日本人の心情に合った1年周期
日本と日本人を描く
大型歴史ドラマ

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『太閤記』で評価決まる

3作目の『太閤記』は、第1回の冒頭で、開通して間もない東海道新幹線などの実写シーンではじまった。時代劇を見るつもりの視聴者は「何がはじまったのか」と意表をつかれた。この番組の演出は、ドキュメンタリー番組から転身した吉田直哉が担当した。『太閤記』は、平均視聴率が31.2%を記録した。

近代史路線の後に大ヒットした『独眼竜政宗』

大河ドラマは、NHKの看板番組で人気も高かったが、担当者たちの悩みは大きかった。視聴者の期待する時代劇は、結局、戦国時代の信長・秀吉・家康になってしまう。手を変え品を変えても限度がある。「思い切って近代を取り上げよう」と'84年から「近代大河」路線がはじまった。太平洋戦争期の『山河燃ゆ』、明治の群像『春の波濤』、青森の女医の一生を描いた『いのち』などだ。

その後を受けた4年ぶりの時代劇が'87年の『独眼竜政宗』だ。主演は20代の渡辺謙で、勝新太郎、北大路欣也、岩下志麻らの大物が脇を固めた。また、本編のはじまる前に、その時代と今とをつなぐ「短いアバンタイトル(題名前)」を毎回入れた。

当時制作の中村克史チーフ・プロデューサーによれば、「あらゆる人が見てくれるドラマをめざす、戦国時代のホームドラマ路線」を打ち出した。

この『独眼竜政宗』の平均視聴率は、39.7%と歴代最高となった。中井貴一が主演した翌'88年の『武田信玄』も、平均で39.2%の大ヒットとなった。ただ、ある1回だけの最高視聴率は、討ち入りの日の『赤穂浪士』が不動のトップだが、次いで、『武田信玄』の49.2%、第3位が『独眼竜政宗』の47.8%となって、2位3位は逆転している。6作目の『竜馬がゆく』のころから放送に合わせて関連書籍が出版され、ドラマの舞台となる土地が、観光スポットになりだした。

大河ドラマは、映画とは違う毎週ごとの1年周期という新しいテレビスタイルのドラマ形式を作りあげ、日本人の生活の中に定着させた。茶の間のテレビによる娯楽が成長したのである。

『太閤記』('65年)

『太閤記』('65年)は白黒だったが、これは珍しいカラー写真
主役の緒形拳は新国劇のホープ。大河ドラマがカラー化されるのは、'69年の『天と地と』から。

「信長を殺さないで」

「信長を殺さないで」
文学座研究生の高橋幸治は一躍スターとなった。投書がNHKに殺到し、そのため、本能寺の変の回を2か月遅らせる異例の措置をとった。

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