
2005年8月14日、ヘリオス航空522便が地中海に浮かぶ小さな島、キプロスのラルナカ空港からギリシャのアテネ空港へのフライトを準備していた。
ヘリオス航空は1998年に設立されたキプロス初の民間航空会社。ジェット機4基で運営する、小さな格安航空会社であった。
その日、操縦を任されていたのは東ドイツ出身のハンス・メルデン機長、オンシーズンの時だけに雇われる臨時パイロットだった。
副操縦士はキプロス出身のパンボス・ボーズ、ヘリオス航空に5年前から勤務するベテランパイロット。
客室乗務員のカリスは24歳、彼女はこの日のフライトを楽しみにしていたという。
なぜなら、その日非番の予定だったフィアンセのアンドレアス・プロドロモウが彼女のフライトに合わせ、勤務スケジュールを変更してくれていたのだ。
25歳のプロドロモウは、旅客機のパイロットとなる夢を抱いていた。
それは、カリスにとっても同じ、いつか未来の夫が操縦する飛行機で業務するのが夢だった。

午前9時7分、522便はキプロスのラルナカ空港を離陸。
そして離陸後間もなく異変が訪れる。
離陸からわずか13分後、522便との交信が途絶えたのだ。
レーダーに機体は映し出されている。
もし通信装置の故障であれば地上から確認する術はない。
そのようなときは、パイロットは飛行計画に基づき目的地上空まで飛行し、元々通報してあった上空到着時間に飛行場に進入するという。
そのまま着陸態勢に入れば何も問題はない。
だが、現実はそうはならなかったのだ。
交信の途絶えた522便は着陸する気配を見せず、アテネ上空を旋回し始めたのである。

交信の途絶えた飛行機が旋回し続けている。911以降、このような事を聞いた時、最初に人々の頭によぎるのはテロ攻撃だ。
アテネ市の人口は300万人を越える。
万が一、旅客機が市街地に墜落すれば大惨事は免れない。
その時、アテネの管制センターでは、最悪の事態に備え、ギリシャ空軍への連絡を決断。
そして緊急事態の連絡はギリシャ空軍から、即座に、コスタス・カラマンリス首相(当時)に伝えられた。
午前10時55分、ギリシャ空軍F-16戦闘機に出撃命令が下った。
戦闘機は、旅客機がアテネ市外や空港近郊に墜落する恐れがある場合は撃墜するようにという厳命を受けていた。
1機が522便に接近し、もう一機は後ろの位置をキープ。
それは、522便をいつでも撃墜できるスタンバイでもあった。

戦闘機の呼びかけに522が応じる気配はない。
戦闘機は522便への最大接近を試みる。
そこで戦闘機のパイロットが目撃したものは、操縦桿にもたれ、微動だにしない副操縦士の姿。
しかも、機長の姿はどこにもなかったのである!
そして、乗客達の様子を確認すると、接近する戦闘機に反応するものは誰1人としていなかった。
乗客達は眠っているのか?それとも、すでに死んでいるのか?
その直後だった!!
戦闘機のパイロットがコクピット内に動く人影を発見した!
すると、522便が急降下を始めたのである!!

1万メートルを越える高さからの急降下。
そして高度2100メートルに達した時であった。
機長の席に座った人物が戦闘機に気づいたのである!!
戦闘機のパイロットは“空港まで誘導するので後に続くように”と、手で合図を送った。
だが・・・離陸からおよそ3時間後。
522便は左に大きく旋回し、アテネ北方の山岳地帯に墜落した!!
人口300万人を越える市街地への墜落は免れたものの、乗員乗客121名全員が死亡。
ギリシャ史上最悪の航空機事故となった。
乗員乗客121名を乗せたままアテネ空港の北西およそ30kmの山中に墜落した、ヘリオス航空522便。
ギリシャ国民に最初に知らされた悲劇は生存者が0という事実であった。
果たしてこれはテロだったのか?
そして何故機長は消え、副操縦士や乗客は何故身動き一つしなかったのか?

機体が墜落した以上、機内の状況を知る手がかりは限られていた。
一刻も早くブラックボックスを回収し、コクピット内の音声を解析する必要があった。
だが、墜落の衝撃でブラックボックス内のボイスレコーダーがなくなっていたのだ。
謎の究明は暗礁に乗り上げたかに思われた。
だが、回収された遺体の解剖によって、犠牲者となった乗客全員、墜落の瞬間まで生きていたことがわかったのだ。
機内に動くものがいないというパイロットからの報告で、有毒ガスですでに死んでいたという報道もあったが、検死官の報告からそうではないことが明らかになったのだ。
では、一体何故彼らは身動き一つしなかったのか?
そしてもしテロだとするならば、コクピットの人物はなぜ動き回る事ができたのか?
ボイスレコーダーが見つからない時点で機内の出来事は謎のままだった。
そこで、事故調査委員会のメンバーは、事故機の過去を洗い始めた。
すると、ある事実が判明した。
それは事故の8ヶ月前、同機体がポーランドからキプロスへ向かうフライト中の出来事だった。
離陸から2時間が経過した頃、乗務員が客席後方の異音に気づいたのだ。

客室乗務員からの連絡を受け、機長は機体を急降下させ事無きを得たのだが、実はそのまま放置していたら大事故に繋がる可能性があったのだ。
NTSB(国家運輸安全委員会)の調査結果で急減圧が発生していたことが判明したのだ。
旅客機が高度1万メートルを巡航する場合、機外の圧力は地上の約4分の1ほど。
つまり、それほど酸素濃度が低いということである。
その場合、呼吸から酸素を取り入れる立も4分の1になるため、1〜2分で意識を失う可能性があるという。
だが、旅客機の場合、与圧システムが働くため、乗客は普段通りの呼吸が可能なのだ。

与圧システムとは、空気を排出する量をバルブで調節し、機内の圧力を一定の範囲内に保つシステムのこと。
航行中旅客機はジェットエンジンから空気を取り込む、その際、空気を圧縮して適度な圧力にして客室内に送り込む。
だが、取り込む一方だと圧力が高くなりすぎるため、機体後方のバルブを開き空気を排出する。
取り込む空気と排出する空気を調節することによって、機内の圧力を一定に保っているのだ。
だが、機体にすき間などがあると、そこから空気が漏れ、上昇するにつれ機内の圧力が急激に低下、酸素濃度が低くなってしまうのだ。
8ヶ月前に起こった急減圧の原因は、機体後方のドアに開いた指が一本入る程度のすき間だった。
そこから機内の空気が漏れ出していたのだ。
その時は、緊急着陸の後、部品の交換など速やかに扉の修理が行われた。
修理している以上、再び機体に異常が発生しているとは考えられなかった。
そして、遂にボイスレコーダーが発見された!!
事故調査委員会によるボイスレコーダーと飛行データ記録の解析。
そして関係者からの証言によって、522便墜落の原因が遂に明らかとなる。

それは離陸から4分後のことだった。
機内に警報が鳴った。機長と副操縦士は、その警報はテイクオフ・コンフィグ・ウォーニングという警報だと気づいた。
そこで機長はすぐに、ヘリオス航空のオペレーションセンターに無線連絡を入れた。
テイクオフ・コンフィグ・ウォーニングは離陸の準備不全を知らせる警告、離陸後に鳴る事はあり得なかった。
飛行データ記録によると、その3分後にマスター警報装置が作動していた。
ボイスレコーダーには、冷却装置のランプが消えていることを訝る機長と、それは正常だという管制官、冷却装置のブレーカーの位置を聞く機長とのやり取りが記録されていた。
その後、522便からの交信が途絶え、それ以降、機長と副操縦士の声はボイスレコーダーに記録されていなかった。
そして・・・3時間後、522便は多くの謎を残したまま墜落。

機体の残骸から、警報に繋がる異常は発見されていない。
にもかかわらず、なぜ空中で鳴るはずのないテイクオフ・コンフィグ・ウォーニングが作動し、その後マスター警報装置までも作動したのか?
事故調査委員会は、冷却装置のランプが消えているのは正常なのにも関わらず、冷却装置のブレーカーの位置を聞いた機長に違和感を覚えた。
冷却装置は、異常に加熱された機械類を冷ますために作動するもの。
当然、作動していない状態、つまりランプが消えている状態が正常なのだ。
墜落現場から撮影されたコントロールパネルの写真で、バルブの操作がマニュアルモードになっていた事が判明。
事故調査委員会は、直ちにヘリオス航空の整備員から話しを聞いた。

それは、離陸前の点検で起きていた。
1気圧である地上で気密性を確認する場合、整備士は補助電源装置を使って空気を機内に取り込む。
その際、空気を排出するバルブを手動で操作できるマニュアルモードにする。
これにより、機体後方にあるバルブの開閉は手動で行う事ができるようになる。
そして、整備士は一旦バルブを閉じた。
その後、機内の圧力を計測、機内の圧力が上昇すれば、空気の漏れはないことになる。
この時、機内は加圧された状態。
当然テストが終われば、バルブを開け、空気を排出し、システムを自動に戻す必要がある。
そうする事で、航行中でもバルブの開閉具合は自動的に制御され、機内の圧力は一定範囲内に保たれるのだ。
だが整備士はバルブを開けたものの、システムを自動に戻す事なくその場を立ち去っていたのだ!!

数時間後、パイロット達がコクピットに入る。
この時、排出バルブの操作はマニュアルにセットされたまま。
パイロット達はそれに気づく事なく、離陸準備に取りかかった。
そして午前9時7分、522便はラルナカ空港を離陸。
高度が上昇してもバルブは開いたまま、当然気圧は低下し続ける。
そして、警報が作動。
実はここに今回の事故を引き起こした大きな原因が隠されていた。
警報は気圧の低下を知らせるものだったが、その音はテイクオフ・コンフィグ・ウォーニングと全く同じ音だったのである!!
明らかに2人のパイロットのミスだった。
彼らはバルブの操作がマニュアルになっていることを確かめる事なく、安易にテイクオフ・コンフィグ・ウォーニングが作動したと判断してしまったのだ。

だが、間違いに気づくチャンスはまだ残されていた。
高度5000メートルに近づいた時、マスター警報装置が作動し1分近く点灯状態が続いたのである。
では、マスター警報装置は一体何故作動したのか?
実は、客席に酸素マスクが落下したことを伝えていたのだ。
そして機長はオペレーションセンターに不自然な質問をする。
冷却装置のランプが消えているのは正常だと言われたのに、冷却装置のブレーカーの位置を聞いたのだ。
一体どうしてこんなことが起こったのか?
原因として考えられるのは低酸素症だという。
低酸素症とは、大気中の酸素が薄くなる事により、血液に酸素を送り込めない状態の事である。
しかも驚くべき事に、自覚症状がほとんど無いまま、次第に思考能力が低下。
気づいた時には、体を動かす事も出来ず、意識を失ってしまういという。

この時、客室同様、コクピット内の酸素も尽きかけていた。
そして、機長は低酸素症により意識を失ったのだ。
そしてまた、副操縦士も低酸素症により意識を失ったのだ。
これこそが戦闘機のパイロットが目撃した不思議な光景の原因だったのだ。
だがこの時、客室の誰1人コクピットの異変を知るはずもない。
酸素マスクの酸素の供給が続くのはおよそ12分、その目的は長時間酸素を供給することではない。
飛行機が安全な高度に降下するまで生命を維持するためのもので、現行の量で適切とされている。
そして、約12分後、乗客達は意識を失ったと考えられる。
522便は自動操縦によってアテネ市街地上空を旋回し続ける。
パイロットによる操作が行われるはずもなく、機体がアテネ空港に着陸する事はなかった。

機長と副操縦士が意識を失い、乗員乗客が深い眠りについていた機内で、まるで支配者のごとく徘徊し、コクピットに進入した謎の人物。
彼は一体何者だったのか?
墜落現場から回収されたコクピットの残骸、そこで発見された遺体の組織から、その謎の人物は客室乗務員のアンドレアス・プロドロモウだったことが判明した。
墜落直前のプロドロモウの行動について、ボイスレコーダーの音声、関係者の証言を元に、事故調査委員会はこう結論づけた。
離陸からおよそ8分後の午前9時15分、522便は上昇を続けていた。
と、突然、客席に酸素マスクが落下。
その後、プロドロモウは客席の後方でコクピットからの指示を待っていた。
旅客機は減圧に見舞われると通常ただちに高度を下げる。
だが、522便はそのまま上昇を続けた。
この時、プロドロモウは不審に思ったに違いない。
コクピットで何か問題が起こっているのではないか?
酸素マスクが落下してから12分以上が経過、機内の乗員乗客の殆どが意識を失っていた。
だが、プロドロモウが意識を失う事はなかった。
そして、コクピットに向かう決意をする。

プロドロモウは、スキューバダイビングの経験も豊富で、さらにキプロスの特殊部隊にも所属していたため、他の乗員乗客が意識を失う中、行動を起こす事ができたのだ。
ジェット旅客機の酸素マスクは、客席数より多く設置され、しかもそれぞれ単独で使用する事ができる。
彼は、余った酸素マスクを使い機内の前方まで進んだ。
酸素マスクだけでは限界があると感じたプロドロモウ、ボーイング737型機には、4本の携帯用酸素ボトルが設置されており、1本で1時間以上の酸素が補給できる。
回収された4本のうち、3本には使用された形跡があった。
そして、検出されたDNAからプロドロモウが使用したと考えられる。
しかし、一つの疑問が浮かび上がる。
酸素マスクが落下してからプロドロモウがコクピットに入るまで2時間以上が経過している。
なぜもっと早くコクピットに入らなかったのだろうか?

コクピットに向かったものの、彼は暗礁コードを知らなかった。
プロドロモウは、客室責任者のポケットなど、ありとあらゆる場所を探し続けた。
ボイスレコーダーには、コクピットを開けるために暗礁コードを入力した音が記録されていた。
コクピットに入ったプロドロモウは、副操縦士の意識を回復させようと、酸素マスクを付ける。
そして・・・オペレーションセンターに無線を入れた、だが、その声は管制官に届かない。
周波数が最後の交信をしたキプロスに合わせられていたのだ。

離陸から3時間、酸素は底を尽き始めていた。
そして彼は機体を立て直す事に最後の望みをかける。
実は、すでに手遅れだった。
522便は燃料切れに陥っていたのだ。
プロドロモウ以外の乗員乗客は、深い眠りに落ちていた。
せめてもの救いは低酸素症は、眠りに落ちるのと同じで、苦痛を伴わないことである。
苦痛と恐怖を体験していたのは、プロドロモウただ1人だった。
そして・・・プロドロモウは操縦桿を力一杯左に傾けた。
機体は市街地を避け、アテネ北方の山岳地帯に墜落。
機内でただ1人孤独な戦いを続けたプロドロモウ。
しかし、その努力が報われる事はなかった。
そして、パイロットになるという夢は、多くの尊い命と共にアテネ山中に消えてしまった。
ギリシャ史上最悪の航空機事故、その原因は小さなミスの連鎖だった。
もし、整備士がスイッチを自動に戻してさえいれば・・・
もし、警報が鳴った時、パイロットがテイクオフ・コンフィグ・ウォーニングと勘違いしなければ・・・
そして、もし、マスター警報装置が作動した時、酸素マスクが落下したことに気づいていれば・・・
一つでも小さなミスを防ぐ事が出来たなら、事故は起きなかったのである。
そして、この事故が契機となり、航空業界では様々な改革が行われた。

それまでの整備マニュアルでは、「スイッチは元の位置に戻す」と表記されていたのを「スイッチは自動にしなければならない」と、具体的な内容に書き換えられ、酸素マスクが落下したら、直ちにコクピットに知らせに行くという決まりができた。
格安を売りにしていたヘリオス航空、いくつもの人為的ミスが招いた事故とはいえ、安全対策が万全でなくてはならないことは言うまでもない。
飛行機が安全な乗り物であるということは変わりないが、航空会社の安全への意識で時にそれが揺らいでしまうことも事実なのである。
アテネ山中に建てられた慰霊碑、そこには現在、空の安全を見守るかのようにプロドロモウとカリス、2人の写真が飾られている。