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10年前の田中均氏らの拉致棚上げ謀略を忘れるな

2012/10/17 14:27

 

  蓮池さん夫婦、地村さん夫婦、曽我ひとみさんの5人が北朝鮮から帰国して10年経つ。しかし、彼らは当初、永住帰国でなく2週間の一時帰国という形式で日本の地を踏んだ。そして、北朝鮮当局は彼らに横田めぐみさんのご両親に対する心理戦をしかけよと指令して日本に送ったのだった。外務省の田中均局長らもをその心理戦に積極的に加担していた。あの時も危なかった。北朝鮮のシナリオ通り進んでいたら、5人は北朝鮮に戻り、横田めぐみさんご両親がその直後に訪朝してめぐみさんの死を認めさせられ、拉致問題は棚上げになるという謀略が成功していた。

 

 その時の裏事情を私の知る限りで紹介しておく。いま、テレビや新聞でしたり顔で制裁一辺倒の感情的対北朝鮮政策は失敗だと語っている田中均氏は北朝鮮の回し者だった。彼が拉致棚上げ陰謀に感嘆した売国行為を忘れてはならない。

 

 9月末から10月初めにかけて平壌を訪れた日本政府調査団に対して、北朝鮮は死亡とされた8人のうち横田めぐみさんだけに限って身内である元夫と娘を登場させ、遺骨は元夫が自宅で保管しているが、横田さんのご両親が訪朝すれば提供しても良いと語らせた。訪朝を促す心理戦の開始だった。なおめぐみさん以外の7人の遺骨はみな洪水で流されたという非常に不自然な説明をした。

 

 1015日に5人の被害者が、一時帰国という名目で帰ってきた。5人は日本に着くやいなや、横田めぐみさんと一緒に暮らしていたとして、さまざまなめぐみさんの消息を語り始めた。しかし、それ以外の被害者については、本当は知っていたにもかかわらず一切語らなかった。増元るみ子さんのお父様がちょうどその頃、癌の末期でいつ亡くなるか分からない状態だった。蓮池祐木子さんは拉致された直後の約1年間るみこさんと一緒に暮らしていたのに、るみ子さんの消息を一切伝えなかった。その結果、るみ子さんのお父様は娘の消息を知ることなく亡くなった。

 

 日本に送り出されるとき、彼らは横田さんの消息を積極的に語って横田さんのご両親に近づき二人を平壌に連れてこいと命令されていた。そして、めぐみさん以外の消息を語ることを禁じられていたのだ。

 

 

 田中局長は北朝鮮と約束したなどとして5人を再び北朝鮮に戻そうとした。それが実現していれば心理戦は成功していたかもしれない。安倍副長官、中山恭子参与らが国家として5人を日本に残すべきだと政府内で激しく抵抗し、5人は日本に残って家族を待つという重い決断をした。ただし、人質として家族が北朝鮮にいる状況から政府は「本人の意思を問わずに国として5人を日本に残す」と発表した。

 

 その直後から、彼らは北朝鮮で与えられた命令にそむき始める。祐木子さんはるみこさんについて、また地村富貴恵さんはやはり拉致直後に1年ほど一緒に暮らした田口八重子さんについてその家族に語り始めた。

 

 5人の被害者を通じた心理戦が失敗すると、北朝鮮は孫娘のヘギョンさんを日本のテレビに出演させ「おじいさん、おばあさん、平壌に来てください」と呼びかけさせた。めぐみさんの姿によく似た孫娘の誘いに横田滋さんは動揺した。そのとき、帰国した被害者から秘密に「訪朝は慎重に考えた方が良い。北朝鮮は何かを仕掛けようと準備している。自分たちは日本に来るとき、横田さんご両親を平壌に連れてこいとの命令を受けていた」というメッセージが横田さんたちに届いた。結局、横田さんご両親は孫との面会よりもまず娘の救出が先だとして訪朝しないという重い決断をされた。執拗な心理戦に負けなかった。

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