ナガマ・カズコさん(70)=音訳=は1942年、ソウル市竜山区青坡洞で生まれ、元山(現在は北朝鮮)の近くで暮らしていた。父親が韓半島(朝鮮半島)で体育教師をしていたからだ。ナガマさんが3歳だった45年、日本は敗戦した。ナガマさん一家6人は日本に引き揚げようとしたが、誰も寝る場所を貸してくれなかった。一家は、ロシア兵に捕まり殺される危険を、かろうじて逃れた。
このとき、25歳の韓国人青年が一家を救ってくれた。日本人に激怒していた周りの人々を説得し、下関まで行く船便を教えてくれたが、特に見返りを求めることはなかった。たった3歳だったナガマさんがこうした経緯を詳細に覚えているのは、母親が「恩返ししたくてももうその青年は見つけられない」と毎日のように涙していたからだ。そんな母親も、テレビに従軍慰安婦の話が出ると「うそだ。実際にあんなことが起きるわけがない」とナガマさんにささやいていた。
認知症を患っていた母親が息を引き取ると、ナガマさんは元慰安婦たちが暮らす「ナヌムの家」(京畿道広州市)に向かった。2004年10月、ナガマさんが62歳になった年のことだった。「私の家族を救ってくれた韓国をありがたく思ったし、元慰安婦の皆さんに申し訳なくて…」という気持ちからだ。
初対面は衝撃的だった。ナガマさんは「皆さん、日本軍がしたことを覚えていて怖かった。私が日本人だから感じる罪悪感だったと思う。一緒に食事をしているときに涙が込み上げてきた」と話す。元慰安婦たちは日本に帰るナガマさんに「気を付けて行きなさい。そしてきっともう一度来るんだよ」と言って手を振った。