2010年 09月 04日
変革へのけん引力―19世紀、デフレ時代の経済成長―(9) |
ヨーロッパとアメリカでは、1983年からデフレ時代が始まった。その要因は、1891年に普仏戦争が終わり、第一次世界大戦までの束の間の平和が訪れ、人類は初めて世界市場を経験したからである(クチンスキー)。イギリスの産業革命がヨーロッパとアメリカに拡散し、おびただしい技術革新とインフラ整備によって、デフレ下の経済成長を経験することになる。科学や技術の革新は、一国内ではなく、国際的な競争と協力が得られて、初めて発展する。その意味で、19世紀後半の世界市場の形成は、技術革新と科学の創造に取って優れた環境を作ったと言える。
この時期に著しい動きを示したのが鉄鋼である。この時期、クチンスキーの指摘によれば、鉄鋼生産は70万トンから2800万トンに増加した。これは、高炉の抜本的な改良と炭素量の少ない強靭な鉄鋼を作るための転炉の発明によるものであった。鋼材の価格が半分になると同時に、新しい消費市場を生み出した。建築技術では「鉄骨鉄筋コンクリート」の建築法を生み出し、大都市の様相を一変させた。これまで脆い鋳鉄を使っていた鉄道・船舶、機械類の素材がすべて鉄鋼に置き換えられた。これは膨大な社会資本の形成に貢献した。同様に、大量の兵器を生産する技術を生み出した。
19世紀の技術開発のプロジェクトの中で、電力ネットワークほど経済的・技術的・科学的に強烈なものはなかった。1880年から電力ネットワークの建設が始まり、個人の生活、地域、オフィス、金融機関、工場をつなぐネットワークとして成長する。電力ネットワークを基礎として、初めて巨大な近代工業が発展する。電力の拡大は個人の生活、経済活動や社会のあり方を根本から変えた。エジソンは直流送電を試みたが、送電線が長くなればなるほど、電力損失が多くなり、それだけコスト高となって、市場を見出すことが困難になった。交流と変圧器を利用すれば、効率的な送電が可能になった。単相から多相交流への実用化が進んだ。当時、電気工学という分野はなく、交流システムの研究は物理学者が推進し、それに機械工学の専門家が加わった。電力システムの実現を通して、新しい分野である電気工学が誕生する。
一八九一年、ネッカー川のラウフェンに建設された水力発電所から四万ボルトの高電圧電力が一七五キロメートル離れたフランクフルト博覧会へ送電され、博覧会に光と電力による人工の滝を演出した。新技術はドイツ人の間に熱狂を巻き起こした。一方アメリカでは一八九三年にシカゴで多相万能電気供給システムの実用化が証明され、一八九五年になるとナイアガラ瀑布の水力を利用して発電した電力をバッファローに送り、冶金工業やアルミニウム電解工場を興した。
直流から多相送電に移行する時期に高等教育機関が多く設立され、初めて電気工学の講義が始まった。一八八三年、ジーメンス社の社長ジーメンスは政府に「研究こそ技術進歩の堅固な基礎である。一国の工業は、科学的研究の最前線の中にいなければ、国際的な指導的地位に達し、かつ自己を維持できる希望は持てない」と訴えた。彼は基金を出し、一八八七年に「国立物理工学研究所」を設立し、高名な物理学者ヘルムホルツが初代所長に就任した。このころから企業は巨大研究所を競って設立する。
同時に、大陸を横断する大規模な電信網、さらには太平洋・太平洋と両大洋の海底に敷設された「海底電線」のネットワークの連結で、地球的な規模の通信が完成した。個のネットワークの連結によって生まれものは、世界全体の経済活動の同期化である。世界のどこかの金融市場で発生したパニックは、短時間に他の大陸の金融センターに広がる。1873年に、同時恐慌が発生したのは、ネットワークが、1859年大西洋海底電線の完成で陸上電線と結ばれた結果である。
金融センター間の資金の移動が、低コストで、確実に、安全に可能となった。ロンドンとパリの間の資金のやり取りは、電信為替という確実な、安全なコストの安い方式を導入した。それ以前のこの両都市の金融センターの間の資金のやり取りは、金貨・銀貨の輸送というコストのかかる方式を採用していた。英仏海峡電線の開通によって、ほとんど一瞬のうちに両センターの間の資金の移動が可能になった。
経済活動の同期化は、国際金融市場の成立を促した。ロンドンのロンバート街は、英国の金本位性の採用と関係して、世界全体の長期・短期の資金の集散の中心として、クローズアップされた。世界の貿易決済に必要な資金は、ロンドンの主要銀行にそれぞれの政府が保有している預金口座の間の決算によって可能になった。世界各国のインフラ整備を行うために、ロンドンの証券市場で金融商品への投資を通じて資金を集めた。
電信、汽船、鉄道のネットワークが世界市場を変貌させた。世界市場が形成され、多くの主要国が参加して、地位を確保しようする努力の結果、世界市場には大量の商品が流通するようになった。蒸気機関の発明と、鉄鋼技術の革新は、蒸気船と蒸気機関を原動力とする鉄道を誕生させた。汽船のネットワークの誕生で、世界で初めて国際的な商品を大量に、安全に、安いコストでの運航を可能にした。
陸上では、鉄道が次第に普及し始めた。米国大陸では、1869年大陸横断鉄道の第1号、ノーザンパシフィックが開通し、続いて2本の大陸鉄道が完成した。1903年、欧州大陸では、サンクト・ペテルブルグからウラジオストックまでのシベリア鉄道が完成する。大陸横断鉄道の誕生で、農産物を含めた大量の商品を生産地から消費地まで安いコストで時間どおりに安全に輸送することが可能になった。この結果、デフレの原因の一部である農産物の急落をもたらす。
海上交通については、運航の確実さと、本格的な時間の短縮を図るために、大規模な運河が完成する。1869年にスエズ運河が開通、1914年には、30年余にわたって工事が続いたパナマ運河が完成した。これによって欧州からインドを含めた東アジアの航路を短縮した。パナマ運河の完成は、アメリカ大陸の大西洋と太平洋岸を直結させたのと同時に、世界の海運業に強い刺激を与えた。
驚くべきことに、このような大規模なインフラの投資がほとんど民間企業によって行われた。スエズ運河のあるエジプト政府は資金がなく、パリに本社を持つ国際スエズ運河株式会社が資金を調達した。米国の大陸横断鉄道も、すべて民間会社が必要な資金をロンドンの金融市場での起債で賄った。
その背景には、デフレで発生にする膨大な余裕資金が世界中に溢れていたという事実がある。デフレになれば、資金という商品の代価である金利は低下する。デフレ下では、金融市場において資金の過剰供給が発生する。それは自由な金融市場での資金のやり取りから生まれる長期金利が低下する。その結果、大型のプロジェクトに必要な長期資金を債券で調達できる条件が整備され、その資金は大型プロジェクトに提供される。
世界の主要都市の再開発もこの時期に始まる。ウォール街を中心とした高層化と再開発が進行する。マンハッタンの中央を貫く地下鉄の建設もこの時期に開始され、巨大な人口の集中を可能にした。同じ動きが、ロンドンでもパリでも、世界の主要都市で展開された。大都市の急速な再開発によって、経済活動はいっそう密度を増し、それが世界の経済活動に強い刺激を与えた。コンクリートからヒトへの単純なスローガンで、コンクリートを用いた都市の再開発が軽視されている。都市は、経済をけん引する大きい力なのである。
21世紀の第2のグローバル化によって、新興国のインフラ整備が急速なスピードで進む。それには重厚長大の技術と産業が必要であり、日本が貢献できる分野である。そのためには、日本の市場の動きを世界の市場の動きに合わせることが不可欠である。現在の民主党の経済政策は世界の市場の動きに逆行したバラマキによる国内保護である。これでは、経済が衰退することを、歴史は何度も教えている。農村の発展は、個人補償によるバラマキではなく、農業の保護を取りやめたFTAをアジアと次々と締結すべきである。競争の中で近代化農業の建設を目指す。その結果、1個10円のおにぎりができると生活は一変する。
河合七雄
参考文献
『ロンバート街』オルター・バジョット著、初版1873年、翻訳宇野弘蔵、岩波文庫、
1941年
創成期のロンドンの金融の中心ロンバート街を生き生きと描いている。
『世界経済の成立と発展』など、J.クチンスキー、初版1967、翻訳久保田英夫
評論社、昭和45年
人類が初めて世界経済と世界市場を経験した、その本質について述
べた最初の著作である。東独の経済学者、「正統派の異端者」と呼ばれ、
粛清の危機に見舞われる。
『世界大規模投資の時代』長谷川慶太郎、2007年、東洋経済
19世紀、デフレ時代の技術革新とインフラ投資を記述。
この時期に著しい動きを示したのが鉄鋼である。この時期、クチンスキーの指摘によれば、鉄鋼生産は70万トンから2800万トンに増加した。これは、高炉の抜本的な改良と炭素量の少ない強靭な鉄鋼を作るための転炉の発明によるものであった。鋼材の価格が半分になると同時に、新しい消費市場を生み出した。建築技術では「鉄骨鉄筋コンクリート」の建築法を生み出し、大都市の様相を一変させた。これまで脆い鋳鉄を使っていた鉄道・船舶、機械類の素材がすべて鉄鋼に置き換えられた。これは膨大な社会資本の形成に貢献した。同様に、大量の兵器を生産する技術を生み出した。
19世紀の技術開発のプロジェクトの中で、電力ネットワークほど経済的・技術的・科学的に強烈なものはなかった。1880年から電力ネットワークの建設が始まり、個人の生活、地域、オフィス、金融機関、工場をつなぐネットワークとして成長する。電力ネットワークを基礎として、初めて巨大な近代工業が発展する。電力の拡大は個人の生活、経済活動や社会のあり方を根本から変えた。エジソンは直流送電を試みたが、送電線が長くなればなるほど、電力損失が多くなり、それだけコスト高となって、市場を見出すことが困難になった。交流と変圧器を利用すれば、効率的な送電が可能になった。単相から多相交流への実用化が進んだ。当時、電気工学という分野はなく、交流システムの研究は物理学者が推進し、それに機械工学の専門家が加わった。電力システムの実現を通して、新しい分野である電気工学が誕生する。
一八九一年、ネッカー川のラウフェンに建設された水力発電所から四万ボルトの高電圧電力が一七五キロメートル離れたフランクフルト博覧会へ送電され、博覧会に光と電力による人工の滝を演出した。新技術はドイツ人の間に熱狂を巻き起こした。一方アメリカでは一八九三年にシカゴで多相万能電気供給システムの実用化が証明され、一八九五年になるとナイアガラ瀑布の水力を利用して発電した電力をバッファローに送り、冶金工業やアルミニウム電解工場を興した。
直流から多相送電に移行する時期に高等教育機関が多く設立され、初めて電気工学の講義が始まった。一八八三年、ジーメンス社の社長ジーメンスは政府に「研究こそ技術進歩の堅固な基礎である。一国の工業は、科学的研究の最前線の中にいなければ、国際的な指導的地位に達し、かつ自己を維持できる希望は持てない」と訴えた。彼は基金を出し、一八八七年に「国立物理工学研究所」を設立し、高名な物理学者ヘルムホルツが初代所長に就任した。このころから企業は巨大研究所を競って設立する。
同時に、大陸を横断する大規模な電信網、さらには太平洋・太平洋と両大洋の海底に敷設された「海底電線」のネットワークの連結で、地球的な規模の通信が完成した。個のネットワークの連結によって生まれものは、世界全体の経済活動の同期化である。世界のどこかの金融市場で発生したパニックは、短時間に他の大陸の金融センターに広がる。1873年に、同時恐慌が発生したのは、ネットワークが、1859年大西洋海底電線の完成で陸上電線と結ばれた結果である。
金融センター間の資金の移動が、低コストで、確実に、安全に可能となった。ロンドンとパリの間の資金のやり取りは、電信為替という確実な、安全なコストの安い方式を導入した。それ以前のこの両都市の金融センターの間の資金のやり取りは、金貨・銀貨の輸送というコストのかかる方式を採用していた。英仏海峡電線の開通によって、ほとんど一瞬のうちに両センターの間の資金の移動が可能になった。
経済活動の同期化は、国際金融市場の成立を促した。ロンドンのロンバート街は、英国の金本位性の採用と関係して、世界全体の長期・短期の資金の集散の中心として、クローズアップされた。世界の貿易決済に必要な資金は、ロンドンの主要銀行にそれぞれの政府が保有している預金口座の間の決算によって可能になった。世界各国のインフラ整備を行うために、ロンドンの証券市場で金融商品への投資を通じて資金を集めた。
電信、汽船、鉄道のネットワークが世界市場を変貌させた。世界市場が形成され、多くの主要国が参加して、地位を確保しようする努力の結果、世界市場には大量の商品が流通するようになった。蒸気機関の発明と、鉄鋼技術の革新は、蒸気船と蒸気機関を原動力とする鉄道を誕生させた。汽船のネットワークの誕生で、世界で初めて国際的な商品を大量に、安全に、安いコストでの運航を可能にした。
陸上では、鉄道が次第に普及し始めた。米国大陸では、1869年大陸横断鉄道の第1号、ノーザンパシフィックが開通し、続いて2本の大陸鉄道が完成した。1903年、欧州大陸では、サンクト・ペテルブルグからウラジオストックまでのシベリア鉄道が完成する。大陸横断鉄道の誕生で、農産物を含めた大量の商品を生産地から消費地まで安いコストで時間どおりに安全に輸送することが可能になった。この結果、デフレの原因の一部である農産物の急落をもたらす。
海上交通については、運航の確実さと、本格的な時間の短縮を図るために、大規模な運河が完成する。1869年にスエズ運河が開通、1914年には、30年余にわたって工事が続いたパナマ運河が完成した。これによって欧州からインドを含めた東アジアの航路を短縮した。パナマ運河の完成は、アメリカ大陸の大西洋と太平洋岸を直結させたのと同時に、世界の海運業に強い刺激を与えた。
驚くべきことに、このような大規模なインフラの投資がほとんど民間企業によって行われた。スエズ運河のあるエジプト政府は資金がなく、パリに本社を持つ国際スエズ運河株式会社が資金を調達した。米国の大陸横断鉄道も、すべて民間会社が必要な資金をロンドンの金融市場での起債で賄った。
その背景には、デフレで発生にする膨大な余裕資金が世界中に溢れていたという事実がある。デフレになれば、資金という商品の代価である金利は低下する。デフレ下では、金融市場において資金の過剰供給が発生する。それは自由な金融市場での資金のやり取りから生まれる長期金利が低下する。その結果、大型のプロジェクトに必要な長期資金を債券で調達できる条件が整備され、その資金は大型プロジェクトに提供される。
世界の主要都市の再開発もこの時期に始まる。ウォール街を中心とした高層化と再開発が進行する。マンハッタンの中央を貫く地下鉄の建設もこの時期に開始され、巨大な人口の集中を可能にした。同じ動きが、ロンドンでもパリでも、世界の主要都市で展開された。大都市の急速な再開発によって、経済活動はいっそう密度を増し、それが世界の経済活動に強い刺激を与えた。コンクリートからヒトへの単純なスローガンで、コンクリートを用いた都市の再開発が軽視されている。都市は、経済をけん引する大きい力なのである。
21世紀の第2のグローバル化によって、新興国のインフラ整備が急速なスピードで進む。それには重厚長大の技術と産業が必要であり、日本が貢献できる分野である。そのためには、日本の市場の動きを世界の市場の動きに合わせることが不可欠である。現在の民主党の経済政策は世界の市場の動きに逆行したバラマキによる国内保護である。これでは、経済が衰退することを、歴史は何度も教えている。農村の発展は、個人補償によるバラマキではなく、農業の保護を取りやめたFTAをアジアと次々と締結すべきである。競争の中で近代化農業の建設を目指す。その結果、1個10円のおにぎりができると生活は一変する。
河合七雄
参考文献
『ロンバート街』オルター・バジョット著、初版1873年、翻訳宇野弘蔵、岩波文庫、
1941年
創成期のロンドンの金融の中心ロンバート街を生き生きと描いている。
『世界経済の成立と発展』など、J.クチンスキー、初版1967、翻訳久保田英夫
評論社、昭和45年
人類が初めて世界経済と世界市場を経験した、その本質について述
べた最初の著作である。東独の経済学者、「正統派の異端者」と呼ばれ、
粛清の危機に見舞われる。
『世界大規模投資の時代』長谷川慶太郎、2007年、東洋経済
19世紀、デフレ時代の技術革新とインフラ投資を記述。
by shichio_kawai | 2010-09-04 14:51