今日は、偶然に車いすユーザーの方(当事者)とお話をする機会がありました。その方は脊髄損傷により長年車いすで生活されています。
障がいを負った当時は、外に出るのも不安で、人の目が気になった。しかし自分を知ってもらうためにはまず外へ出掛けてみんなに自分自身を知ってもらうことが大切と気づきがんばってきた。他人の目が気になっているうちは自分で自分を認めていない。自分で自分を差別していることだと話されました。
分け隔てられ、避けられてきた障がい者の方たちに社会の問題点や自分を認め生きることなど私たち家族はたくさんのことを教わっています。
そういった生き方、感性、ものの考え方、生きることの大切な部分を知っている気づきのある方たちを私達、健常者は社会から隔絶する環境におくべきではないと思います。
社説の末尾。大切な指摘に思います。
東京新聞:障害児教育 入学前により分けるな:社説・コラム(TOKYO Web) http://p.tl/6DST
障害児教育 入学前により分けるな2012年7月12日
どんな障害児でも望めば地域の学校で学べるようになるのだろうか。中央教育審議会の特別委員会は及び腰の結論を出した。障害のある人とない人が支え合う共生社会実現までの道のりはまだ遠い。
全身の筋肉が衰えていく脊髄性筋萎縮症と診断され、人工呼吸器が手放せない名古屋市内の林京香ちゃん(7つ)がこの四月、地元の市立堀田小学校に上がった。
話すことはかなわないが、目や指を動かしてコミュニケーションを取る。体を横たえられるストレッチャー型車いすを使い、三十四人の普通学級で障害のない子たちと学び、遊ぶ。
給食をミキサーにかけてチューブで取ったり、たんを吸引したりと医療的ケアが欠かせない。校舎にはスロープが造られ、看護師がついた。障害のある子とない子が共に育つ環境こそ自然だ。互いの違いを認め合う力が養われる。
周りの子の勉強の邪魔になるという批判は、むしろ障害児教育の改革の芽生えととらえたい。父の智宏さん(37)は「障害児の可能性が広がってほしい」と話す。
とりわけ重い障害のある子は地域の小中学校に通いたいと思っても、市町村教育委員会や学校の多くは難色を示す。入学前の健康診断で、学校教育法施行令で定める障害の種類と程度に当てはまった子は、原則として特別支援学校に行く決まりだからだ。
障害のない子とは違って地元の学校への就学通知は届かない。京香ちゃんの両親のように粘り強く直訴するしか手だてはない。
五年前、
日本は障害児と健常児の分け隔てのないインクルーシブ(包容する)教育をうたった障害者権利条約に署名した。今は批准に向けて法整備の途上にある。
だが、障害児教育の在り方を検討してきた中教審の特別委は六月、実質的に今までの仕組みを続けるとの報告をまとめた。一定の障害のある子を事前により分け、市町村教委が学校を決める形だ。人々は障害とどう向き合うのかといった根源的議論は欠けていた。
障害児を入り口で引き離して別扱いするのは条約の精神に照らして差別と言うほかない。障害の有無によらず、まず全ての子に地域の学校への就学通知を届け、望めば特別支援学校を選ぶ。
そうやって従来の原則と例外をひっくり返さない限り、条約の批准はままなるまい。インクルーシブ教育には人手と金がかかる。しかし、それよりも大切なのはそこに携わる人々の意識改革だ。緊張気味。京ちゃんは果たして、プールに入れるのか??
次回、乞うご期待!!
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