KAOLUのエントリ、最初はお前が書かないかと言われていたものだった。ぐだぐだしているうちに結局彼が書いてしまったのだが。まあ僕、昨日の時点で「グレンラガンのブログにたかってる糞イナゴどもどうやって殺そうかなあ」などといきり立っていたので、彼のようにクレヴァーに書けるとは到底思えなかったのだけれど。
さて、付け加えていく形で語ってみる。
* その話数の中で絵柄が統一されている→作画崩壊ではありません。作画監督の個性です。
作品によっては、巧い原画はほぼ修正せずに通してしまうという事態もある。『ノエイン』第12話のりょーちもカットをいきなり違う絵になっているから作画崩壊だ、とは叩かないでしょう(むしろ『アニメに個性は要らない』と騒ぐ連中はそう言ってみせろ、と思う)。
* いきなり絵が変わった→作画崩壊ではありません。作画が苦しくなる時は、シリーズが進むにつれ、まずロングや人物が多いカットがいい加減になり、やがてピンの絵もわあ、となるもの。いきなり変わるのは作り手の意図するところと思っていいでしょう。
これは、時間がなくなってきたので作監修正を通さずそのまま動画に回すカットが、重要性の低いところからしだいに増えてくるという意味。人物の多いカットとイコールではないが、モブ作画はだいたい新人原画マンの仕事だったりする。
* 絵コンテ・演出・作画監督が同一人物→作画崩壊ではありません。その人の個性です。これは二つの根拠から言えます。一つ。一話にかかるマンパワーはまあ大体一定なので、人数が少ないということはしっかり時間をかけてやっているという一般原則があります。一つ。絵コンテ・演出・作画監督は兼ねると相当その人の色が出ます。というか、色を出させようとしないのならばそれは兼ねさせません。
KAOLUの語っているのはあくまで一般論なのだが、契機となったグレンラガン4話について言うと、そもそも監督の今石洋之自身が今回のように絵コンテ・演出・作画監督の三役を兼ねて自分色に染めることをしょっちゅうやっている人である(GAINAX外でも『メダロット』第14話のように)。そこへ「こんな個性は要らん」と言うのがそもそも筋違いだという話。
* 総作画監督が立てられていない→作画崩壊の可能性は低いです。なぜなら、制作サイドが絵柄の統一を作品の重要な要素と見做していないケースだからです。
* 製作会社がGAINAX・BONES・GONZO・サテライトなどである→作画崩壊の可能性はそんなには高くありません。これらはアニメーターの個性の出た特殊作画をありがたがる会社です。サテライト・GONZOについては「いきなり絵が変わった」の項も参照してください。
作画崩壊なんていう言葉を使うには本来これくらいの知識は前提となる。自分は素人なのでよくわかりませんが、というのなら単に「絵が汚いように見えた」と感想を言えばいいのであって、「作画」などという言葉を持ち出した時点でそれは批評行為である。そして、批評には何かしらの知識が要る(グレンラガンのブログに『素人が批評しちゃいけないのかよw』というコメントがあったが、当たり前だ、というか素人に批評は原理的に不可能である)。まあ、作画崩壊なんていうバズワード、さっさと祭り上げて無意味なものにすべきだと思うのだが。
* 動画が少ない→作画崩壊ではないかもしれません。原画は多い場合、それは中抜きと呼ばれる手法であり、作画崩壊ではありません。
動画枚数が多く滑らかに動くだけがよい作画ではないという話(極論すれば、それは単に中割りが多いだけという手法の問題とすら言える)。たとえば頻繁に中抜きを行う金田系作画というのは本来、制作環境がアレで動画が信用ならないから原画だけで動きをコントロールしようという思想だった(磯光雄も別系統だが、動きを全部原画で表現しようというタイプ)。
昨今の筋違いな作画崩壊の話題にはいろいろな要因がある。TVアニメは、ここ10年でソフト化による収益モデルが定着した感があるが、そもそもTVの前に座っていれば週1回タダで見られるたいへんアクセサビリティの高いオタクメディアである。それをただ受動的に見ている(もはや『消費』すらしていないのかもしれない)だけの人たちが、インターネットの普及によりろくな知識も持たないまま気軽に発言できるようになった。そして、作画崩壊などというわかりやすく印象的なバズワード(性質としては『ツンデレ』などと同レヴェルである)がネットの普及とともに流通しやすくなった。知識のない人々は便利な言葉に出会い――何の内実もない「作画崩壊」が溢れ返ることとなった、と。
素人は身の丈に合った言葉で感想を語っていればよい。「絵」を「作画」と言い換えた瞬間に批評の世界に足を踏み入れることになる。批評するに足る知識もなくタームだけで何か言った気になり、しかも「見る人の大半は素人だ」などと居直るのはあまりに見苦しい。というか、いい年こいてアニメ見るというオタク的営為を行う以上、自分が素人であることなど恥じて然るべきではないのか?
結論。ヌルオタはガチオタにランクアップせよ。さもなくば去れ。
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うわぁ、微妙・・・
さすがインターネットの世界は色んな価値観に出会えますね!
貴殿の文章が毒を吐き散らしていて、あまり読んで気分の良いものではないですが、内容に関しては概ね同意です。よくわかってないのに騒ぐ連中にはほとほと呆れます。
今回の騒ぎは、「作画崩壊という言葉が何を指すか」とか、そういう問題じゃないと思いますよ。もちろんグレンラガンのブログに書き込まれてるコメントの内容はどうかと思いますけど、要するに「客商売をやっている人間」が「客の求めているもの」を提供できなかったということでしょう。自分の思い通りの芸術作品が作りたいというのならば、スポンサーつけてテレビで流すなんてしなければいいわけで……。人気取りの商売が人気取りに失敗したと言う、ただそれだけの話。この記事に現れてるような姿勢で作品を作ってると、またいつかこんな騒ぎに出くわすと思いますよ。
すいませんコピペしたら一文抜けてました。最後の一文の前に、
アニメ業界の人の多くが
御託を並べるのも結構ですが
将来生活保護を受けて我々の税金をダニのように吸い取る
人間にだけはならないで下さいね。
1.アニメの内容関係なく行動するアンチかにドリル
2.京アニマンセー+作画崩壊という言葉を使いたがる素人さん
3.客が求める云々から制作製作陣を批判する人
4.上記2項のみを言及するブログに対し上記1及び3項からイミフなコメントをつける人
>テロルさん
あらゆる主張が「それもひとつの価値観」と陳列されてしまう状況、ありがたい一方で歯痒いですね。僕は「世界よ、俺色に染まれ」という人間ですので。「うわぁ、微妙・・・」というあなたを、僕は打倒したい。
>五平餅さん
ホントはもっとくっだらねーことばかり書いていたいのですが。僕は元気だとどんどん口が悪くなる。毎日ハルにゃんハルにゃんしていた去年の今頃は幸せだったのかもなあ。
>mameさん
なんというか。そもそもがGAINAX作品で、しかも今石洋之が監督という時点で、あれくらいの逸脱はやってきそうなものだし、最初からそういうのを期待して見るのがDVDまで買うような「客」だと思うのですが。タダで見て、面白かったorつまんなかったと思ってチャンネル変えるだけの人間は本当に「客」と呼べるのか?自分の首絞めまくってますけど、今のTVアニメって商売としては相当特殊なものですから。商品の売買の前に中身を自分から全部明かしてくれるわけで(マンガや小説もいくらでも立ち読みできますが、それは本来のシステムの中には含まれていない行動です)。
あと、TVアニメにしたって、制作者の作家性にファンがつく事態は十分あります。好きなことをやるのは芸術であり娯楽産業じゃないという見方、芸術/娯楽という二項対立自体を問い直してみるべきです(芸術にしろ娯楽にしろ、一方が他方の要素を必ず含んでいるものです)。
>まあ
知っているか?生活保護を受けるのは実はとても困難なのだ。
>オモタ
実は2.より3.のほうが問題としては深刻なのではないかとここ数日思います。
始めからOVAにしておけばよかったのにと思ってしまいます。凝った作りの物を日曜朝から流すから……(深夜でも似たようなことになりそうではありますが)。まあ、そういう意味ではDVDが発売されてその売り上げが数字で出れば、それがそのまま今回の問題の一応の結果になるんじゃないでしょうか。
OVAでさえ各巻でやっぱり微妙に顔は変わりますしね。
問題なのは、「作画=顔」という馬鹿の一つ覚え的な認識が支配的な現在の状況だと思います。私が色々な場所で触れる「作画」という言葉は限りなくほとんどの場合で顔のことしか指していません。
いわゆる萌えというものが台頭する中で、顔にしか目が行かなくなっているのでしょうか。例えば、エロゲ・ギャルゲ原作のアニメを見てはその度に作画崩壊だと騒ぎ立てる。アニメをアニメーションとして見る気が無いなら、初めから見なければいいのにとも思います。いわゆるゲームなら顔も崩れませんし。
それこそ顔が違う=作画崩壊などと言ってしまったら、ノエイン12話もNARUTO133話もサムライチャンプルー21話もAKIRAでさえも、作画崩壊として一緒くたに罵倒される羽目になってしまいます。もっとも、そこに「顔 は 変わらない」京アニが神認定される理由があるのでしょうが。
動画枚数でどうこう言うのもナンセンスですよね。勿論枚数を使うべき局面では使ったほうがいいのでしょうが、手塚治虫以来日本のアニメはずっとリミテッドアニメーションの手法を磨いてきて、少ない動画枚数でも“魅せる”ことができるわけですから。
>mameさん
そのへんの「空気の読まなさ」が、古いアニメファンにとってのGAINAXの魅力なのではないかと個人的には思います。エヴァにしたってよくこんなもん夕方に流したなあというアニメですし。DVDの売り上げがすべてという昨今の風潮にはあまり馴染まないところなのだなあ、と。
>MOTH-MANさん
僕も往々にして顔ばかり見る人間なので(かつてはエヴァの作監ごとの顔を描き分ける特技を持っていました)偉そうなことは言えないのですが、なるほど、動きまできっちり見る人は割合としては決して多くないなあと。というか動きを評価するには実はかなりのスキルが要求されますね。単純に中割りが多いだけの作画よりもフル3コマのほうが時に優れた表現になりうることとか。まあアニメでまず目に付くのは人の顔であるのは確かだからして、そこが「作画」のとっかかりであるのは否定しません。今回はなんでこんな顔なんだろう?と思ったら他のところにも目を向けてほしいとは思いますが。
ちなみにNARUTO133話については、動きは凄いが顔がなぁというコメントをニコニコ動画で複数目にしています。ノエイン12話はうつのみやパートで案の定「作画崩壊」「いやこれ意図的なものだから」というやり取りが……。こう、キャラ表なんていうのはあくまで「指針」に過ぎないのだという認識をもっと広めたいですね。
あと京アニのハルヒにしたって、実は作画監督ごとに相当顔は違うんですよね。堀口作監、「憂鬱III」ではやたら長門の目つきが悪いけど「射手座」では全員妙にマンガ調の処理をするなあ特に歯の描き方とか、作監が二人立った「退屈」は時々凄く下手だとか。
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