2007年08月22日
ナノチューブを溶かす意外なもの
炭素でできた極細の筒・カーボンナノチューブは、夢の新素材、ナノテクの旗手として各方面の大きな注目を浴びています。化学・材料・物理学・生物など、ここ数年学術誌にナノチューブの文字が載らない日はまず一日もないというほど、各分野で盛んな研究が進められています。
しかしこうした応用研究を阻む大きな要因として、ナノチューブが各種の溶媒に溶けないという点が挙げられます。ナノチューブは互いに引きつけ合ってがっちりと絡み合った束を作る性質があり、これをほぐして溶媒に分散させるのは至難の業なのです。化学の世界において、反応や精製はたいてい溶媒に溶かして行うものですから、何にも溶けないという性質は極めてやっかいなものなのです。
また生物学方面の応用を考えるとき、生命を支える媒質である「水」に溶ける(分散させる)ことはほぼ必須の条件です。しかし炭素でできたナノチューブはまさに「水と油」で、ただの水には全く混じりません。これを克服するため、水や各種溶媒に分散・溶解させる技術が様々に工夫されてきました。
ところが最近になり、九州大学の中嶋直敏教授のグループが、実に意外なものにナノチューブが溶けることを報告して話題を集めています(Chem. Lett.36 (2007) , 1140 )。研究室にあるあらゆる溶媒を受け付けないナノチューブを溶かしてしまう「魔法の液体」は、実はコンビニで150円も出せば容易に入手できます。その液体の名はなんとサントリーの緑茶「伊右衛門 濃いめ」です。
なんでまた伊右衛門茶にナノチューブが溶けるのか――。その秘密は緑茶の主要成分であるカテキン類にあるようです。一般に、芳香環(ベンゼン環など、いわゆる「亀の甲」)を持つ化合物同士は表面のπ電子によって引きつけ合い、積み重なるように寄り集まる性質があります(πスタッキング)。カテキン類は多数の芳香環を持っていますのでナノチューブ表面に引きつけられて集まりますが、一方でたくさんの水酸基をも保持しているため水ともうまくなじみます。要するにナノチューブと水の両方に似た部分構造を持つカテキンがうまく両者の仲立ちをし、本来犬猿の仲である両者をなじませてしまうというのが伊右衛門茶の秘密であるようです。
カーボンナノチューブ(薄桃)の周辺に吸着したカテキン(緑)が水(青)との間を仲立ちする(クリックで拡大)
論文では、代表的なカテキン類であるエピガロカテキンガレート(EGCG)の水溶液にナノチューブが溶けることも示されています。というわけですからこの現象は何も「伊右衛門」に限ったことではなく、「生茶」でも「一(はじめ)」でも同じことが起こると思われます。カテキン類の濃度が高い方が有利でしょうから、「ヘルシア緑茶」あたりにはもっとよく溶けるのかもしれません。
(カテキンの代表的成分・エピガロカテキンガレート)
しかしこんなことがどうやって発見されたのでしょうか?偶然こぼれてしまった昼ご飯のお茶に、そばに置いてあったナノチューブが溶けてしまった――というようなことなら面白いのですが、おそらくそうではなさそうです。中嶋教授のグループではナノチューブの分散・溶解について深い研究を重ねており、ピレンの誘導体などを使った可溶化の報告をすでに行っているからです。さらに入手しやすい成分での可溶化を追求するうち、カテキン類にたどり着いたと見る方が自然でしょう(このあたり詳しいことをご存じの方がおられたらご一報願います)。
(可溶化に用いられるピレン誘導体)
それにしてもユニークな研究です。「エピガロカテキンガレートによる単層カーボンナノチューブの可溶化」などというよりも「伊右衛門にナノチューブが溶けた!」の方がはるかにインパクトがあるのは言うまでもなく、このあたりは実験者のセンスによるところが大きいのではないでしょうか。
この発見が、ナノチューブの研究に実際に応用されるかどうかはまだ未知数です。しかしいずれにせよ非常に身近なものが、科学の最先端の難題解決に役立つ可能性があるというのは面白いことです。寒天などもそうですが、実験に行き詰まった時には身の回りのなじみ深い品に着目してみるのも時には有効なのかもしれません。
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この記事へのコメント
進んでいると思いますよ。ナノテク日本の切り札ですし。
しかしあちこちで話題を呼んだみたいで、アクセス数が普段の10倍以上になってますね。
ちなみにナノチューブが溶けると言ってもべろべろに溶けてしまうわけではなく、超音波をガンガンかけて一応溶けていることが確認できたという程度です。なので軌道エレベータに緑茶をぶっかけるテロをやっても、たぶんびくともしません。
ちなみに分散・溶解能力でいえば、前エントリでも登場したラウリル硫酸ナトリウム(SDS)なんかの方がカテキンより強いようです。
よく考えてみれば、研究自体はそんなに
本質的な話でもないですね。
茶はカテキンを含む
カテキンはCNTを溶かす
だから茶はCNTを溶かす。
っていうことであり、いってしまえば
既知の現象を単に組み合わせて
(しかも比較的単純な組み合わせ方で)
デモンストレーションしているにすぎない、
のではないかと思います。
あとお名前をどうぞ!
大学一年生が研究室にて比較的自由な実験するという講義枠にて、コーヒーなど身近な物をダメもとで溶かしていて、偶然溶けたのが発端のようです。結構ドラマチックじゃないでしょうか。
通常は薬品以外の溶媒で物を溶かそうとはしないから、本人達はネタ論文だという認識のようです。
先にお茶に溶けるという現象があったわけで、溶けた理由がカテキンかどうかは後にわかったようです。
専門じゃないので伝聞形が多くてすいません。
しかしいろいろやってみるもんだなー(笑)。ま、ネタ論文なんてことはなく、十分一報の価値がある報告だと思いますけどね。
普通に手に入る代物で解けるだなんて・・・
んじゃCNTが含まれてる製品(テニスラケットなど)にいえもんかけたらとけるんですかね?
なんかテニス部なんでもしお茶かけたらと思うと・・・ちょっと不安です。
たしかに書き込みにやや誤りがありました。ご指摘のとおり、カテキンに溶けるのは既知の現象ではないですね。
ただ、ピレンなどの多環式芳香族で可溶化できるという研究があったということなので、カテキンがCNTを溶かすというのはそのレパートリーに似たような分子を加えただけなんじゃないかって思ったのです。
「カテキンがCNTを溶かす」っていう論文にしたほうが興味がそそられるんじゃないか、って思うのは頭が固いですか。
そこを敢えてお茶にしたからこそ、ここまでの反響(?)がある仕事として出せたと思うんですがどうなんでしょうか。パフォーマンスの要素が含まれていることは事実なんでしょうけど。
ええと、言いたかったのはまさにそういうことでして、
単なるパフォーマンスに過ぎないんじゃないかって
思い、あまり好印象でなかったということです。
まあそれを承知で洒落で出したのだと想像します。
当方、興味本位のド素人なのですが、勉強嫌いの子供でも興味を持ってくれそうな切り口が素晴らしいとも思いました。
ここから未来の科学者が育ってくれれば最高ですね!
全然関係ありませんが、カテキンを車のエアコンフィルターに塗布しているスズキさんですが、ハンガリー生産の車にも「日本(静岡)のお茶のカテキンでなければならん!」と、フィルターごと日本から輸出しているそうです。
お茶、日本文化ですね♪
(駄文長文ごめんなさい。)
で、カテキンって書くと化学感が出てしまうから、
お茶という意外性で興味を持たせる。見事ですね。
以前のお酒試しました系といい、面白い論文も
探したらあるもんですね〜。
巨大な凧をタコ糸の代わりにCNTを使えばあげることは可能ですか?