時代と共鳴し、呼吸する
連続テレビ小説
朝の連続テレビ小説は、1961(昭和36)年にスタートした。
はじめは視聴率不毛地帯と言われた放送時間帯だったが、
やがて「朝テレビを見る」という視聴習慣を普及させるほど茶の間の人気番組となった。
なかでも1983(昭和58)年の『おしん』は、爆発的な人気を得て、
「テレビで最も感動したテレビ番組」となった。『おしん』
山形県最上川上流の貧しい小作農の三女として生まれた女性の明治・大正・昭和を描いた一代記。『おしん』は放送時には戦前の日本人の原体験を描いたきわめて日本人向けの作品と思われていた。しかし『おしん』は世界中で放送され、人気を博した。

page 1 2

テレビ進化論09
最も感動したテレビドラマ『おしん』

'61年、低視聴率の時間帯に登場

いまは朝起きたらテレビをすぐつける家庭が多いだろうが、連続テレビ小説がはじまった1961年当時は、朝の忙しい時間帯にテレビを見るなんて、という家庭も多かった。テレビ放送は昼と夜の時間帯からはじまったから、朝テレビを見る習慣がすぐには広まらなかった。そんな、視聴率的には不毛の時間帯といわれた朝に、'61年4月から連続テレビ小説がはじまった。

2作目から週6日、朝の8時15分から15分番組に

第1作は『娘と私』(原作:獅子文六)で、月曜から金曜までの週5日1年間続く帯番組である。放送時間が現在の朝8時15分からの開始となり、15分間の番組になったのは第2作『あしたの風』(原作:壺井栄)以降で、土曜日も放送する週6日の帯番組になった。3作目は『あかつき』(原作:武者小路実篤)、次いで『うず潮』(原作:林芙美子)と文芸路線が続いた。第5作の『たまゆら』は、川端康成がテレビのために書き下ろしたオリジナル作品であった。

耳でも進行がわかる連続テレビ小説

朝の忙しい時間帯に見てもらうために「連続テレビ小説」という名前どおり、小説でも読むかのようにナレーションを聞いていれば、ドラマの進行がわかるように工夫された。これで家事をしたり、出勤の準備をしながらでも楽しめる「ながら視聴」ができるようになった。

1年間もの長丁場をどうやって飽きさせず見てもらうのか。ドラマは15分1回読み切りスタイルだが、1週間ごとに、金曜・土曜日あたりに次週に気をもたせる大きな話題の展開があり、連続視聴の仕掛けが作られた。

背景にあったVTRの登場と新しい収録スタイルの確立

毎日1本のペースで放送するのだから、制作のほうも大変だ。番組制作のペースは1週間分6本を制作するのを作業単位に、準備やリハーサルなどに3日、収録には1日2回分という突貫作業だった。

そんなスピード収録が可能になったのは、日本にも'58年にVTRが導入されて、撮りだめ収録ができるようになったからだ。同じセットを使用する場面はまとめて収録するなどの早撮り制作が工夫された。

『おはなはん』の成功

連続テレビ小説がひとつの頂点を迎えたのは、'66年4月。連続テレビ小説6作目の、速水はなの一代記『おはなはん』である。快調なテンポではじまるテーマ音楽(小川寛興)も心をとらえた。劇団民藝の新人女優樫山文枝、夫役の高橋幸治が大人気だった。女学生から白髪のかわいいおばあちゃんまでを演じた樫山は台本をもらい、「毎日こんなすばらしいせりふが言えるのかと感激した」と述懐している。当初高橋は開始から2か月ほどで病死するはずが、視聴者の「助命嘆願」によって、その死を先に延ばしたというから、これも視聴者の反応を見ながら変化していけるテレビ的特性を生かしたといえるだろう。

また朝8時15〜30分までの視聴状況をNHK「国民生活時間調査」で見ると、30歳代の家庭婦人の場合、連続テレビ小説が始まる以前の'60年当時、わずか1.5%の視聴率であったが、'65年には20%、'70年は26.2%と驚異的に伸びた。(『20世紀放送史』)

page 1 2
前へ次へ