放送開始10周年記念
1963年はテレビ放送開始10周年の年だった。前年'62年、NHKテレビの受信契約が1000万件を突破し、テレビは、日の出の勢いだった。
当時のNHK芸能局長の長澤泰治が「映画に負けない日本一の大型娯楽時代劇を作りたい。日本中の大スターを集めて来い!」と大号令を出した。映画界は50年代に黄金期を迎えていたが、テレビを将来の敵とみなして、東宝、松竹、大映、東映、新東宝が、「テレビに映画を売らない、専属俳優はテレビに出演させない」という項目を含む「五社協定」(その後日活も参加)を結んでいた。だから大物の俳優は、みな許可なくテレビに出演できなかった。そんなわけで、「いくら局長がいっても、無理だ」とスタッフたちも、まず思ったそうだ。
映画界の壁を崩した豪華キャスト
選ばれた第1作『花の生涯』は、幕末の大老井伊直弼を主人公にした舟橋聖一原作の作品だった。そんないきさつがあるから、制作担当の合川明、大原誠らは、まず歌舞伎の世界に活路を求めた。松竹の中でも、歌舞伎は映画部ではなく、演劇部に所属していた。まず、尾上松緑が「舞台は休めないが、やってみよう」とOKをくれた。次は、松竹の当時の大スター佐田啓二にねらいを定めて、アタックした。佐田は、いろいろな事情をのみ込み、ロサンゼルスの友人に手紙を書いて、アメリカのテレビ事情を尋ねたそうだ。アメリカの映画界も、当初はテレビに非協力的であったが、このころにはすでに映画会社がテレビ映画の制作を開始していた。その友人は「今後はテレビは、娯楽の頂点に立つだろう。協力してみたら」と返事をした。結局、佐田が承諾して、五社の専属俳優も、次々出演を承諾し、夢のキャストができあがった。
日曜夜8時の定番に
第1作は、'63年4月7日の日曜夜8時45分からの45分番組として放送された。また番組が年明け早々1月開始になるのは、第2作『赤穂浪士』からで、これ以降、「暦年で年1作」の周期になった。放送時間は、いろいろその後試行錯誤したが、夜8時開始となるのは'70年の『樅ノ木は残った』からであった。
吉良邸討ち入りの回は53%の史上最高記録
第2作の『赤穂浪士』は、映画、歌舞伎、新劇界などからスターを集め、第1作以上の豪華なキャストを組んだ。平均視聴率は31.9%と大成功を収め、特に吉良邸討ち入りの回は53.0%に跳ね上がった。この最高記録はいまも破られていない。
『花の生涯』('63年)
松竹の大スター佐田啓二(右)。歌舞伎界の大御所尾上松緑(左)。香川京子(中央)。
『赤穂浪士』('64年)
歴代視聴率第1位の討ち入りシーン。大石内蔵助役は大映の長谷川一夫。