国際【土・日曜日に書く】ロンドン支局長・内藤泰朗 人権に押しつぶされる英国2012.10.21 03:16

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【土・日曜日に書く】
ロンドン支局長・内藤泰朗 人権に押しつぶされる英国

2012.10.21 03:16

 「人権はいまや、国外追放を免れようとする不法移民の最大の武器となっています」

 先日、知人の日本人女性が英国人と結婚し、友人たちが集まってロンドンで小さなお祝いの会が開かれた。その席で、花婿さんが、こんな話を始めた。移民が多い英国で、国際結婚は珍しくはない。だが、宴席で不法移民が話題に上ったのは、それだけ英国でこの問題が大きな関心を集めているからだろう。

 花婿氏いわく、不法移民の多くはインドやパキスタンなど南アジアやアフリカの国々からの若者たちだ。留学生になったり、知人のつてをたどったりして英国に入国し、滞在期間が過ぎても滞在し続けている。見つかれば、不法滞在者として強制送還される。

 だが、母国が紛争や独裁政治でその人の身に危険が及ぶと判断された場合は別だ。ましてや、子供が生まれ、長期間、英国で暮らしていれば、不法移民でも人権擁護の観点から強制送還されることはまずない。しかも、医療費は無料。子供が生まれて働けないと、生活保護や児童手当を受け取ることができるというから驚きである。

 途上国の人々は、「天国」のような英国に危険を冒してでも潜り込みたくなるわけである。

 ◆重くのしかかる経費

 ただ、不法移民の数は当局も正確には把握していない。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)のチームが一昨年まとめた推計では、その数は41万7千~86万3千人。仮に中間値で計算すると、英国の人口約6180万(2010年現在)の約1%、100人に1人が不法移民という恐ろしい結果になる。

 しかも、亡命者を含む外国人たちへの行政サービスなどの年間諸経費の総額は200億ポンド(約2兆6千億円)以上に上るという試算もある。これは、昨年度の国家支出の約3%に相当するというからなおさらである。

 「このまま不法移民が増加したらどうなるのか」「いったい誰が重くのしかかるツケを払うのか」…。将来に危惧を抱く声が出てきてもおかしくない。

 不法移民の増加が英国の安全保障にも影響を与えると警鐘を鳴らす専門家もいる。英国政府が入国管理や移民の受け入れを近年厳しくして対処しているのには、そうした理由があるのだと、前出の花婿氏は説明した。

 ◆テロ容疑者までも悪用

 今月6日、国際テロ組織アルカーイダと近い関係とされ、米国からテロ容疑で指名手配されていたイスラム過激派指導者、アブ・ハムザ・マスリ受刑者(54)ら計5人が米国に身柄を移送された。

 異教徒殺害を扇動していたテロ容疑者は、「米国の人権違反」を欧州人権裁判所に訴え、身柄引き渡しに応じないよう求めていた。その法廷闘争に8年もの歳月と数百万ポンドの費用がかかったのは、皮肉としか言いようがない。

 英国のキャメロン首相は追放に歓迎の意を示し、こうした事例への対処法を今後改善することを約束した。

 だが、欧州人権裁判所は今年、2001年の米中枢同時テロの実行犯に影響を与えたとされ、05年から英国で収監されていたヨルダン人のイスラム過激派説教師、アブ・カタダ師(51)の送還を差し止める判決を下し、今月13日、同師は刑務所から釈放された。「ヨルダンでは公正な裁判が受けられない可能性がある」というのがその理由だ。人権のよろいをまとったテロ容疑者たちとの戦いは容易ではない。

 ◆寛容政策のジレンマ

 ましてや、英国生まれの子供たちを持つ不法移民たちを強制送還するのは事実上、不可能だ。

 英オックスフォード大学の移民・社会政策センター(COMPAS)が今年5月に発表した報告書では、強制送還が「約12万人とされる不法移民の子供たちの人権を踏みにじるもので、社会も子供も彼らの家族も誰の利益にもならない」と指摘。「政策決定者がこうした子供たちの法的地位を確立することが重要だ」と提言している。

 増大する不法移民は英国だけでなくドイツやフランスでも、多かれ少なかれ社会問題となりつつある。一方で、人権は欧州が最も重視する価値観であり、不法移民にも寛容政策をとらざるを得ないジレンマを抱えている。

 「5年前には、この問題は話題にもならず、誰も関心を示さなかったが、風は大きく変わった」。前出の花婿氏はこう強調した。

 欧州はいまだ出口の見えない債務危機の中、このまま「人権」に押しつぶされるのか、あるいは「人権」の中身を問い直すときがくるのか。英国を含む欧州の移民国家の苦悩には続きがありそうだ。(ないとう やすお)

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