第17回の「ふれキャン」の様子①
第17回の「ふれキャン」の様子②
第18回の「ふれキャン」の様子私達家族もこのキャンプ【ふれキャン】に参加し、就学へ向けたパワーや生きるパワー「たくましさ」をいただきました。
後に書かれている【ふれキャンの歴史】で紹介されている、O.Mさん、A.Sさんは
現在、お空に旅立たれていますが、地域でたくましき生きた先駆者。京ちゃんの目標です。
何度もなくなりそうになったキャンプですが、私たちが運よく参加できたことで、みなさんと思いを繋ぐことができています。
お空に旅立たれた、二人はいまも、「どんなに重い障害があっても輝いて生きる、地域で生きることの素晴らしさ」
を伝えてくれており、今年19年目になるキャンプです。
今回、主体になってボランティアで運営をしてくれているKさんは、亡くなられたA・Sさんと地域の学校でクラスメイトでもあった方です。当時はバクバクの会主体での運営でしたが、現在は多方面から参加者を募っています。障がいのある人もないひともみんな一緒。
【ふれあいキャンプ】の歴史
<当時の事務局、Aさんが書かれた紹介文を掲載します。>平成22年6月
キャンプの発端は、阪神淡路大震災のあった前年に、バクバクつ子(人工呼吸器をつけた子)と立山登山に行くという企画が大阪のHさんから発信されました。そのことを受け、名古屋のバクバクの会の賛助会員であるS氏が実行委員長を勤め、Aが事務局をやらせていただきました。
立山登山の準備をしてゆく中、サポータさんを募り 豊橋のO.Mさんと、私どもの娘 A.Sは訓練に地下鉄やデパートの階段やバスに乗って準備をし、その情報を、各地のバクバクつ子に発信して情報を共有してゆきました。
そのことを中心にしていただいたのが豊橋の東三河山ぽ会の会員さんと、名古屋のGSAという登山グループでした。
立山登山は、3泊4日の登山でサポータさんと7人の人工呼吸器をつけたバクバクっ子と車椅子の子供一人、総勢100人余の集団でした。登山は大町から黒部ダムヘ トロリーバスやケーブルカーロープウェイなどを使い立山のすごい自然を子供たちと一緒に楽しんで、登山前に一泊、頂上のホテル立山に一泊、下山して大町で一泊。サポータの皆さんはキャンプをしながらという日程でした。
この登山で呼吸器をつけていても、サポートしてくれる人が居れば出来ないことは何もないと感じることが出来、参加者全員が大きな自信を身につけて下山できた登山でした。それと同時に『バクバクっ子の立山登山』の趣旨に賛同していただけた多くの方の貴重な浄財をいただき、何事もなく無事に下山することが出来、後日その浄財で『バクバクっ子の立山登山』と言う冊子を出すことも出来ました。
立山登山の O・Mさん A・S のサポーターをして頂いた人たちが中心になって『ふれあいキャンプ』を今日まで運営していただいたのです。
年月にすると、阪神淡路大震災(`95年 1月17日)の前年からですから、今年17年目を迎える
キャンプです。ざっとですが、これが『ふれあいキャンプ』の歴史です。
会の趣旨を理解していただき、バクバクの会の新しい会員さんも、家族ではなかなか出来ないことも、サポートしてくれる人が居てくれれば僕たち家族が感じた、少しづつかもしれませんが自信に繋がってゆくのではと考えています。
そのことを少しだけ後押ししてくれる『ふれキャン』に一度来て見て体験して戴けたら、そして、一番はみんなで楽しんでみては・・・。実行委員会メンバーも、常連の参加者の皆さんも大歓迎してくれますよ。 多くの会員さんにキャンプで逢えることを楽しみにしています。
早々