に伝えることが少ないことは、好都合だとも言えるでしょう。

しかし、私はこのことが「日比の歴史における、相互理解を阻むもの」であると強く感じています。特にその想いが強まったのは、2009年2月にBFPツアーのプログラムの一環としてコレヒドール島を訪問した時の経験です。

  

                                    コレヒドール島で日本語の説明を受けるBFP メンバー


コレヒドール島は、第二次世界大戦中に激戦地となった島で、その悲惨な歴史を後世に引き継ぐことを目的に、爆破された当時の建物をそのまま残す形で保存されている島です。過去の歴史を感じるには最適の場所と言えるので、私たちも訪問させて頂きました。

この島を巡るのに、英語で解説するツアーと日本語で解説するツアーのどちらかを選ぶことができます。この時は、日本語で説明してくれるガイドがつくコースを選択したのですが、数年前に参加させてもらった英語版とは内容が大幅に異なることにとても驚きました。日本人向けに用意されていた日本語ツアーで行われる説明は、日本人の機嫌を損ねることがないよう配慮され尽くした内容だったのです。それは逆に言えば、過去の歴史を直視させず、事実を伝えないツアーであったということです。

この事に憤りを覚えた私は、帰国後にコレヒドール島のツアーを主催している会社宛に実情を報告すると共に、提案書を送らせて頂きました。

その内容をご紹介します。

【コレヒドールツアーの印象について】

1.日本人に対しておべっかを使いすぎているように感じました。

まず始めに、ツアーのガイドが日本人に対しておべっかを使いすぎているように感じたことが挙げられます。例えば、「コレヒドール島に残されている建物の多くは、日本製のセメントを使っている」ということを強調されていましたが、これは全く戦時中の事と関係のないことです。それにも拘らず、ツアー中の幾つかの建物の前でこの同じ説明を繰り返していました。

ツアーに参加していた日本人観光客の多くは、最初はその話に心地よさそうに耳を傾けていましたが、何度も同じ話をされるので、徐々にうさん臭さを感じるようになっていった印象を受けました。

また、フィリピンとアメリカの旗だけが掲げられている建物の前では、「日本の旗がなぜないのか、あとで本部に言っておきます」などとおどけて言っており、とても驚きました。このような事を言及する必要はなかったのではないでしょうか。歴史を省みれば、日本の旗がない理由など、日本人だってわかることです。このガイドは、私たち日本人に対する配慮を示そうとしていたのだと思いますが、このようなおべっかを使う代わりに、日本人を信頼して真の関係を築けるような説明をお願いしたいと思いました。

2.歴史をゆがめて説明しているように感じました。

次に、ガイドがいかに歴史をゆがめて説明しているかということに、大変驚きました。バターン半島で日本軍が捕虜を歩いて移動させた、いわゆる「死の行進」を「ハイキング」と表現していたことにショックを受けました。日本語を使い、日本語で説明することが可能なガイドならば、日本人が「ハイキング」という言葉からもつイメージは当然知っているはずです。言うまでもないことですが、この言葉は娯楽の時に用いる言葉であり、実際の死の行進とは全く異なる印象を受ける言葉です。 

さらに、「戦時中の日本人は悪かった」と言った後に、「でも、アメリカは広島と長崎に原爆を落とした。だからアメリカが悪かったんです」と話を結んだことがありました。これは、アメリカと比べたらそんなに日本は悪くなかった、という印象をツアー参加者に与えかねない表現です。そして、日本人の特攻隊の写真を見せながら、「日本軍は空腹だったはずなのに、この写真は笑顔で写っています。なぜかわかりますか。彼らは若かったからです」と話し、いかに日本軍の兵隊の年齢が若かったかということを強調しました。「日本兵は若く、痩せていて、そして純真無垢でした」という説明もありましたが、それはフィリピン兵やアメリカ兵がそうではなかったという印象を与えるような話し方でした。

私たちはこの表現を聞きながら、居心地の悪さを感じました。このガイドが、聞く者の気持ちを誘導し、歴史をゆがめているように感じてしまったからです。

3.充分な説明がなされていないように感じました。 

今回参加したうちの数名は、以前英語のツアーにも参加したことがありました。英語のツアーと異なる内容であることは明白ですし、日本語のツアーでは説明されていない部分が多々あるということを感じました。

例えば、マッカーサーの像の前を通った時も、何の説明もありませんでした。日本軍が侵攻してきた位置の説明もありませんでした。そして、コレヒドール島で何が起こったかという一番大切な説明も、充分ではありませんでした。

そして残念ながら、ガイドの日本語力が充分でなかったことを指摘せざるを得ません。多くの日本人観光客は、彼が言わんとしていることをうまく理解できず、時々混乱をしているように見受けられました。今回の参加者の一人は、「英語のツアーでは、説明された内容にショックを受けた」と話す一方、「日本語のツアーでは、説明されないということにショックを受けた」と感想を述べていました。

【コレヒドールツアーへの提案】

フィリピン人の立場から歴史を説明して頂きたいと思います。

フィリピンを占領した立場である日本人に対し、歴史の事実を正面から説明することは大変困難なことであるという事は、お察し致します。しかし、日本の戦後世代として、フィリピン人の立場から歴史を説明して頂きたいと思っています。もし、これが不可能で、今後も同様のツアーを継続されるようであれば、ツアーに参加した日本人は「あの戦争はそんなに悪くなかったんだ」という印象を持つことは必至です。

コレヒドール島は、第二次世界大戦を知る上でとても貴重な島だと感じていますが、日本人を対象としたツアーの内容があまりに貧弱で、残念に思いました。私たちは、歴史の事実を受け止め、フィリピン、アメリカ、日本の間で何があったかという事をより深く理解することがとても重要だと考えています。過去の歴史を軽視してはならないはずです。

以上のような文書を、ツアーを主催している会社に送りました。最後に、意見交換の時間を頂けると有難いという事を添えておいたので、すぐに先方から連絡をもらいました。基本的には内容をまっすぐに受け止めて頂き、「改善したい」という回答を頂きましたが、その後もメールでのやりとりを続け、文書を送ってから5ヶ月後にフィリピンでツアーを担当しているマネージャーとの面会を果たす事が出来ました。

その打ち合わせの席でも、改めてBFPが出した提案書は決して挑戦的なものではなく、「フィリピンと日本が信頼に基づいた新たな関係性を構築していくのであれば、決しておべっかを使って歴史を説明したりしない方が、双方にとって良い」という事を伝えました。

こちらが意見を述べ終わると、開口一番にその方が私の顔を覗きこむようにおっしゃったのは、「日本人に率直に言ってもいいんですか?」ということでした。そして、「やっぱり、言えないですよ…」 と言いながらコーヒーを飲み干されました。

勿論、観光を企画している会社の方が、客である日本人に対して、不快に思わせるような表現を投げかけるのは躊躇があって当然のことだと思います。しかし、かといっておべっかを使い続けるということが、日本人観光客にとって本当に良いこととは私には思えません。それには、同席してくれていたパートナー団体の代表であるフィリピン人の友人も大いに賛成してくれていたので、話を後押ししてくれました。

そして、話し合いの最後には、ガイドが使っているマニュアルの改善を約束してくれました。 「これまで日本人観光客から、ツアーガイドの日本語力の低さを指摘されることはあったけれど、こうしてあなた方のように、細かな内容について意見をもらったのは初めて」 そう最後に言われました。

私自身も、BFPという活動をやっていなければ、団体でコレヒドール島に行かなければ、わざわざ時間をつくって提案書を作成し、送付するという行為には及ばなかったかもしれません。思うことがあった場合、「相手にきちんと伝えないと分かり合えない」ということは使い古された言葉ではありますが、このような過程を積み重ねていくことの重要性を私自身が改めて感じる機会にもなりました。

このように、フィリピンと日本の歴史には、そして今もまだ、横たわる弊害があるように思えてなりません。

 「フィリピン人は日本人に悪い印象など持っていないから、過去の清算は終わっている」
 「フィリピン人から過去を問う声があがってないのに、何故ことさら騒ぐ必要があるんだ」
 「フィリピン人は赦すと言ってくれているのに、寝た子を起こすような事をしなくていい」

日本人から発せられたこのような表現を、私は何度か聞きました。しかし、そういう印象を持つ日本人が多いことについて、過去の蛮行を追及してこなかったフィリピン人を責めるのはお門違いです。彼らの国民性を考えれば、口を閉ざしてきたのも理解ができるからです。

それよりもむしろ、その状況に救いを見出し、それに甘えて過去を知ろうとしない日本人の姿勢こそが問われるべきだと私は考えています。過去の蛮行は、相手が言わなかったり、世代が代わって忘れたからといって消し去ることが出来るものではありません。しっかりとその事と向き合い、その上で新たな歴史を築いていく作業が求められていると考えます。

フィリピンと日本の真の交流を築くためには、まだまだ長い道のりが続きそうです。すぐに何かが大きく変わるとは思えないけれど、今回のような一つひとつの対話が、次の新しい歴史的なステージを築いていくと信じています。その過程の中で、「日比の歴史における、相互理解を阻むもの」が少しずつ解かれていくことを願って。
     
BFP5周年目の報告


* ブリッジ・フォー・ピース(BFPウエブサイト

* 神さんとBFPの活動に関するJapan Times の記事