尼崎連続変死:美代子被告を恐れ避ける住民
毎日新聞 2012年10月20日 22時45分(最終更新 10月20日 23時56分)
兵庫県尼崎市の民家で3人の遺体が見つかり、多数の行方不明者が出ている事件。ドラム缶詰め遺体事件で傷害致死罪などで起訴され、離散に追い込まれた複数の家族とつながりがあったとされる角田(すみだ)美代子被告(64)について、周囲は、近寄りがたい雰囲気を漂わせる一方、家族には愛情を注いでいたと話す。人物像を追った。【藤顕一郎、向畑泰司、村松洋】
◇生い立ち
角田被告は尼崎市内で生まれた。市内の祖母宅の近くに住んでいた男性は、遊びに来ていた小学校入学前の角田被告の姿を覚えている。
「近所を走り回って活発だった」。中学時代の同級生は「男子数人と固まって行動し、近寄りがたい雰囲気があった」と振り返った。
その後、尼崎市や横浜市のスナックなどで働き、タクシー運転手をしていた夫と結婚。81年に尼崎市内の新築賃貸マンションに夫と、戸籍上の妹の三枝子被告(59)と入居した。
◇家族との生活
同居者や家族は次第に増えた。近所のたこ焼き店の経営者によると、最近は7人ほどで店を訪れていた。誰も角田被告の前を歩くことはなく、2人の男がボディーガードのように寄り添った。角田被告が口を開くまで、誰も話し始めないほど統率されていたという。
別の飲食店主によると、化粧っ気はなく、アクセサリーも付けていなかった。「いつもしかめっ面で笑わなかった」というが、子どもや孫には笑顔を見せ、かわいがっていた。
息子が小さいころは学校にはほとんど通わせず、代わりにモデル養成学校や英会話学校に通わせたとされる。年に数回だけ学校に行かせる時に角田被告が付き添うこともあり、教師に「学校なんか行く必要ないんや」と話したという。
◇トラブル
尼崎市内のファミリーレストランでは店側ともめることが多かった。元店員は「『料理が遅い』『接客態度が悪い』と言っては夜中の2時でも店長を呼びつけた」と話した。
角田被告がその後移り住んだマンションでは約10年前、角田被告宅を住人がのぞいたなど繰り返しトラブルになり、警察が度々来る騒ぎになったという。
住民らは角田被告と顔を合わさないために、角田被告宅の階から降りてきたエレベーターには乗らないようにするなど接触を避けていたという。