PCなりすまし事件に思うこと
2012年10月17日
遠隔操作により、他人のPCをウイルス感染させて、なりすましで犯罪行為を行う事件。
PCユーザーの多くの方が、いつ自身が当事者になるか分からないという不安を感じていることと思います。
私は、児童ポルノ規制法案を民主党の事務局長としてまとめたときの議論を思い出しました。
その際には、規制の必要性を当然前提としつつも、一方的に画像を送りつけられた場合の冤罪被害の危険をいかに排除するか、大変議論が沸騰しました。
自民党案には、このような危険の観点がほとんどなかったように思います。
しかし、民主党内の議論の際にも、そこまで具体化した危険とまでは言えなかったのです。それでも、ネット社会における新たな人権侵害の危険を先見することが必要だという観点を加えて、法案準備をしてきました。
今回、犯罪の内容こそ違いますが、自身の関知しないところで自身のPCがコントロールされ冤罪被害に遭うというその危険が、まさに具体化してしまいました。
サイバー犯罪捜査の総合力を高めるため、人材育成や予算措置が必須であることはもちろんです。
一方で、私たち一人ひとりが、このインターネット普及の「功」をいかに人の幸福につなげるかを考え、他方、そのリスクを先見して人の知性で乗り越えることも怠ってはならないと思います。
簡単な操作一つで、真実も嘘も善意も悪意も誤解も、全世界のネットユーザーに伝播します。
善意の連鎖が、災害時の力強い救援につながることもあります。
権力を上回る発信力で、価値観を変えるツールにもなります。
他方で、悪意や誤解の連鎖が、「いじめ」を生んだり、今回の事件のように、冤罪被害の危険を生むこともあります。
道具を使うのは、人の意思。
主体と客体の逆転がないように、人の幸福につながるツールとして付き合っていきたいものです。
「昭和史1926〜1945」(半藤一利 平凡社)を読了。引き続き、「昭和史戦後篇1945〜1989」(同上)にとりかかります。