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韓国側は1476年に発見された三峰島(サムボンド)、及び1794年に発見された可支島(カジド)が独島のことであるとしています。例えば独島を管轄する慶尚北道作成のブックレットではこのように紹介しています。

慶尚北道002

さて川上健三著『竹島の歴史的地理的研究』を基に検証してみます。先ずは三峰島から検証します。1476年9月、金自周という人が調査に向かった際、現在の独島に該当する島を発見したと韓国は主張します(1953年9月9日付。韓国駐日代表部口上書)。

朝鮮王朝の官選史書である『成宗実録』巻72に次のような記事が出て来ます。

望見則於北有三石列立、次小島、次巌石列立、次中島、中島之西又有小島、皆海水通流、亦於海島之間、
有如人形別立者三十

ここに三つの岩が出て来て、いずれも間に海水が流れているが、これは現在の独島に似ているというのです。しかしながら竹島は「2つの大きな岩山とその周囲にある小さな岩」から成り立っているのはご承知の通りです。更に竹島を構成する二つの島は高さが大きく異なります。

幣ブログ「竹島とは何か」

ということでここに出てくる岩とは竹島でないことは分かります。川上健三氏によると鬱陵島の北部にはこのような地形があるとのことです。更に『成宗実録』巻72にはこのような記述もあります。

見島屹然而有人三十余列立、島口有烟気、其人衣白形貌遠不能詳、然其大□須乃朝鮮人也   

ここに人の様な者が出て来て、白い服を着ており、朝鮮人であると断定しています。ということから三峰島は竹島でないことは分かります。

次に可支島については『成宗実録』巻40に次のような記述が出て来ます。

則昔日人家遺址

つまり昔の民家の跡があったというのですからこれも竹島ではありません。更に、

則南北七八十里許、東西五六十里許

という記述があります。朝鮮での10里は日本での1里(4km)に相当します。つまりこの島は南北30キロ、東西20キロ程度だというのですが、これは現在の鬱陵島である可能性が濃厚です。

何より三峰島及び可支島も、その後の記録には出て来ません。

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