ソフトバンクが米携帯大手に出資を検討
スプリントとはどんな会社か、その狙いと影響は
さる10月11日、ソフトバンクが全米第3位の携帯電話会社スプリント・ネクステル(以下スプリント)の買収を検討していると報じられた。明くる12日には、ソフトバンクから「出資に向けた協議は事実」と交渉を認めるプレスリリースが発信された。
関係筋によれば、すでに合意間近であるとの話もささやかれている。実際本稿執筆中にも、ソフトバンクと財務面で関係が極めて深い、みずほコーポレート銀行が音頭を取って、三菱東京UFJ銀行や三井住友銀行も参加する、1.8兆円規模の協調融資(シンジケートローン)の検討が進められていると報じられた。
一方、このニュースが流れてから、ソフトバンクの株価は、日経平均を押し下げるパワーを持つほど大きく値を下げた。反対に、スプリントの株価が高騰したのは、先のイー・アクセス買収の際と同じ構図だ。そしてこうした状況を反映して、CDS(クレジットデフォルトスワップ)市場でも大きくワイド化していると報じられている。
イー・アクセスの買収時も大きな関心を集めたが、今回はそれさえも忘れさせてしまうほどの、ワールドクラスのビッグニュースである。現在仕事でインドに滞在している私のところにも、11日はひっきりなしに連絡が入り、デリー郊外で砂塵にまみれながら、その対応に明け暮れていた。
当然ながら私は交渉の当事者ではなく、また現時点で確定している事項についても明らかにされていない。そうした前提を踏まえつつ、そこで今回はあくまで現時点の見立てとして、本件の狙いや影響を考察してみる。
スプリントってどんな会社?
全米第3位とはいえ、日本で暮らす多くの人にとって、スプリントはあまり馴染みのない通信事業者だろう。
ざっと概要を説明すると、契約件数が5600万件超の移動体通信事業者で、全米を対象に全国規模でサービス展開している。2004年にスプリント社がネクステル社を買収したことで現在の体制となり、基本的にはスプリント社が有していたCDMAネットワークが事業の礎となっている。現在の主力商品は、2011年から取り扱いをはじめた、アップルのiPhoneだ。
ただし、5000万件超の契約件数とはいえ、ベライゾンが2億件弱、AT&Tワイヤレスが1億件前後という中で、市場の中での位置づけは厳しい。実際、上位2社が通信料金の定額制を早々にギブアップ「できた」のに対し、スプリントはこの対応が遅れてしまった。スプリントの顧客基盤(とそれを支えるインフラ)が脆弱であり、マーケティングの観点から定額制を放棄できなかったからだと考えられる。
こうした競争環境に加え、CDMA規格の将来的な発展がほぼなくなったことから、スプリントは次世代通信規格のLTEへの移行を進めようとしている。2009年夏には、世界最大の通信機器会社であるスウェーデンのエリクソンと、通信網の運営に関する委託契約に合意した。7年間で最大50億ドルを支払って、通信インフラの敷設や運用の一切をエリクソンに委託し、財務負担も含めてベンダー主導での移行を進めようということである(参考記事)。
こうした施策は、当初「通信事業者のバランスシートを軽くする(財務負担を改善する)もの」として、注目を集めていた。しかしここ数年のスマートフォン普及の荒波は、そうした目論見さえも成立を困難とさせるほどのものであり、結果として経営状況は前述の通り。2012年4-6月期の当期損益は13.7億ドル強の赤字が出ており、財務状況も悪い。インフラの移行も含め、将来的なオプションが見通せない状況に入っていた。
一方、スプリント傘下には、モバイルWiMAXからTD-LTEへの転身を目論む、クリアワイヤという通信事業者も存在する。TD-LTEをごくかいつまんで説明すると、LTEの流派の一つで、中国のベンダーや通信事業者が中心となって開発が進められている規格である。
TD-LTEといえば、日本でも、かつてウィルコムがこの技術と近似したXGPの開発を進めていた。その後ウィルコムが経営破綻の末にソフトバンク傘下となり、現在はAXGPとして展開されている。グローバルTD-LTEイニシアティブという業界団体にも両者とも参加しており、クリアワイヤ社とソフトバンクの距離は、とても近い。
買収か、出資か?
ソフトバンクが出資を目指すスプリントとは、概ねこんな会社である。まとめると、規模はそこそこだが、市場での課題も多い。北米市場の消費動向は今後厳しさを増すことが見込まれ、概ねターンアラウンドに近い状況である。
一方、市場の中で似たようなポジションにかつて身を置いていたこと、通信機器メーカーのエリクソンとの関係が深いこと、iPhoneを取り扱っていること、TD-LTEを牽引するプレイヤーであることなど、ソフトバンクとスプリントの間には、接点や共通点も多い。
そう考えると、今回のディールはそれほど突拍子もないわけではないが、前途は多難であり、それこそかつてソフトバンクがボーダフォン・ジャパンを買収した時と同様に、まずはお手並み拝見ということになる。
ところでそもそも本件は、果たして買収(子会社化)なのか、あるいは出資なのだろうか。報道では66%を超える株式を購入する見通しだとされているが、これは買収と考えるべきなのだろうか。
もちろん、一定以上の影響力の行使を目的としていることは、概ね間違いない。経営にも大きく関与していくことになるだろう。ただ、移動体通信事業の本質である通信サービスのインフラは、両者間でそう簡単に統合することはできない。
一つは、現世代(3G)のインフラ規格の違い。ソフトバンクモバイルはW-CDMAだが、スプリントはKDDI等と同じCDMAである。LTEの進展を目指しているとはいえ、両社とも設備投資に潤沢な資金投下ができるほどの財務基盤ではなく、道半ばではある。
また基地局同士を接続して通信事業者としてのネットワークを構成するコアネットワークの統合も、相当難しい。まずもって単純に、日米の間には太平洋が存在しており、海を隔てたコアネットワークの統合は、相当なチャレンジとなるだけでなく、そもそもあまりメリットがない。もちろんこれも不可能な話ではないが、海底ケーブルの調達と運用といった、別のレイヤーの課題が生じることから、両社とも前向きに考えるとは思えない。
そう考えるとソフトバンクとスプリントは、しばらくの間(あるいは未来永劫)、別々のインフラで、別々のオペレーションを行うことになる。となると、おそらく別々のガバナンスが一定以上は必要となる。こうした関係を連結対象と見なせるのか。詳細の確認は日米両方の商法や会社法に精通したプロに譲るが、少なくとも現時点では「買収」とまでは言い切れない。
狙いは調達力の強化か
財務のリスクを背負い、統合による効率化も容易でなく、相手の状況も難しい――だとしたら、ソフトバンクの狙いは、どこにあるのだろうか。
当面の狙いは調達力の強化だろう。これは通信機器(基地局やコアネットワーク)の調達と、端末の調達の両方がある。
まず前者については、ごく端的に言えば、エリクソンへのプレッシャーを強めることになるだろう。両社合わせて1億件の契約を有するインフラとなれば、エリクソンにとっても上客の一つとして扱わざるを得ない。実際、現在私が滞在しているインドの通信事業者たちは、上位ともなればインド市場だけで1億件をはるかに超える契約数を有している。ワールドクラスで相手にしてもらうには、この程度の規模が必要だ。
一方、端末についても同様のことがいえる。特にアップルに対しては、相応の交渉力を確保することができるようになるだろう。もちろんこれも、上には上がいる話ではあるが、少なくとも両社の市場への出荷の割り当てや調達条件などは、有利に交渉を進められるようになる可能性がある。
特に今回のiPhone5では、LTEの使い方やテザリングなども含め、明らかにKDDIの方に軍配が上がっている。イー・アクセス買収も最終的にはそうした焦りが意志決定を迫ったと考えれば、今回のディールについても同様の焦りが影響した可能性は、否定できない。
ただ調達条件の改善だけで、莫大な投資に見合った利益を、本当に享受できるのだろうか。おそらく市場が抱く最大の懸念は、そこにあるだろう。
もちろん、いくつかの仮説を組み立てることはできる。たとえば前述したTD-LTEは、いまでこそ世界中のベンダーや通信事業者が参画するようにはなったものの、基本的な技術開発は中国勢を中心に進められてきた。旧ウィルコムのXGPとて、中興通訊(ZTE)等の中国ベンダーが大きく協力して推進されたものである。
このTD-LTEに関する、中国勢との関係を含めた潜在資産を活用して、日米両市場に中国勢への門戸を開き、そのゲートウェイとしての収益を目指すということは、容易に考えられるだろう。実際ソフトバンクを「日本円で買えるアリババ(中国のネット企業)」だと見立てる機関投資家筋も存在する。ソフトバンクと中国の関係は、一般に考えられているより、相当に深い。
ただこうしたシナリオの展開は、今後容易ならざる状況になっていく。さる10月8日、米国議会下院情報特別委員会は、華為技術(Huawei)および中興通訊(ZTE)が、アメリカに対する国家安全保障上の脅威であるとの文書を公表した。サイバー攻撃の過熱も含め、情報通信レイヤーでの米中冷戦が、いよいよ本格化してきた格好である。
この文書が示した見解自体は、様々な角度からの吟味が必要であり、無思考にその内容を受け入れるべきではない。しかしこうした懸念が西側先進諸国を中心に急速に台頭していることは事実である。そして日本が国家として存続する上での、基軸や要諦が、日米同盟にあることは、論を待たない。
このように、単に民間企業の経済活動という枠組みを超えて、国家安全保障の領域まで視野に入れざるをえない状況となる中で、今回のソフトバンクとスプリントのディールを検討しなければならない。そしてこのような動きにNTTやKDDIが追随するとしたら、そこではなおのこと、どのような相手とどのような形で組んでいくのかを、見極める必要がある。
まだディールは進行中であり、ご破算となる可能性も残っている。引き続き状況を注視しつつ、情報通信産業やその周辺にどのような影響を及ぼすのか、十分な検討が必要だ。