佐々木健介
1966年生まれ。福岡県出身。
中学時代から柔道を始め、その後、1985年6月にジャパンプロレスに入門。
2008年7月よりプロレスリング・ノアを主戦場とする。健介オフィス所属でリングにあがり続けながら、タレント活動も行っている。妻は、全日本女子プロレス出身の元プロレスラーで健介オフィス代表取締役社長の北斗晶。二児の父親でもある。
「健介ファミリー」と言えば、佐々木健介さん、北斗晶さんのレスラー夫妻と二人のお子さんの芸能界きっての仲良し家族。ニコニコとやさしい印象の父親、健介さんのお話は、にこやかな笑顔と裏腹にとても深いものだった。
「自分の親父が厳しい人でね。たとえば、小さな頃寒い冬の日でもうるさくすると外に出されちゃうとか、そういうことがよくあった。その子供の頃の記憶は強烈に残っていて、今もう46歳なんだけどしっかり覚えてるわけなんです。たぶん、50歳になっても還暦になっても『なんで俺はこんな風にされたんだろう』っていう疑問は残ると思うんですよね。」
「だから、反面教師じゃないけど、逆に自分の子供にはそういう思いさせたくないなっていうのがあって。自分の子供をかわいがればかわいがるほど、理解できなくなりますよ。」自らの父親との関係では満たされなかった思いを自分が作る家族にはさせたくなかったという。
もともとそう考えていたからこそ、子育ても「協力」ではなくすべて「一緒に」やってきた。「風呂入れたり、ミルクとかおむつとか、全部やってきましたね。シリーズ中とかでも夜中に3時間おきに自分も起きてミルク飲ましたりね。体力的にはきつかったけど、それを奥さんの仕事とは思わないんですよ。やっぱり二人の子供だろうと。だからもしうちの女房が専業主婦であったとしても働いていたとしても、協力して二人の愛で育てたいなっていうのがあったんですよね。」
もともとそれほど家族を大切にしてきた健介さんだが、それをさらに決定的にする出来事があった。「次男が産まれた年にある事情で(所属する)団体がダメになって、収入がなくなったんです。紙おむつも高いかなとか、ミルクなんかも極端に言うと薄めて飲ますみたいな状況で本当に大変だった。人に裏切られたり借金を抱えたりした中で、この子の世話をしてると、すごい父親としてつらい状況なんですね。そんなときに、(写真の次男を指さしながら)この子がニカって笑う顔を見て、俺、何をやってるんだろうって。そういうので目が覚めたって言うかね。」
家族を大切にしながらも、仕事や収入の面では家庭を犠牲にしてしまう状況になっていたという当時。そこで見た次男の笑顔。それを機に、家族を守るため、仕事の状況やスタンスを変える決意をし、団体への所属をやめて自ら歩む決意をする。
その後、仕事では健介オフィスを立ちあげ、自分の足で踏みだすが、それが今へとつながっていく。「子供を預ける人もいないし置いて行くこともできないから、家族で仕事に行くっていうね。最初、プロレスでは(奥さんである北斗晶さんが)マネージャーをやっていたわけですよ。マネージャーを雇う金がなかったから。」状況から仕方なくの選択だったのかもしれないが、それがさらに家族の絆を強め、一家でタレント活動を行う「健介ファミリー」の今の仕事のスタイルへとつながった。
「やっぱ親兄弟も大切だけど、それだけじゃなくて自分が作っていく家族っていうのがね、大切だね。これからもこのままの関係でいきたい。それは簡単なことではないけど、だからこそね。漬物じゃないけど漬ければ漬けるだけ、年数がたてばたつほど、夫婦も分かり合えて深くなってくるし、子供たちももちろんそうなってくるし、いいですね。」
思えば思われる、理想の家族
見せてもらった写真は、うっすら中央に折り目ができてしまっていました。それを見ながら「コレ、ショックでねー。いつのまにか折り目がついちゃって。コレは棺桶に入れてもらうから大事にしないと。」と言いながら目を細める健介さん。ほんっっっとに素敵なご家族。お話、心にしっかり刻みました!!
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