週刊誌がいいかげんな記事を書くことは読者も十分ご存じだろうが、10月25日号の『週刊文春』で生長の家に触れた記事のデタラメさには開いた口が塞がらなかった。今朝の新聞に載った同誌の広告の見出しを読んで、同誌を買おうと考えている人がもしいたとしたら、私は「お金と時間のムダ遣いは、やめた方がいいです」とご忠告申し上げたい。では、そんなツマラナイ記事のためにお前はなぜブログを書くのか? と訊かれるならば、「事実無根のデタラメを、事実だと認めるわけにはいかないから」とお答えするほかはない。
同誌の記事の大要をひと言で表現すれば、「橋下大阪市長の“日本維新の会”の東京事務所の維持費を生長の家が負担する合意ができた」ということで、全くのデタラメである。同記事は、この資金提供の理由もまことしやかに書いているが、これまた全くのデタラメである。同記事によると、その理由は、生長の家総裁である私が「政治に未練を残していても不思議はない」からだと言う。アホらしくて、反論する気にもなれない。本欄の読者なら誰でも、私が今の日本の政治に何か希望や期待をしているなどと感じていられないだろうし、いわんや「生長の家が政治活動に復帰する」などということが、いかに現実的でないかをよくご存じである。私たちは、今のグチャグチャ状態の国政に見切りをつけて、信仰によって国民一人一人の自覚を深め、“神の御心”を生活に実践し、人々にそれを伝えることを通して社会を変革していく道を、従来の方針通りに力強く進んでいくだけである。
ジャーナリズム出身の私として、この記事について最も解せないことは、この完全な“ガセネタ”(根拠のない情報)を橋下氏自身が記事の中で完全に否定し、生長の家の広報担当者も否定し、生長の家と橋下氏との間に立ったとされる中田宏・前横浜市長に訊いても「全面的に否定するコメントが事務所を通じて寄せられた」と書いているにもかかわらず、強引に記事に仕立て上げて出版するという態度である。ある事象について、その関係者全員が全面否定していることを事実だとして書くことがあるならば、その記事は“おとぎ話”か“空想物語”だと呼ぶべきだと私は思う。しかし、その場合でも、実在の人物を実名で登場させるというのは、いかにも想像力が枯渇していないだろうか……。
谷口 雅宣