« 制約が楽しさを作り出す

2012.10.15

新しい市場のつくりかた

最近買った新しい市場のつくりかたという本の感想文。

足で書いた本は面白い

  • 今までになかった新しい商品を販売することで成功した人たちを訪ね歩いて、成功の理由、あるいは新しい商品を発送する原理のようなものを導こうとした本。いろいろ参考になった
  • これは「足で書かれた本だ」という印象を持った。理念ではなく、具体を重ねて論に到達するような本。こうした書かれかたをした本は、読むといろんな発想が広がる。同じ具体例を作者と共有しつつ、作者とは異なった理念の衝突が楽しかったりもする
  • 「足で書かれた本」とは逆に、理念先行、論が理念を補強する「頭で書かれた本」というものもある。頭で書かれた本で描かれる理念は整合がとれていて、読んで「ははぁ」と頷く部分も多いのだけれど、発想はそこで閉じてしまうことも多い
  • 個人的にはたとえば、佐々淳行の危機管理に関する本は、「頭で書かれた本」であるように思う。佐々の危機管理に関する考えかたはとても参考になるし、実際にこの人の本はたくさん持っているのだけれど、文章から何かを発想すると言うよりも、文章に書かれた理念をそのまま受け入れること以外、読者にできることは少ないような気もする

技術と文化は車の両輪

  • 「新しい市場の作りかた」の前半では、「技術」と「文化」との関係が物語られる。技術と文化というものは、どちらか一方で成立するものではなく、お互いに補間しあうことで、はじめて市場が回り出す
  • 技術をどれだけ極めても、それが同じ文化のもとに開発されたものならば、いつかは天井にぶち当たる。枯れた技術でも、違った文化のもとに水平展開されると、技術は新たな伸びしろを得ることができる
  • 「ある技術を必要としている文化」と、「それが必要な文化を見つけられない技術」とをつなぐ仕組みの不在が招く不幸はいろんな業界にあるのではないかと思う。本書では主に、産業界について、具体例で持ってそうした関係の大切さが説かれるけれど、自分たちの業界にも、似たような問題は今でも横たわる
  • 免疫やアレルギーに詳しい先生が、腎臓内科や、皮膚科、あるいは整形外科の看板で仕事をしていることがときどきあって、専門家を探すのに苦労したりする。感染症内科はうちの地域にもいるはずだけれど、外来にそうした看板を出していないから、外からだと分からないのではないかと思う。問題を抱えていても、看板を見てもその施設が持っている技術のすべてが見えないから、相談先を探すのは案外難しい
  • 「胃潰瘍」とか「心筋梗塞」あたりならば、専門家の検索は簡単で、紹介先を迷うこともないのだけれど、「分からないけれど具合の悪い」患者さんをどこに紹介すればいいのか、どうすれば患者さんの問題解決が近づくのか、分からないことはけっこう多い。昔だったら「不明は大学へ」で済んだのだけれど、各科が臓器別の専門を名乗るようになって不明の解決はかえって遠のいた
  • このあたりの問題は、本書では会社の黎明期、すべてのメンバーが同じ部屋に集い、様々な問題点を横断的に話し合う文化がそうした問題を暗黙に解決していた、というエピソードが引かれる。昔の研修病院で、全科ごちゃ混ぜの汚い医局だったら一瞬で解決した問題が、臓器別のきれいな医局に移転したら、なんだか問題の解決が遠のいたことを思い出した

技術ではなく文化を発明する

  • 本書で紹介される本田技研工業黎明期のエピソードが面白かった。本田宗一郎が自転車に通信機用のエンジンを載せ、販売したら成功したというお話。このエピソードを、「本田宗一郎は軽バイクの販売から会社を立ち上げ成功した」と紹介しても間違いではないけれど、本書では同じエピソードを、「本田宗一郎が発明したのはエンジン付きの自転車ではなく、女性が気軽にエンジン付きの乗り物を利用する生活文化だった」と論じる。これには納得できた
  • 同じタイミングで、世界を一周して戻ってきたらすごい創作意欲が湧いたというお話を読んだ。この論もまた、本書の文脈で解釈するのなら、旅行者が出会ったものは、新しい技術ではなく新しい文化であったのだろうと思う。創作とはたぶん、「出会った文化に手持ちの技術を反応させること」なのであって
  • 「何かの技術を身につけた人が文化に出会う」ことでも、「何かの文化が染み込んだ人が技術に出会う」ことでも、創作に連なる反応はきっと期待できるのだろうけれど、何かの成果が具体的なものとなって出力される可能性は、前者のほうが高いのではないかと思う。文化との「出会い」が、理解ではなく誤解に基づくものであったとしても、少なくともその出会いは、手持ちの技術を通じて新しい成果に到達できる。技術との出会いは、誤解すると失敗してしまう
  • 技術というものは学習を通じた習得が可能で、その代わり出会ってぱっと理解、あるいは誤解するのは難しい。文化は逆に、それを理解するのはもちろん、学んで修得することもままならない。その代わり、観光客レベルの浅い出会いであっても、目新しい文化と出会った人は、案外何かを得られたり、少なくとも何かを得た気分になれる。それは理解には遠くても、成果には到達できる。その成果の価値は市場が決めるもので、まずは作らないとはじまらない

画期的な技術は当然に到達する

  • 新しい文化の導入が成功すると、それはすぐに「当然」に到達する。本書ではそうした状況を、「過去の贅沢は当たり前になる」と表現する
  • 個人的には、震災直後の停電のとき、「便座が冷たい」ということに驚いたのを思い出す。便座が暖められていることなど、それまでは全く意識したこともなく、だいたいがうちのアパートの便座が温熱だったことにも、病院で冷たい思いをして初めて気がついたものだった
  • 「ある文化に対する誤解」と、誤解された文化に応じた既存技術の応用が、新しい文化の発明素地になるのだろうと思う。はじまりは誤解だから、成果はたいてい箸にも棒にもかからないのだけれど、「それのある生活」を受け入れる素地を持った文化がどこかにあり、なおかつその商品が登場するタイミングがうまくいけば大成功できる
  • iPhone が、Palm が到達できなかった大成功に到達できたのは、プロダクトの品質が良くなったのはもちろんだけれど、やはり「そういう時期だった」という側面があったのではないかと思う。Palm は自機が早すぎたからこそ、画期的とあれだけ騒がれ、ある程度の成功を得たにもかかわらず、大成功には到達できなかった
  • 本書ではしばしば、成功事例にウォシュレットが引用される。ウォシュレットはそういう意味で、力ずくというか、TOTOの人たちはよくもあれだけ長い期間、熱意を失わずあの製品を「当然」の場所にまで押し込んだよなといつも感心する
  • 個人的にはたとえば、体重計というものを、洗面台の隅っこから床に置き、その上に乗っかるものではなく、見た目は単なるフロアマット、常に敷かれて、センサーが問答無用で上に乗った人の体重を計測、無線で記録をストレージするような製品にすると、体重にまつわる文化が書き換わるのではないかと妄想した。ある種の手間というか、儀式を経ないと測定できないものは、その瞬間の数字に注目が集まる。一方で、測定それ自体がユーザーから隠蔽されるような数字は、瞬間の値ではなく経時的な変化に注目の重心が置かれるようになる。自分で体温や血圧を測定して、自分で温度版を書かないといけなかった昔の大学病院と、全部看護師さんがやってくれる今の勤務先とで、自分の認識の重心みたいなのが変わっていて、その変化は患者さんを診療していく上で、やはり快適なものであるような気がしているから

専門は一般に、一般は専門に

  • 以下私見。汎用品を応用すれば間に合う場所に、あえて「専門」を持ち込むことで、市場は大きくなるのではないかと思う。それに成功すれば、今度は文化それ自体が書き換わる
  • 「病院が専門化した」ことは、病院は市場とは無縁ではあるけれど、文化が書き換わった一つの例に思える。昔だったら「小さな病院」にまずかかり、分からなかったら「大きな病院」に紹介された。今は「小さな病院」で問題臓器を究明し、その上で「専門病院」に紹介する。「小さな病院」の役割が、たぶんこの20年ぐらいでずいぶん変わった
  • 洋風の煮物や炒め物にはトマトを入れたり、トマトジュースを使ったりするけれど、あえて料理用を前面に押し出した「料理用トマトジュース」を販売したら、面白いのではないかと思う。中身は普通のトマトジュースとそんなに変わらないにせよ、料理に詳しい人よりも、むしろ料理にそれほど通じていない人が、そうした「専門」に手を伸ばす
  • スパゲティは太さや形状によってたくさんの種類が販売されているけれど、あの分類をあえて無視して、普通のスパゲティが並んでいる売り場に「ボンゴレ用スパゲティ」とか、「カルボナーラ用スパゲティ」を販売すると、もしかしたら商売の文化が少し変わるのではないかと思う。慣れた人はもちろん汎用のパスタを自分で応用するだろうけれど、マニュアルのとおりにやりたい人や、あるいはマニュアルを作った人のもっと上をいきたい人は、そうした専門商品のお客になる可能性がある
  • 「業務用」という分類も、一種の専門分化なのではないかと思う。肉のハナマサは業務用スーパーだけれど、一般のお客さんもけっこう出向く。業務用という看板をかかげつつ、その実一般向けの何かを安価に販売するスーパーマーケットは、田舎にはけっこう多い。そのうちもしかしたら、「一般のお客さんに業務用の商品を売るお店に向けて企画された、業務用のパッケージに入れた一般向け商品」なんてものが企画されるのではないかと思う

ゼロに限りなく近づくどこかで革命がおきる

  • 「新しい市場の作りかた」の本に戻る。文化的な開発余地があまり残されていない市場で、技術をさらに突き詰めることへの疑義が提出される。「厚さ50センチのテレビを10センチにすることには意味がある。10センチを5センチにすることにどれだけの意味があるのか ?」と文中では論じられていたのだけれど、この論には先があるのではないかと思う
  • 10センチを5センチにすることには意味がないかもしれないけれど、その流れをもっと突き詰め、10センチが5ミリになったら、それはもうテレビではなく、全く別の何かに変貌する
  • 「nクリックを1クリックにすると商売になる。1クリックを0クリックにすると革命になる」というotsune さんの論は、産業でも同じなのではないかと思う。大きく減らすと商売になる。そこから先に進むと、もしかしたら投じた努力が引き合わない期間がある。でもさらに徹底すると、ゼロに極めて近いどこかでとんでもないことがおきる
  • 個人的に、Palm が到達できずに iPhoneがたどり着けた大成功を分けたのは、あるいはデザインなのではないかと思う。Palm は初期のやつからTungusten|c まで持ってるし、Clie もだいたい見たことがあるけれど、ほんのわずかな野暮ったさみたいなものが、デザインに優れたClie でも残っていた。Clie のデザインはそれでも相当に洗練されていたようにおもうのだけれど、Palm やClie にわずかにあった野暮ったさが、iPhone はゼロだった。その差はもう、取るに足らない好みのレベルでしかないけれど、「わずか」が「ゼロ」になるその瞬間にこそ、とんでもない変化の原動力がある

文化をまるごと開発する

  • 「水泳帽子という文化を発明したのが日本の社長さんだった」というエピソードが面白かった。水泳の際に帽子をかぶるのは、あれは海外からの輸入ではなく個人の発想で、「帽子を前提にした水泳の教育手法」までまるごと取り組んだのだと
  • 現実をしっかり見ないと、新しい需要は見えない。本書では「大きく、プライドが高く、社歴の長い企業ほど、社内で共有された認識と現実とが乖離していくのを止めることが難しくなる」と説かれる。事実なのだろうと思う。日本最大の企業はといえば、なんといってもお役所であって、このあたり暗澹となる
  • 本書では、文化の再発明と、商品の価値を再定義することで成功した事例に、ハーレーダビッドソンのバイクが引用される。ハーレー乗りは当院に2人いて、「○年型のファットボーイがどうこう」とか、「いいメッキのタンクがあの店で売ってたよ」とか、微に入り細に入りハーレーの話をしている。そういう奥深さというか話題の豊富さは、自分が今乗っている乗用車には皆無。性能的にはもちろん何の不満もないにせよ、たしかにこう、ハーレーが売っているのは移動の手段ではなく、ハーレーという話題、物語、概念、それを取り巻く生活そのものなんだなと思う
  • 障害者向けの椅子を開発研究していた人が到達した発見を、事務用の椅子に応用、成功した事例が興味深かった。内田洋行の「パルスチェア」という製品。文中のエピソードはとても興味深いし、その椅子が楽に座れる原理もまた、読者として納得の行くものではあるのだけれど、あの椅子は、そうした画期的な機能をもっとデザインで押し出しても良かったんじゃないかと思う
  • 機能を売りにするビジネスチェアは、アーロンチェアをはじめとしてたくさん販売されている。テンピュールの椅子なんかはデザインがグロいんだけれど、「この椅子にはこんな機能があるんだ !」というのをこれでもかと押してくる。あのデザインや機能は、必ずしもベストではないかもしれないけれど、機能というものは、デザインに教えてもらってから感覚すると、ありがたみがずいぶん違う。パルスチェアはそういう意味で、「ふつうのいい椅子」としてデザインされていて、あれはちょっと損をしているのではないかと思う。機能の開発は成果に到達していても、その機能がある文化の開発には、まだやれることがあるような気がする

読んでいて、読みながらいろいろと発想する、妄想が広がっていく余地がとても多い本だった。

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