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作画崩壊かな? と思ったら。
- その話数の中で絵柄が統一されている→作画崩壊ではありません。作画監督の個性です。
- いきなり絵が変わった→作画崩壊ではありません。作画が苦しくなる時は、シリーズが進むにつれ、まずロングや人物が多いカットがいい加減になり、やがてピンの絵もわあ、となるもの。いきなり変わるのは作り手の意図するところと思っていいでしょう。
- 絵コンテ・演出・作画監督が同一人物→作画崩壊ではありません。その人の個性です。これは二つの根拠から言えます。一つ。一話にかかるマンパワーはまあ大体一定なので、人数が少ないということはしっかり時間をかけてやっているという一般原則があります。一つ。絵コンテ・演出・作画監督は兼ねると相当その人の色が出ます。というか、色を出させようとしないのならばそれは兼ねさせません。
- 総作画監督が立てられていない→作画崩壊の可能性は低いです。なぜなら、制作サイドが絵柄の統一を作品の重要な要素と見做していないケースだからです。
- アニメ制作会社がGAINAX・BONES・GONZO・サテライトなどである→作画崩壊の可能性はそんなには高くありません。これらはアニメーターの個性の出た特殊作画をありがたがる会社です。サテライト・GONZOについては「いきなり絵が変わった」の項も参照してください。
- 動画が少ない→作画崩壊ではないかもしれません。原画は多い場合、それは中抜きと呼ばれる手法であり、作画崩壊ではありません。
他にもあるような気はするが、とりあえず。
で。
いや、なんだろう、むしろこれぞ今石洋之の撮りそうなロボットアニメ、という感じ。敢えて盛り上げず、かみ合わない脚本、唐突なすごい作画。今石監督って本音では各話どころかカットごとに顔違ったって無問題、てタイプだと思うし、ここまでお行儀よくやってきた鬱憤を存分に晴らしているようにしか。
そのお行儀のよさにファンがついてしまったのが計算違いだったんだろうなあ。
制作会社ですね。アニメ畑の人は、製作と制作の違いに、すごいこだわりが…。
製作→実作業 制作→責任者or一般
なので、アニメスタジオの実態は製作のほうだと思いますし、ビデオメーカーやTV局が制作者として立つのにアニメ制作会社、という表現が一般的なのは面白いと思います。
その話数を通して絵柄が統一されていれば、作画崩壊ではないといわれても昨年WOWOWで放送されたザ・サードの第何話か忘れたけど見てらんない回が2回くらいあった気がします、ああいうのも個性なんでしょうか?DVDは見てないので修正されてるのかもしれないけど。
詳しくないので素人目線ですがそんなふうに思いました。
手元の岩波国語辞典4版では【製作】物品を作ること、【制作】芸術作品を作ること とあるので、これに従えば面白くも何ともないないのではないかな。
あとキャラデザからどれだけ離れてokかは作品によりますよね。
つまり作品によってokとされる絵柄の幅が違うということです。
監督などのメインスタッフが想定している幅を超えることを一般に暴走と言っていいのではないでしょうか。
ところが視聴者側にも人によって許容できる幅に差があって
大抵は作り手側が想定している幅よりも視聴者側の幅の方が狭いからこういうことが話題になるのかも知れませんね。
ザ・サードの首周りがゴツくて頭身高い回ですよね? 石原満がやった、第13話砂漠の伝説とかですね。
あれはまさに作画監督の個性のよく出た回だったと思います。動きましたし。
>じょき
アニメ作るのが物品でDVD作るのが芸術か、という謎よね。
>yuuさん
基本をどこに置くかの問題でしょう。
そして基本の設定はまさに監督の権限によるものです。
>>>yuuさん
グレンラガンのケースは恐らくは監督の計算どおりなので、暴走ですらないかも、と思いますが。
>名無しさん
ええ、そういうことですね。
ファンの求めるものと作り手の送り出したいものがずれる、という。
>なので、アニメスタジオの実態は製作のほうだと思いますし
製作と制作は私のまわりでは逆の用法で使用されています。
製作=実用的なものを作る/制作=芸術品を作る、というのが辞書に載ってる違いなわけですが、アニメの現場では金出すのが製作、絵描くのが制作、なんか、辞書義とびみょーに感覚が違うなあ、と思うわけです。
京アニやキャベツ、GUN道、リボーン等の存在から作画を語りたがるなんちゃって集団の増加と
mixiによる制作側の火付けかなって印象。ただ脚本はものすごく悪いとは思う。
んー、正直なんで騒ぎになったのかとかどうでもいいです。mixi内の書き込みをmixi外に晒すのとかそっちのがノーマナーじゃね? とか、まあどうでもいいです。2ちゃんで悪口書いておいて制作サイドに愛されたいってどんなわがままだよ、とかも。
作画も脚本もやりたいことができている手ごたえはあきらかにあるので、悪いとは思いませんでした。筋の通らない話、をやりたかったんだと思います。
ただ、演出はちょっと空回った印象です。
>よーともちゃん
画面を盗撮してこないからそういうことになるんですよ!
つまりプロの仕事に素人が文句を言うべきじゃないということですね。でも、アニメって素人が見てどう思うかが大事だと思います。素人が見て作画崩壊(いつもより絵が下手、つまらない)と思われたら、その回は作画崩壊(失敗)なのではないでしょうか。
では素人の全数調査をしてきてから作画崩壊かどうか判断するようにしてください。
俺は面倒くさいので制作サイドの意図を推測してすませます。
そう言う人は裏番組のプリキュアを見ていると思われます。現にグレンラガンの視聴率はプリキュアの1/5ですから、視聴者の大部分は「おおきいおともだち」ではないかと。
リアル萌えオタは作画は悪いのが当然と腹を括っていますので、多分、もうちょっとピュアな層なんじゃないかと。
>BigHopeClasicさん
1.5%強、はまあ、おおきなおともだち向けアニメ、って感じの数字ですね。でも、朝の時間帯ではあるので子供も見てないとは言えないのでは。しかし『ゾイドジェネシス』の半分ですな。苦しい。
低クオリティな作画の問題はそれこそ『鉄腕アトム』の頃からTVアニメにはついてまわってますね。
目くじら立ててもそれなりに詮無い話だと思うんですけどねえ。
「アニメの話題」という文脈ですよね?
たとえば「演出」という言葉も、辞書の意味・アニメという文脈・実写映画という文脈・演劇や舞台の文脈でそれぞれ全然違うと言っていいぐらい意味が違いますので、辞書と業界用語の用法がズレている事は無関係な話では?
ようするに「製作会社」という言葉をアニメスタジオ(アニメ用語における制作会社)に使うのは違和感があるというのがid:Jokinさんのコメントだと思いました。
もちろんid:K_NATSUBAさんが「アニメ用語ではなく、辞書や映画などの用法で製作会社と使ってblogを書く」という方針を取る自由はあるので、その場合は文脈が混乱しないように注記があると良いとは思いました。
そうですね。
どうにかしておきます。
作画崩壊という言葉の定義の問題だったのですね。制作側が意図していれば作画崩壊ではない。もし不満があるのならば作画崩壊という言葉を使わずに「絵が下手でつまらないと個人的には思った。」といった感想を具体的に述べるということでいいでしょうか。
今までちょっと突っかかるような感じになってしまいすみませんでした。お互いそれぞれの楽しみ方でアニメを楽しんでいきましょう。
一読させて頂きましたが、アニメって結構いい加減に作られてるんですね
絵にしろお話にしろ同じ方が担当するってことは稀なことなのでしょうか?
同じでないにしても同じように作るということはつまらないことなのでしょうか?
アニメにおける個性の出し所というものはどういったものなのでしょうか?
私はどちらかというといつも画が同じドラマ(同じなのは当然ですね^^;)
を見ることが多く、そちらでは俳優さんたちのアドリブが個性の一つとなっていますね
そう考えると、何でも気軽に発信できてしまうネットって恐いなあって思います。身体性?
そうですね。作り手の意図に沿っているかどうかはある程度客観的に判定できますので。
>ど素人よりさん
まあ、いい加減、と言ってもいいでしょうね。ただ、毎週5000枚からの絵を一人で描いて彩色できる人なんていないわけで。
ただ、多くの人間がかかわるからこその面白さ、というものもあります。
>よーともちゃん
じゃあ、身体性で。
毎週毎週少ない制作費で放映できるんじゃよ。
そこまで完璧を求めるなら毎年1本13年で1クールみたいな
制作でないと無理。
それ以前に俳優の個性は認めてアニメ製作者の個性を認めないってのが
どうかなーと思うよ。均一にしろ均一にしろって騒ぐ人間は、
よっぽど自分に個性がないか、いつもなんでも均一にしている機械人間の
どっちかだろうな。
いい加減、という言葉に反応しすぎているんじゃないでしょうか。てか、俺も。
ど素人よりさんのおっしゃってるのは、恐らくただの疑問なんじゃないかと。
>ど素人よりさん
疑問にお答えしておきますと
・脚本の担当者は一人でシリーズ全部、というケースが増えています。絵は、一から全部描くことは無理ですが、あとで他人が描いた絵の絵柄の統一をする係りの人がいます。作画監督と呼ばれる人です。
・同じように作るべきかどうかは作品によります。
・個性の出しどころは、色々です。ありとあらゆる工程に個性の入り込む余地があります。