ときメモ会議室について

− 前文 −

 ときめきメモリアル(ときメモ)というゲームの良さは、この際語らないことにします。

 そんなことはすでに多くの雑誌、テレビ、またはネットの書き込みで散々語られ尽くしているからです。
 たとえそのうちの9割9分までが、的外れな紹介であったとしても。

 かつて、NIFTYにはときメモ会議室という場所がありました。
 いまにして思えば、このときメモ会議室こそときメモブームの原点であり、誤解を恐れずに言えば、ゲーマーにとってのウッドストックであったと思います。

 のちに類似のイベントが繰り返されても決して「そのノリ」を再現させることはできず、そのとき参加したものたちの心に一生あとを引く強力な衝撃をもたらしたという意味で。
 しかも、レイブの後半に差し掛かったときにはすでに内部崩壊を始めていた時限的なユートピアだったという条件を加えても。

 ときメモ会議室といえば、知ってる人といえども
 「バカが萌え萌え発言を繰り返しているだけの場所」
 というような印象しかないかもしれません。

 しかし、当時の参加者である俺がもう一度、初期のときメモ会議室という場所の状況を検証させていただきたいと思います。


 最後に。私事ではありますが、PCエンジン版ときメモが発売される直前ごろ、小説家の小野 不由美さん、菅 浩江さん他のプロの小説家の皆さんに、小説の書き方についていろいろ教えていただけたことを、遅ればせながら感謝します。

 FCOMICALの小説の書き方の会議室でのことだったのですが、ときメモ会議室に無関係なようで実はかなり関係がありました。
 ときメモ会議室成立時、SSと呼ばれる同人小説のようなものを書き会議室の活性化を計ったのですが、このときにSSを書いていたもののうちの主だった数人は、この小説の書き方会議室で諸先生に批評を頂いた者でした。

 皆プロにはならなかった(少なくとも現時点ではなれていない)のですが、当時指導していただいたことはこれらSSを書く上で非常に役に立ちました。


「ときめきメモリアルについて」


−1994年5月−

 NIFTY−Serve内FCGAMEM会議室には、まんべんなく退屈が充満していた。
 ファイナルファンタジー6という超大物商業主義RPGが2か月前に発売されていたが、すでにFF6は隅から隅まで攻略し尽くされ、ストーリーは論じ尽くされ、キャラクターは消費され尽くしていた。
 たった2ヵ月、ゲーム界の与党である超大作RPGですら、会議室のハードコアゲーマーたちはとっくに飽き飽きしていた。

 FF6がそこそこ程度のものだとは、誰もが知ってはいた。
 しかし、自分に嘘をついてでも盛大だと思い込み、ほんの一瞬だけでも特設会議室という祭りで騒ぎたかった、ドラクエ4の発売までのドラクエフィーバーの連帯感をほんの少しでも味わいたかったすれっからしのゲームジャンキーたちは、一瞬の温もりを味わったあとの尾を引く淋しさのフラッシュバックにさいなまれていた。

 なにか暖かいものが欲しい、退屈を紛らわせるものが欲しい、ほんの少しでも熱くなれればなんでもいい、しかし、ゲームじゃなきゃイヤだ。
 そんな奴らが、RTに、会議室に、OFF会によどんでいた。


−預言者−

 会議室に、預言者が現れていた。
 ときめきメモリアルという聞いたこともないゲームの名をあげていた。
 そのゲームはまだ発売されていなかった。
 彼はゲーム雑誌のレビュアーだった。
 会議室の発言数が1日に5発言しかない、斜陽の機械PCエンジンの会議室だった。

 斜陽の機械であるがゆえに、社内からなんの期待もされず、ただ数を合わせて開発者を遊ばせない為だけに制作され、それゆえに上層部に野放しにされたという印象があった。

 PCエンジンでそこそこ売るためにギャルゲー、しかも硬派なイメージのあるコナミという会社が、赤字を出さずに開発者が自分の食いぶちを捻出する為に造ったミソッカス。一流の中の三流。こういうのもあるさ。
 それがほとんどのゲーム摂取過多のゲーマーたちの印象だった。

 はっきり言ってどうでもよかった。
 ギャルゲーなんてゲームとして遊べたもんではないし、そんなもんやるよりは東亜プランのそこそこ遊べるシューティングゲームでもやってた方がましだ。
 みんなそう思っていた。彼はときメモを賛美することをやめなかった。


−発売−

 発売日の前日、ときメモは誰に期待されることもなく、他の斜陽機械の斜陽な駄作たちと共にひっそりと店頭にならべられた。

 同時発売がなんであったのか、今となっては誰も思い出すことは出来ないが、とにかく忘れた何かを買いにジャンキーたちはヨタヨタとゲームショップに向かった。

 ゲームショップには前日の夕方に新作ゲームが並べられていることを知っていて、仕事や学校がふけたその足で、発売されたばかりのゲームを買いに行かずにはおれないというどうしようもなさを背負うがゆえに、ゲームジャンキーはジャンキーなのである。

 ほとんどの連中は、忘れた何かを買った。
 その中の半分が、PCエンジンの新作棚を冷やかした。
 またその中の半分が、彼のことを思い出した。
 そしてその中の半分が、ときメモを手に取ってみた。
 最後にその中の半分が、ときメモを買うだけの余裕があった。
 面白くなければ、彼とこのゲームを肴に笑い話ができる。それでいいじゃないか。
 みんなそう思っていた。

 斜陽のPCエンジン会議室が異常な書き込み数にパンクし、SYSOP陣が緊急のRT会議を余儀なくされる数時間前のことであった。


−異常事態−

 PCエンジン会議室に、たった一晩のうちに50発言もの書き込みが行われた。書き込み数は普段の10倍を越えていた。

 書き込み数もさることながら内容が異常だった。
 その書き込みのどれもが、どう見ても正気を失い、狂ったようにときメモという聞いたこともないギャルゲーを賛美している。
 なにより、硬派なメガドライブ会議室でギャルゲー否定論の論陣を張っている『硬派ゲーマー』と自称する者たちが全発言者のうち半分を占めていた。

 1日にしてギャルゲー否定論者たちが、聞いたこともないギャルゲーを狂ったように崇拝するようになっていた。

 異常事態がRTのヘビーチャッターたちの目に止まり、金と暇がある奴が面白半分にゲームを買ったと報告するのを最後にRTに出勤してこなくなるという事態が起こり始めた。そしてどんどんRT参加者が減っていった。

 3日後、最初に買ったRT常連たちが同じように発狂して戻ってきた頃、PCエンジン会議室の書き込みは500発言を越えていた。
 FCGAMEMの会議室へのすべての書き込みのうち半分近くがPCエンジン会議室に行われ、そのすべてがときめきメモリアルについての発言だった。

 そしてときめきメモリアルに関するすべての発言が発狂していた。


−爆発−

  一夜にしてギャルゲー否定論者の論陣は内部崩壊を起こし、その残党たちもまたときメモをあら探しの為に購入し、翌日にはときメモ崇拝者に変身するという事態がメガドライブ会議室に発生していた。

 PCエンジン会議室への書き込みは、1日100発言を越えていた。
 もはや特設会議室化させ、隔離しないことにはPCエンジン会議室の正常な運営は不可能だった。

 秋葉原では、ときメモが少しづつ、少しづつ売れていった。
 「NIFでえらいことが起こってるらしい」
 「ギャルゲー一本でNIFのゲーム会議室が麻痺状態になってるぞ」
 耳の早い奴らが、その話題のギャルゲーがどんなものか冷やかすために買いはじめた。
 そしてそういう連中が、NIFの爆発を他のネットに飛び移らせる感染源となっていった。

 そんな中で、ときめきメモリアルに狂ってしまった者達の隔離病棟としての15番会議室が誕生した。


−心停止−

 ときメモ会議室は、爆発的な勢いで発言数を伸ばしていった。
 今までと同じように、ありとあらゆるものが攻略されていった。
 Q&Aの質疑応答も、一歩でも先んじたものが知識を分け与えた。

 そして・・・
 皆がエキスパートになってしまった。

 質疑応答がなくなった。
 攻略しても、なにも見つからなくなった。
 新規購入者が現れようにも、市場からはすでにときメモの初版は消え去っていた。
 そしてときメモが消えたことが噂になるには、いま少しの時間を要した。

 潮が引くように、書き込み数が減少した。
 1日150発言もあったのが、17発言にまで減少した。
 いくらゲームが面白くても、いくらゲームについて語りたくても、語るべき内容がなくなった。

 もと硬派ゲーマーの数人が思った。
 このゲームはこのまま、ただ一瞬盛り上がっただけで終る有象無象のままでいいのかと。
 このゲームがこのまま、ゲーム史に名を残さずに朽ち果てていいようなシロモノなのかと。
 このゲームはこのまま、俺たち以外の誰にも評価されずに終って、俺たち自身が満足できるのかと。
 否だ、断じて否だ。

 このゲームを誰も評価しないのなら、せめて俺たちだけでもこのゲームを評価しようじゃないか。
 誰も信じなくてもいい、このゲームの良さを皆に語ろう、恥ずかしいかもしれないが恥ずかしくなんかない。俺たちには理論武装という硬派ゲーマー時代に培った技能があるじゃないか、笑う奴はみんなことごとく論破していけばいい。今思えば、かなりヤケクソな思い込みであった。

 ゲームマニアにはウィザードリィやローグという名作古典RPGを出して比較し、日本にもついにこれに匹敵する構造を持つゲームが現れた、このゲームをギャルゲーなどといって遊びもせずに馬鹿にするのは阿呆でありサルでありイモであり低能であるとか言って喧嘩を売り、怒らせることによって興味を引かせるなどというとんでもない手を使ったりもした。

 普通のゲームファンにはドラゴンクエストを出して比較し、1から3の感動をせつせつと語ったりもした。

 流行のゲームしか遊ばない奴には、このゲームがエッジ(最先端)なんだぜとか言ったりもした。

 そしてこれは、このゲームで硬派ゲーマーと名乗ることを辞めた連中の、硬派ゲーマーとしての最後の意地だった。


−てこ入れ−

 そして人気を証明する為には、会議室の発言を増やさなければならなかった。
 ファイナルファンタジー6会議室の3千発言を越えることを目標に、とにかくいろんな企画を提示した。

 RESを付けやすそうな、問いかけるような書き込みを心がけた。
 パラメータ最大値コンテスト、オールクリア達成コンテスト、その他もろもろの企画の中に、現在悪名高く、他所への弊害を指摘されることになる
 「各女の子ごとのファンクラブ結成によるファンクラブ活動」
や、
 「ときメモキャラを使用したショートストーリィの発表」
などもあった。

 それら、特にファンクラブとショートストーリィ(SS)が功を奏し、会議室の発言は徐々に回復していき、ついには発売直後の最盛期を越える発言数にまで膨らんだ。
 今では当たり前になっていてしかも笑われる要因になっているファンクラブや同人小説のUPだが、このときはない知恵を絞って考え出した起死回生の策だったのである。

 1日300発言近い書き込みが行われ、ある者は運良く中古を定価以上の値段で確保した新人さんをサポートする役に徹し、ある者はプレイせずに馬鹿にするものを会議室の参加者が誰でも論破できるように理論武装のガイドラインを設定し、ある者はほぼ毎日原稿用紙にして20枚程度というとんでもない連載SSを開始し、ある者は特定の女の子のファンクラブの会長として果てしない名簿管理を行った。

 意地でもときメモの火を消さず、ゲームが再版され面白さが解る奴が1人でも増えることを祈りながら。
 会議室が外野にどう思われようと、たとえ馬鹿にしている人間でもゲームの面白さだけでも認めてくれればそれでいいと思い、そのためにかなりの無理はしても頑張ろうと思っていた。

 この時、俺たちのようなゲームジャンキーだからこそ本当に長い間熱くなれたと思う。ウィザードリィやローグ、ダンジョンマスターに匹敵するブレイクスルーを持つゲームが日本有数の人気ゲームになるところに立ち会うことができたのだから、ゲーマーとしてこんなに嬉しいことはなかった。

 今、現在のときメモ会議室に思うところはないが、俺はだいたいこんな事を考えて当時ときメモに狂っていたわけである。

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Text:ABC
HTML:柳瀬直裕

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