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政治
【再び、拉致を追う】「外交史上初めて、日本のペースで主張した外交だった」安倍氏
「5人出張」
拉致被害者5人が帰国してから丸10年たった15日、藤村修官房長官は記者会見で「拉致問題の解決に向けた決意を新たにする」と強調した。いまでこそ、政府は拉致問題について「国民の生命と安全に直接かかわる重大な問題」(同長官)といい、5人の永住帰国も当たり前のように受け止められているが、10年前(平成14年)は違った。
永住帰国方針を決めるのにも紆(う)余(よ)曲(きょく)折(せつ)があった。当初、政府は日朝国交正常化の実現を最優先としていたためだった。北朝鮮にとってみれば5人をいったん日本に帰すのは、金正日総書記が拉致の事実を認めたことで沸き立った日本世論の懐柔策にすぎなかった。
5人には「いかに北朝鮮では優遇されて幸せな生活を送っているか」を日本国内で宣伝させた上で、10月末に再開予定の正常化交渉前に5人を呼び戻し、交渉カードとして活用するというのが北朝鮮の既定方針だった。5人が北朝鮮に戻ることは、交渉窓口を務めた外務省の田中均アジア大洋州局長との間でも「暗黙の約束」となっていた。
「『一時帰国』というのは日本側の言い方で、北朝鮮側は『5人出張』と呼んでいた。当初、期間は1週間と聞いたが、安倍晋三官房副長官が『いくら何でも短すぎる』と日数を延ばすよう指示した」
中山恭子内閣官房参与はこう記憶をたどり、「1週間のままだったら(永住帰国は)難しかった」と証言する。福田康夫官房長官も当時の政府内の空気を振り返る。
「『一時帰国ではなく帰してほしい』という交渉をしたと思うが、北朝鮮が『それはできない』ということで、やむを得ず『一時帰国でお願いする』となった。外務省がそう言っていたから、その通りにやるもんだと思っていた…」
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