|
どうやら、僕は満腹になってはいけないらしい。
さてさて、何の事だが分からない書き始めでゴメンナサイ。
今回は『幸せのキャパシティ』について、でいってみよう。
(キャパシティ:容量とか、その人の器とか)
僕は、世の中の人は例外なく全て、幸せになれるチャンスを持っていると考えている。
もちろん、どれくらいの頻度でチャンスと巡り会うかとか、どれだけチャンスを生かすことができるのかとかはその人次第なんだけど。
そしてチャンスを生かして、いざ、幸せになった時に、幸せのキャパシティのようなものがあることには、意識していないと結構気付きにくいんじゃないかなと僕は思う。
僕の言う幸せのキャパシティとはつまり、その人が受け止められる『幸せの限界』とも言い換えることもできる。
人が受け止められる幸せの量には限界があるんだ。
これは最近の僕が支持している幸せの論理だ。
もっとも、僕が幸せのキャパを意識し始めたのは、湾岸MIDNIGHTというクルマのマンガを読んだことがきっかけ。作中では、この幸せのキャパは例え話として扱われていたけど。
著作権に引っかかると思うから、画像はUPしないけれど、その時の会話の要点だけちょっと抜粋してみよう。
ずいぶん前の話なんだけどサ、すげえ好きな女がいたわけヨ。
こんなイイ女がどうしてオレの彼女なわけって思うくらいの。
・・・でも結局、他の女と一緒になったのヨ。
で、やっぱり当然というか、離婚して(笑)オレはなにをやってるワケってカンジでさー
ほら聞いてヨ、どーして好きな女と一緒にならなかったのかって?
・・・コワかったんだヨ。その女といるとすごい幸せでさ。
その幸せがあまりに大きくてコワくなってしまったのよ。
まっすぐ行けば間違いなく幸せになれたのに、
その幸せを失うのがコワくて、アレコレ理由をつけて先に降りたのヨ。
ああ結局、幸せはそれを享受する本人の容量しだい、キャパなんだって。
受け止められないから自滅していく。それだけだと。
・・・互いにうまく噛み合う。つまり容量が一致する。それが大事だ。
どんなに魅せられても、それが手に余る相手なら、いつか必ずドコかで破綻するんだヨ
僕は本当にその通りじゃないだろうかと思う。
自分の幸せのサイズと相手の幸せのサイズが違った時、間違いなく二人の関係はギクシャクする。
僕は18の頃につきあった彼女が、ちょうどそんな具合だった。
互いに、好き合っていたのはきっと本当だけど。だけど、互いが互いに求める幸せにズレがあった。
そして、価値観が違うと別れることになった。さすがに泣いたな、あの時は。
はっきり言って、僕の幸せのキャパは少なかった。
分かりやすく表現すれば、どうしようもなく小さい男だったということだ。
自分の要求はどんどん押しつけたがるクセに、彼女の要求にはあまり応えようとしてなかった。
当然、幸せが噛み合うハズはなかった。
あれから5年が過ぎた。僕は少し変わったかもしれない。
今なら、当時の彼女が僕に何を求めていたのかくらいは分かる。
今ならば、あの時の彼女が口にはしなかった期待にも応えられるだろう。
今はもう、あの時の彼女は僕の隣にいないけれども。
幸せのキャパシティは努力次第で大きくできるものだし、それに気付けばこのキャパシティは、相手に合わせて多少は変えることが出来るんじゃないか・・・と、僕は考えている。
『貴方といれば私は満たされる』
『君と一緒なら僕は幸せだ』
こんな時、自分と相手の求める幸せの大きさの違いに気づけるようになれなければならないと思う。
舞い上がって、満たされて、いっぱいいっぱいになって・・・幸せだけど、それじゃあ苦しいんだ。
自分の幸せに相手が付いて来れない。相手の幸せに自分が付いて行けない。
それはある意味で、不幸だ。
僕はまだ、普通の人よりキャパシティが小さい。
今の自分をちゃんと把握して、これからの自分がどんな男になりたいかを考えて。
どんなに幸せを感じても、頭のどこかが冷静でなければ・・・突き放されてしまう。
もう、そんなのはゴメンだ。僕は、今に満足しちゃいけない。
今に満足して安心していたら、すぐに自分の幸せのキャパを見失う。
僕は、まだまだ満腹になってはいけない。
いつかまたどこかで出会うであろう、大好きな彼女と一緒になった時、不幸なカタチで別れることがないように、自分のキャパを、自分の心の度量を大きくしたい。
そう願って、どうしたらいいか悩んでいたら、きっと何かに気付く時があると信じてる。
僕は本当に色んな意味で、イイ男になりたい。
僕は、幸せになりたいから。
|