遊びをせむとや生まれけん
第6囘「皇室制度に關する有識者ヒアリング」が開催されました。
今囘のヒアリングでは、京都産業大學名譽教授・所功氏と高崎經濟大學教授・八木秀次氏が意見表明をおこなったとのことです。そこで首相官邸で公開されてゐる議事録より、まづは所功氏の陳述について轉載し吟味していきたいとおもひます。議事録中の現代漢字現代假名遣ひはすべて原文のママです。
所氏の陳述の議事録を讀むにあっては、ヒアリングにともなって作成・公表された氏のレヂメを前もってお讀みいただくとわかりがいいかとおもひます。こちらも首相官邸のサイトで公開されてをります。氏のレヂメには氏の陳述において重要な視點となる近代以降の皇室の系圖が載ってをりますので、前提としてそれを理解していないと氏の陳述の本旨がつかめないおそれがあります。
さて、氏の意見は、…、皇室活動維持のため婚姻後の女性皇族も皇族の身分を保持するといふは有意義である、ただし根本的問題は皇位の安定繼承の確保であり、平成17年の「皇室典範に關する有識者會議」における皇位繼承の長子優先案は悠仁親王のご出生により論外となったが、將來的な改定も考慮しつつ、それにあっては男子繼承の優位を重んじつつ、少なからず存在した女性の繼承と女帝の子も大寶律令において親王・内親王とされた事實を無視してはならない、また同時に考へられたいはゆる「女性宮家」の創設に關しては出來るだけ早く法制下するべきであらう、…、といふ前提に立ちながら以下のやうに續けます。
すなはち、…、平安時代においては臣籍降下がおこなはれたとともに皇孫以下の皇族も宣下により親王と認められ、中世においては皇子以外の皇族も天皇の猶子として親王宣下と宮家設立そしてその繼承が認められた、そのうちいはゆる4親王家は近代までつづいたが、その親王家の世襲方法は男系男子による世襲であった、けれどもその大半が養子であり、女性皇族が當主となる場合もあった、明治・大正においていはゆる永世皇族制が否定されるが、その一方で明治天皇の直系の血縁を重視する考へから内親王の降嫁がおこなはれ、近代新設の4宮家はそこを基準とするといまでも皇族であるといへる、戰後に11宮家に屬する皇族51名が皇籍離脱を餘儀なくされ、いはゆる復歸もいはれるが、これについては神社界の言論人の反對意見もあって戰後ながく議論されてこなかった、もちろんこれからその道を探ることも充分に考へられてよいが現實には容易ではなからう、そこで差し當たりはやはり婚姻後も女性皇族が皇族の身分を保持する方途の早急な實現を考へたい、…、とします。
ついては、…、皇室經濟法に内親王・女王も獨立の生計を營むことが想定されてをり、そこに宮號をたまはれば女性宮家となるが、それは婚姻とともに皇籍を離脱するいはゆる1代宮家であり、この方策をいふものも多いが、これはあまりに一時しのぎの不適切な案である、そこで3世以下の女王も含めた女性宮家の設立を檢討するべきであるが、あくまで當主となる女性皇族が獨立の生計を營むといふものであり、配偶者は皇族の身分を有するが皇位繼承權は持ちえず、また將來的にも永世皇族とはしない方向で考へるべきである、これは確かに先例はないが、皇室の歴史で先例がなくともおこなはれ現在では當たり前となってゐるものも多く、祭祀についても問題なからう、同時に皇室會議の重要性を高めるめるべきである、またいはゆる尊稱付與も安易に選びとるのは適切ではないが、元内親王・元女王が皇室の活動を外からささへる公的な任務と待遇を明確にするのは現實的に意味がある、…、とするのです。
所氏の陳述はおほむね以上のとほりですが、非常に柔軟かつ筋のとほった意見であるとおもひます。けして依怙地ではなく、樣々な意見を丁寧にすくひあげてゐることは、認めるべきことです。歴史的な裏付けもよくされてをり、學ぶところも多いのではないでせうか。そして今囘の婚姻後の女性皇族の皇族身分の保持は一時的なものであり、終局的には皇位繼承問題について議論せざるをえないといふ點も同感です。
少くとも日本中世の皇家の歴史において、キーパーソンとなったのは常に女性でした。幾多の皇家のピンチも女性皇族が救ってきました。だからどうであるかうである、とはいひません。ぼくたちが皇家の歴史をどれだけ理解してゐるのか、皇家にどれだけの確信と自信があるのか、そこを問ひたいのです。「神皇正統記」における「正統」理念あるいは「世」の系列と「代」の系列における天皇の把握そして近世における「萬世一系」論の誕生と皇室典範の成立、こんなことを考へたことがあるでせうか。
ぼくはまだまだ「戲れせむとや」生まれたとはいへません。
○原室長
それでは、時間がまいりましたので、ただいまより第6回「皇室制度に関する有識者ヒアリング」を開催いたします。まず、京都産業大学名誉教授であり、また、モラロジー研究所教授の所功先生から御意見を伺います。御専門は日本法制史でございます。それでは、最初に長浜副長官より一言御挨拶を頂きます。
○長浜副長官
先生、本日はお忙しいところをお時間を頂き、誠にありがとうございます。今回で6回目となる本ヒアリングは、皇室の御活動の意義や女性の皇族の方に、皇族以外の方と婚姻された場合も御活動を継続していただくとした場合の制度の在り方等について、今後の政府における検討の参考とさせていただくため、開催するものでございます。今回取り上げる課題は、憲法や法律はもとより、我が国の歴史や伝統、文化等とも深く関連する大変難しいテーマでございますが、各界の有識者の方から幅広く御意見をお伺いし、今後行う制度検討をより実のあるものにしていきたいと考えております。どうぞよろしくお願いいたします。
○原室長
それでは、30分程度、最初に先生の方からお話をいただきまして、その後10分程度、質疑の時間を取りたいと思います。それでは、よろしくお願いいたします。
○所氏
失礼いたします。私は現在、モラロジー研究所に勤めております所功と申します。よろしくお願い申し上げます。
先般そちらから、数項目のお尋ねを頂いておりますので、それを踏まえて、別紙に全体の要旨と参考資料を用意いたしました。お手元に配られているかと思いますけれども、1枚は要旨でございます。もう一つのくくりは「宮家の来歴と今後の在り方に関する参考資料」が10枚ほどつづられております。それを用意いたしました。ただ、今日は時間も限られておりますので、重要な論点に絞りますことを、あらかじめお許し願います。
その前に、参考資料の量が非常に多いので、簡単に申し上げます。まず頭の1ページから3ページにわたる部分は、ほぼ今回陳述する中身の裏付けになる資料であります。4ページ以降は、先般ある論文に書き、著書にも入れました「四親王家と近現代宮家の継承次第」を系図化したものであります。次いで9ページは「近代宮家」のうちで、明治天皇の皇女が降嫁しておられる4つの宮家を中心に系図化してございます。さらに最後の10 ページは、現在皇室(内廷と宮家)の構成者略系図と、それが将来10年ごとにどういう形になるのかという年齢変化図と、もし「女性宮家」をつくる場合の在り方について、私なりに若干考えるところを図示したものであります。
それでは、「要旨」に大体沿って一部順不同に申し上げていきたいと思います。
現在の皇室は、平成に入りましてからも、昭和天皇をお手本とされます今上陛下が中心となられまして、皇后陛下を始め、内廷と宮家の皇族方に協力を得られながら、多種多様な御活動を誠心誠意お務めになっておられます。その御活動は、日本社会に本当の安心と安定をもたらしており、また国際社会からも信頼と敬愛を寄せられる大きな要因になっていると思われます。しかしながら、戦後、日本国憲法の下で法律として制定されました皇室典範は、明治の典範と同様の、かなり厳しい制約を規定するのみならず、さらに皇庶子の継承権をも否認しております。そのため、男性の宮家が減少し、皇族女子も次々に皇室から離れていかれますと、これまでのような御活動の維持が困難になることは避けられません。したがって、早急に改善をする必要があると思われます。そこで今回、「皇室の御活動の維持のため」ということを主な目的として、「女性皇族に婚姻後も皇族の身分を保持していただくという方策」に関する意見を求められたのでありましょう。それは時宜を得た有意義な取組であり、この方策に私は大筋賛意を表します。
ただし、より重い大きな目的は、皇位の安定的継承を可能にすることであります。その関連から、皇族たちの協力による御活動の維持を可能にする方法も考える、という全体的な構想と長期的な取組が必要だろうと思われます。この課題を検討するに当たり心すべきは、重要な皇室の問題だからこそ、想定内の通常方策だけでなく、想定外の非常対策も立てておくことであります。現に三笠宮殿下の場合、3名の男子が立派に成人されたにもかかわらず、御三男が10年前に47歳で急逝され、また御長男も最近66歳で病没されました。さらに御次男は結婚せずに独立して療養を続けておられます。しかも、孫世代の5名は全員が女性ですから、現行のまま推移すれば、早晩全て絶家とならざるを得ない状態にあります。このような事態を65年前に予想することは無理だったかもしれませんが、今後はあらゆる事態を予測して、万全の対策に取り組まなければならないと思います。
ここで少し振り返ってみますと、平成5年に結婚された皇太子殿下のもとに8年間ほど御子がなく、また兄君より3年前に結婚された秋篠宮殿下にも16年間ほど男子の誕生がありませんでした。そういう状況下で、平成17年秋、「皇室典範に関する有識者会議」の報告書がまとめられたことは、それ相応に評価されてよいと思われます。もっとも、そこで提示された結論のうち、制度的に女性天皇も継承者の長子優先も認めるという案は、翌年秋に悠仁親王殿下が誕生されて、当面論外となりました。しかしながら、もう一つの女性宮家を認めるという案は、7年後の今日、いわゆる結婚適齢期の皇族女子が数名おられますから、できるだけ早く法制化しておくべきだと思われます。
このような基本認識に立って、現行憲法が第1章に掲げる天皇制度の維持、皇室の永続に関する対策は、様々な可能性を十分に検討することが肝要であります。数年前から皇室への思い入れが強い人々の間で、具体策をめぐって若干の行き違いも見られますが、皇室を敬い、末永く守りたいという原点は、お互いに変わりないでありましょう。そうであれば、単純に「あれかこれか」ではなく、「あれもこれも」検討した上で、総合的な見地から現実的に対策を立て段階的に進めていくことが必要だと思われます。
そこで、最も重要な点を申せば、これは要旨の(2)辺りでありますけれども、「皇位の継承者は皇統に属する皇族」でなければならない。つまり、正統な血統と明確な身分を根本要件といたします。この点、現在、「皇統に属する男系の男子」が3代先(次の次の次)までおられますから、典範の第1条は当然現行のままでよいと考えられます。ただし、その間にもそれ以降にも、絶対ないとは言えない事態を考えれば、将来は改定する、ということを忘れてはならないと思います。その際に大切なことは、一方で従来の歴代天皇が全て男系であり、ほとんど男子であった、という歴史を重視するとともに、他方で古代にも近世にも8方10代の女帝がおられ、また大宝令制(701年)以来、「女帝の子」も親王・内親王と認められてきた、というユニークな史実も軽視してはならないことであります。
しかしながら、当面の課題は、言わば本家の皇位継承に関する問題を別におきまして、言わば分家に当たる宮家の存続方法について、改善策を見出すことにほかなりません。そのために、今春から既に5回、この会議でヒアリングが実施されております。その議事記録を全文熟読させていただきました。それによれば、10名全て、象徴天皇の存在意義と皇室活動の役割を積極的に評価されております。また、当面の改善策として諮問されました「女性皇族に婚姻後も皇族の身分を保持していただくという方策」については、ほぼ7名が賛成され、3名が反対しておられます。この約7対3という前者への高い支持は、最近報道された共同通信などの世論調査にも、近い数値が示されております。
そこで、要旨の(4)辺りでありますが、私はこの方策におおむね賛成する立場から、その理由を説明させていただきます。まず、宮家の歴史を簡単に振り返ってみますと、8世紀初め以来の大宝令制では、天皇の兄弟(姉妹)と皇子(皇女)を親王(内親王)と定めておったわけであります。しかし、平安時代に入りますと、一方で皇子(皇女)に生まれても臣籍(源氏など)に降下せしめられ、他方で皇孫以下に生まれても親王の宣下をこうむれば親王と称しうる、という例が開かれました。
しかも、中世には、皇子以外の皇族でも、時の天皇の猶子、つまり名目養子となり、親王宣下をこうむって宮家の称号を賜るのみならず、それを世襲する例が表れました。そのうち、近世から近代まで続いたのが、いわゆる四親王家であります。その四親王家がどのように世襲されてきたか調べてみますと、皇位と同様、男系男子が継ぐことを慣例としてきました。これは参考資料に詳しい継承次第系図が入れてありますので、後ほどご覧いただけたらと存じます。
しかしながら、正室の嫡子だけではなく、側室の庶子も公認されていた時代ですが、それでも実子による相続ができないため、天皇の皇子や他宮家の王子を養子に迎えた例が少なくありません。とりわけ桂宮家の場合、初代の智仁親王以後10代のうち、実子は3例のみ、あと7例は養子であります。しかも、途中で長らく、当主がおられない空主になっていた時期があり、幕末に至って、同家の家臣らから要請され、文久3年、西暦1862年に、孝明天皇や皇女和宮親子内親王の姉に当たられる敏宮淑子内親王が第11代の当主に就任しておられます。ただ、早く婚約していた閑院宮第5代の愛仁親王に先立たれ、一生独身を通されましたから、明治14年(1881)、その薨去により絶家となってしまいました。
次いで近代の宮家を見ますと、幕末から明治時代に設立された10以上の宮家当主は、ほとんど伏見宮家第20代邦家親王の王子たちであります。しかも、初めは1代か2代限りとされていましたが、やがて明治22年制定の皇室典範により、永世皇族とされました。ところが、それに対しまして、実は明治天皇もそうだったのですが、内大臣の三条実美、宮内大臣の土方久元、司法大臣の山田顕義などが、将来的に品位の低下と負担の増大を招きかねない、と危惧の念を抱き反対しております。そして、間もなく皇族の総数が過多となる現実を改めるために、明治40年、皇室典範増補によって、親王以外の王が臣籍(華族)に下るとか、また華族の養子となる道を開いております。
しかも、大正9年(1920)には、宮家当主であっても王の5世以下は全て臣籍に降下しなければならないという「皇族の降下に関する施行準則」ができあがりました。これによって、明治典範の永世皇族制は、実質的に否定されたのであります。
その一方、明治天皇は直系の血縁を重視されまして、4方の内親王(昌子・房子・允子・聡子さま)を近代新設の4宮家(竹田・北白川・朝香・東久邇の各宮家)に降嫁せしめておられます。しかも、東久邇宮家には昭和天皇の御長女(成子内親王)も降嫁されております。したがって、現皇室との血縁関係を、従来どおり男系(父系)だけでたどれば、伏見宮系の全宮家は40親等くらい離れておりますけれども、女系(母系)のつながりも重んじて考えるならば、明治天皇の皇女を1世として、降嫁4宮家の母系子孫たちに大正9年の準則を当てはめますと、玄孫の4世も、つまり現在ほとんど30歳代の方々でありますが、れっきとした皇族と認められることになります。
さらに、戦後の状況は、GHQの皇室弱体化政策によって、昭和22年(1947)、天皇の直宮を除く伏見宮系の11宮家に属する皇族(男女51名)が全員一斉に皇籍離脱を余儀なくされました。これは甚だ遺憾なことですから、5年後(昭和27年)の講和独立直後、その全員か希望者を皇籍に復帰できるようにすべきであった、と思われがちであります。ところが、昭和29年、神社界の指導的な言論人が書かれたものを見ましても、皇位継承は男系男子が原則なのであるから、「皇庶子の継承権を全面的に否認したのは同意しがたい」と批判しておられます。その上で、「事情のいかんに拘はらず、君臣の分義を厳かに守るために・・・・元皇族の復籍といふことは決して望むべきことではない」と厳しく注意をしておられます。その影響もあってか、旧宮家の復活論議は長らく遠慮されてきたように思われます。
それが約半世紀ほど経ちますと、平気で主張されるようになりました。例えば8年ほど前、ある若い保守系の論客は、「男系継承の原理を守るための安全装置」として、もはや「側室制度の復活は望めない」のであれば、結局、「旧11宮家の方々に皇籍に戻っていただく以外に方法はない」というようなことを繰り返し述べておられます。確かに、側室制度は既に昭和天皇が摂政時代に女官制度を改革して否定されたことでもありますから、それによって男子を得ることは許されません。一方、旧宮家の復活論も君臣の分義を厳守するためには、決して望ましいことだと思われません。
ただ、皇室の将来を考えれば、さまざまな可能性を探る過程で、旧宮家子孫の復活も一つの案として具体的に妥当性を検討されたらよいだろうと存じます。その場合、もし男系のみにこだわらなければ、旧宮家のうち、前述のとおり、明治天皇の4内親王が降嫁された4宮家において現存する御子孫、及び今上陛下の御生母(香淳皇后)が出られた久邇宮家の御子孫は、母方を通じて現皇室との関係が極めて近いわけです。したがって、その方々を優先的に検討対象とすることも考えられたらよいと思われます。
また、ほかの旧宮家、さらに旧華族も含めて、その子孫たちは皇室への理解が深く、立派な人格を備えた方が多いでありましょう。そうであれば、その中から今後結婚される皇族女子の伴侶が選ばれる際、有力な候補になられる可能性もあるかと思われます。
しかしながら、一口に旧宮家の子孫と言っても、大正の準則を適用されて、戦前に情願という形を採って降下した方々の子孫とか、また戦後、離籍後に養子として他家を継がれた方の子孫などもおられます。さらに嫡子と庶子の区別まで考えますと、それらの方々を特定して、皇籍の取得を法的に実現するようなことは、なかなか容易でないだろうと思われます。
そこで、あらためて歴史に学び、現実を正視しながら、将来への展望を開こうとすれば、中核的な皇位継承の原則は当面従来どおりとした上で、周縁的な皇族女子の処遇について、「婚姻後も皇族の身分を保持していただくという方策」を早急に実現する、という課題の解決から着手するのが当然でありましょう。
まず、現行典範の第12条が続く限り、皇族女子は一般男子と結婚なされば、皇族の身分を離れることになります。ただ、皇室経済法を見ますと、第6条に「皇族の品位保持」のために皇族費が定められております。その中に「独立の生計を営む親王」だけでなく、「独立の生計を営む内親王」の項があり、また「女王」の年額も「内親王に準じて算出」するとあります。つまり、内親王も女王も、親王や王と同じく、独立の生計を営むことが想定されております。そして、万一その方に宮号を賜れば、いわゆる女性宮家ができます。
しかしながら、それは皇族男子の桂宮宜仁親王殿下のように、皇族女子が結婚しないで独立されるケースかと思われます。そうであれば、その子孫が得られませんから、1代限りで終わってしまいます。この点は最近かなりの人々が考えておられる1代宮家論も同様であります。皇族女子のみが皇族身分を保持しても、結婚相手の夫とか、あるいはその子供を皇族と認めなければ、後が皇族として続かないわけですから、一時しのぎの不適切な案と言わざるを得ません。
したがいまして、現状程度かもう少し多い10前後の宮家を確保し、末永く維持していくには、当面まず女性宮家の設立と相続を可能にする必要があります。この女性宮家を認められる皇族女子は、その範囲が問題になります。要旨の(7)辺りでありますが、私は原則として、1世と2世の内親王だけでなく、3世以下の女王も全員可能とした上で、典範の原則にもあります直系・長系・長子を優先する方針により、御本人の意向や当代の事情を考慮しながら、皇室会議で検討して承認を得れば、辞退することができる、という運用の工夫も必要であろうと考えております。
これを失礼ながら、現在の方々に当てはめてみますと、未婚の皇族女子は内親王が3名、女王が5名おられます。そのうち、今上陛下の孫に当たる3名の内親王は、まず秋篠宮家の御長女が同家を継がれ、御次女が新しい宮家を立てられる。次いで皇太子家の御長女が新しい宮家を立てられるようにする。一方、三笠宮殿下の孫に当たる5名の女王のうち、寬仁親王家の御長女及び高円宮家の御長女は、それぞれ同家を継がれる。ただ、他の次女や三女は、姉君に代わって同家を継がれるということもありましょうが、原則として長女以外、皇族の身分を離れられてもよい、ということにしておく、という考えです。
さらに、そうして設けられる女性宮家は、現行の男性宮家のような永世皇族としない方がよいだろうと思います。やはり将来、それが増え過ぎることを防ぐためには、各宮家の相続者以外は順次皇籍を離れる、というような調整の準則をつくっておくべきであろうと考えております。
このような女性宮家の設立は、確かに前例がありませんから、いろいろ慎重に配慮しながら実現する必要があります。ただ、皇室の歴史を広く見渡せば、古代にアジアで初めて皇太后を女帝とし、初めて藤原氏を皇后に立て、中世まで前例のなかった男性宮家を設け、そのうち数家を世襲親王家とし、やがて桂宮家では皇女を養子に迎えて当主としましたが、これらはいずれも新例を開いたことになります。
この女性宮家では、皇族女子が当主となって独立の生計を営みますから、結婚する男性は入夫として皇族の身分を得ますけれども、当主になることはなく、もちろん皇位継承の資格を認められません。これは一般の家庭において、娘に他家から迎える男性を当主とする、いわゆる婿養子とは立場が異なります。
それに反対する人々から、女性は祭祀を行うことができないから当主にすべきでないとか、男性は世俗的な野心を持っているから皇族にしてはならない、というようなことが言われております。しかしながら、それは単純な誤解ではないでしょうか。申すまでもなく、宮中祭祀に最も奥深く奉仕するのは「内掌典」と称される女性であります。また、伊勢神宮で大宮司より上に立つ「祭主」を務めておられるのは、元内親王にほかなりません。さらに、今や全国的に女性の宮司も少なくありません。およそ祭祀、お祭りというものは、宮中であれ民間であれ、男性も女性も、けがれのないように心身を清め、真心を込めて奉仕をすることこそ、本質的に重要だと思われます。
もう一つ、世俗的な野心を持っている人は、恐らく男性だけでなく、女性の中にもないとは限りません。それ故に従来、皇族男子の結婚相手は、一般女子の中から最もふさわしい方を選び抜き、皇室会議の議を経て、決定されてきました。それと同様に、皇族女子の結婚相手も、男子の中から最もふさわしい方を探し求め、その際、旧宮家や旧華族の子孫に適任の男性があれば、選ばれる可能性も高いでしょうが、その方を皇室会議で吟味して決定するようにすべきだと思います。
そこで重要になるのが、皇室会議の役割であります。現行の皇室典範によれば、皇室会議の議員は皇族2名と三権の代表者8名からなり、やや形式的な役割しか果たせないことになっております。しかしながら、第10条の「立后及び皇族男子の婚姻は皇室会議の議を経ることを要する」という規定が改正され、男子にも女子にも適用されるならば、とりわけ皇族女子の婚姻により宮家を設ける場合、より実質的な審議を尽くすように運用してほしいと思います。
さらに、宮家の設立とか相続などは、天皇及び皇族たちにとってお身内の重大事でありますから、御希望や御意見を持っておられるに違いありません。その御意向は皇室会議の議員である2名の皇族を通じて、会議に伝えられることも可能でありましょう。しかし、むしろ議長の総理大臣が皇室に出向いて御意向を承り、それを会議で最も尊重してほしいと考えております。
最後でありますが、先般来のヒアリング記録を見ますと、皇族身分を離れても皇室関係のお仕事をしていただくために、婚姻後も内親王・女王の称号を用いられるようにするという案を支持する声が少なくありません。これは、旧典範の第44条にヒントを得たものでありましょう。しかしながら、当時の「皇室典範義解」によれば、「皇族女子の臣籍に嫁したる者は皇族の列にあらず。仍(なお)、内親王又は女王の尊称を有せしむること、必ず特旨あるをまつは、その特に賜る尊称にして、その身分に依るに非ざればなり」と特に注意しています。つまり、臣下との結婚により皇族という特別な身分を離れる女子に対する例外的な措置です。
そのために、約半世紀余りの旧典範時代に特旨を賜った実例を探しましても、大正9年、朝鮮王公族と結婚されました梨本宮家出身の方子女王への「お沙汰」以外には見当たりません。どれほど高貴な方でありましても、一旦皇室を出られたら、現行憲法のもとでは一般国民となってしまわれます。その方々に身分としての内親王あるいは女王という称号を便宜的に尊称として認めれば、皇室と国民の区別を曖昧にする一因となりかねません。したがって、こうした方法を安易に用いることは適切でないだろうと思われます。また、皇族女子であっても、結婚されましたら、その嫁ぎ先でのお仕事に主力を注がれるのが当然でありましょう。そういう元皇族に、それより重い皇室のご活動を公的に担っていただくことを制度化すれば、かなり無理をしいることになりかねません。
しかしながら、皇室に生まれ育って外へ出られました元内親王や元女王は、現皇室に最も近い大切な存在であります。そういう方々は現に名誉職的な役割を数多く引き受けておられますけれども、更に皇室の多様な活動を外から支え助けることのできる公的な任務と待遇を明確にしておくということは、現実的に意味があることであろうと考えております。
以上で公述を終わらせていただきます。
今囘のヒアリングでは、京都産業大學名譽教授・所功氏と高崎經濟大學教授・八木秀次氏が意見表明をおこなったとのことです。そこで首相官邸で公開されてゐる議事録より、まづは所功氏の陳述について轉載し吟味していきたいとおもひます。議事録中の現代漢字現代假名遣ひはすべて原文のママです。
所氏の陳述の議事録を讀むにあっては、ヒアリングにともなって作成・公表された氏のレヂメを前もってお讀みいただくとわかりがいいかとおもひます。こちらも首相官邸のサイトで公開されてをります。氏のレヂメには氏の陳述において重要な視點となる近代以降の皇室の系圖が載ってをりますので、前提としてそれを理解していないと氏の陳述の本旨がつかめないおそれがあります。
さて、氏の意見は、…、皇室活動維持のため婚姻後の女性皇族も皇族の身分を保持するといふは有意義である、ただし根本的問題は皇位の安定繼承の確保であり、平成17年の「皇室典範に關する有識者會議」における皇位繼承の長子優先案は悠仁親王のご出生により論外となったが、將來的な改定も考慮しつつ、それにあっては男子繼承の優位を重んじつつ、少なからず存在した女性の繼承と女帝の子も大寶律令において親王・内親王とされた事實を無視してはならない、また同時に考へられたいはゆる「女性宮家」の創設に關しては出來るだけ早く法制下するべきであらう、…、といふ前提に立ちながら以下のやうに續けます。
すなはち、…、平安時代においては臣籍降下がおこなはれたとともに皇孫以下の皇族も宣下により親王と認められ、中世においては皇子以外の皇族も天皇の猶子として親王宣下と宮家設立そしてその繼承が認められた、そのうちいはゆる4親王家は近代までつづいたが、その親王家の世襲方法は男系男子による世襲であった、けれどもその大半が養子であり、女性皇族が當主となる場合もあった、明治・大正においていはゆる永世皇族制が否定されるが、その一方で明治天皇の直系の血縁を重視する考へから内親王の降嫁がおこなはれ、近代新設の4宮家はそこを基準とするといまでも皇族であるといへる、戰後に11宮家に屬する皇族51名が皇籍離脱を餘儀なくされ、いはゆる復歸もいはれるが、これについては神社界の言論人の反對意見もあって戰後ながく議論されてこなかった、もちろんこれからその道を探ることも充分に考へられてよいが現實には容易ではなからう、そこで差し當たりはやはり婚姻後も女性皇族が皇族の身分を保持する方途の早急な實現を考へたい、…、とします。
ついては、…、皇室經濟法に内親王・女王も獨立の生計を營むことが想定されてをり、そこに宮號をたまはれば女性宮家となるが、それは婚姻とともに皇籍を離脱するいはゆる1代宮家であり、この方策をいふものも多いが、これはあまりに一時しのぎの不適切な案である、そこで3世以下の女王も含めた女性宮家の設立を檢討するべきであるが、あくまで當主となる女性皇族が獨立の生計を營むといふものであり、配偶者は皇族の身分を有するが皇位繼承權は持ちえず、また將來的にも永世皇族とはしない方向で考へるべきである、これは確かに先例はないが、皇室の歴史で先例がなくともおこなはれ現在では當たり前となってゐるものも多く、祭祀についても問題なからう、同時に皇室會議の重要性を高めるめるべきである、またいはゆる尊稱付與も安易に選びとるのは適切ではないが、元内親王・元女王が皇室の活動を外からささへる公的な任務と待遇を明確にするのは現實的に意味がある、…、とするのです。
所氏の陳述はおほむね以上のとほりですが、非常に柔軟かつ筋のとほった意見であるとおもひます。けして依怙地ではなく、樣々な意見を丁寧にすくひあげてゐることは、認めるべきことです。歴史的な裏付けもよくされてをり、學ぶところも多いのではないでせうか。そして今囘の婚姻後の女性皇族の皇族身分の保持は一時的なものであり、終局的には皇位繼承問題について議論せざるをえないといふ點も同感です。
少くとも日本中世の皇家の歴史において、キーパーソンとなったのは常に女性でした。幾多の皇家のピンチも女性皇族が救ってきました。だからどうであるかうである、とはいひません。ぼくたちが皇家の歴史をどれだけ理解してゐるのか、皇家にどれだけの確信と自信があるのか、そこを問ひたいのです。「神皇正統記」における「正統」理念あるいは「世」の系列と「代」の系列における天皇の把握そして近世における「萬世一系」論の誕生と皇室典範の成立、こんなことを考へたことがあるでせうか。
ぼくはまだまだ「戲れせむとや」生まれたとはいへません。
○原室長
それでは、時間がまいりましたので、ただいまより第6回「皇室制度に関する有識者ヒアリング」を開催いたします。まず、京都産業大学名誉教授であり、また、モラロジー研究所教授の所功先生から御意見を伺います。御専門は日本法制史でございます。それでは、最初に長浜副長官より一言御挨拶を頂きます。
○長浜副長官
先生、本日はお忙しいところをお時間を頂き、誠にありがとうございます。今回で6回目となる本ヒアリングは、皇室の御活動の意義や女性の皇族の方に、皇族以外の方と婚姻された場合も御活動を継続していただくとした場合の制度の在り方等について、今後の政府における検討の参考とさせていただくため、開催するものでございます。今回取り上げる課題は、憲法や法律はもとより、我が国の歴史や伝統、文化等とも深く関連する大変難しいテーマでございますが、各界の有識者の方から幅広く御意見をお伺いし、今後行う制度検討をより実のあるものにしていきたいと考えております。どうぞよろしくお願いいたします。
○原室長
それでは、30分程度、最初に先生の方からお話をいただきまして、その後10分程度、質疑の時間を取りたいと思います。それでは、よろしくお願いいたします。
○所氏
失礼いたします。私は現在、モラロジー研究所に勤めております所功と申します。よろしくお願い申し上げます。
先般そちらから、数項目のお尋ねを頂いておりますので、それを踏まえて、別紙に全体の要旨と参考資料を用意いたしました。お手元に配られているかと思いますけれども、1枚は要旨でございます。もう一つのくくりは「宮家の来歴と今後の在り方に関する参考資料」が10枚ほどつづられております。それを用意いたしました。ただ、今日は時間も限られておりますので、重要な論点に絞りますことを、あらかじめお許し願います。
その前に、参考資料の量が非常に多いので、簡単に申し上げます。まず頭の1ページから3ページにわたる部分は、ほぼ今回陳述する中身の裏付けになる資料であります。4ページ以降は、先般ある論文に書き、著書にも入れました「四親王家と近現代宮家の継承次第」を系図化したものであります。次いで9ページは「近代宮家」のうちで、明治天皇の皇女が降嫁しておられる4つの宮家を中心に系図化してございます。さらに最後の10 ページは、現在皇室(内廷と宮家)の構成者略系図と、それが将来10年ごとにどういう形になるのかという年齢変化図と、もし「女性宮家」をつくる場合の在り方について、私なりに若干考えるところを図示したものであります。
それでは、「要旨」に大体沿って一部順不同に申し上げていきたいと思います。
現在の皇室は、平成に入りましてからも、昭和天皇をお手本とされます今上陛下が中心となられまして、皇后陛下を始め、内廷と宮家の皇族方に協力を得られながら、多種多様な御活動を誠心誠意お務めになっておられます。その御活動は、日本社会に本当の安心と安定をもたらしており、また国際社会からも信頼と敬愛を寄せられる大きな要因になっていると思われます。しかしながら、戦後、日本国憲法の下で法律として制定されました皇室典範は、明治の典範と同様の、かなり厳しい制約を規定するのみならず、さらに皇庶子の継承権をも否認しております。そのため、男性の宮家が減少し、皇族女子も次々に皇室から離れていかれますと、これまでのような御活動の維持が困難になることは避けられません。したがって、早急に改善をする必要があると思われます。そこで今回、「皇室の御活動の維持のため」ということを主な目的として、「女性皇族に婚姻後も皇族の身分を保持していただくという方策」に関する意見を求められたのでありましょう。それは時宜を得た有意義な取組であり、この方策に私は大筋賛意を表します。
ただし、より重い大きな目的は、皇位の安定的継承を可能にすることであります。その関連から、皇族たちの協力による御活動の維持を可能にする方法も考える、という全体的な構想と長期的な取組が必要だろうと思われます。この課題を検討するに当たり心すべきは、重要な皇室の問題だからこそ、想定内の通常方策だけでなく、想定外の非常対策も立てておくことであります。現に三笠宮殿下の場合、3名の男子が立派に成人されたにもかかわらず、御三男が10年前に47歳で急逝され、また御長男も最近66歳で病没されました。さらに御次男は結婚せずに独立して療養を続けておられます。しかも、孫世代の5名は全員が女性ですから、現行のまま推移すれば、早晩全て絶家とならざるを得ない状態にあります。このような事態を65年前に予想することは無理だったかもしれませんが、今後はあらゆる事態を予測して、万全の対策に取り組まなければならないと思います。
ここで少し振り返ってみますと、平成5年に結婚された皇太子殿下のもとに8年間ほど御子がなく、また兄君より3年前に結婚された秋篠宮殿下にも16年間ほど男子の誕生がありませんでした。そういう状況下で、平成17年秋、「皇室典範に関する有識者会議」の報告書がまとめられたことは、それ相応に評価されてよいと思われます。もっとも、そこで提示された結論のうち、制度的に女性天皇も継承者の長子優先も認めるという案は、翌年秋に悠仁親王殿下が誕生されて、当面論外となりました。しかしながら、もう一つの女性宮家を認めるという案は、7年後の今日、いわゆる結婚適齢期の皇族女子が数名おられますから、できるだけ早く法制化しておくべきだと思われます。
このような基本認識に立って、現行憲法が第1章に掲げる天皇制度の維持、皇室の永続に関する対策は、様々な可能性を十分に検討することが肝要であります。数年前から皇室への思い入れが強い人々の間で、具体策をめぐって若干の行き違いも見られますが、皇室を敬い、末永く守りたいという原点は、お互いに変わりないでありましょう。そうであれば、単純に「あれかこれか」ではなく、「あれもこれも」検討した上で、総合的な見地から現実的に対策を立て段階的に進めていくことが必要だと思われます。
そこで、最も重要な点を申せば、これは要旨の(2)辺りでありますけれども、「皇位の継承者は皇統に属する皇族」でなければならない。つまり、正統な血統と明確な身分を根本要件といたします。この点、現在、「皇統に属する男系の男子」が3代先(次の次の次)までおられますから、典範の第1条は当然現行のままでよいと考えられます。ただし、その間にもそれ以降にも、絶対ないとは言えない事態を考えれば、将来は改定する、ということを忘れてはならないと思います。その際に大切なことは、一方で従来の歴代天皇が全て男系であり、ほとんど男子であった、という歴史を重視するとともに、他方で古代にも近世にも8方10代の女帝がおられ、また大宝令制(701年)以来、「女帝の子」も親王・内親王と認められてきた、というユニークな史実も軽視してはならないことであります。
しかしながら、当面の課題は、言わば本家の皇位継承に関する問題を別におきまして、言わば分家に当たる宮家の存続方法について、改善策を見出すことにほかなりません。そのために、今春から既に5回、この会議でヒアリングが実施されております。その議事記録を全文熟読させていただきました。それによれば、10名全て、象徴天皇の存在意義と皇室活動の役割を積極的に評価されております。また、当面の改善策として諮問されました「女性皇族に婚姻後も皇族の身分を保持していただくという方策」については、ほぼ7名が賛成され、3名が反対しておられます。この約7対3という前者への高い支持は、最近報道された共同通信などの世論調査にも、近い数値が示されております。
そこで、要旨の(4)辺りでありますが、私はこの方策におおむね賛成する立場から、その理由を説明させていただきます。まず、宮家の歴史を簡単に振り返ってみますと、8世紀初め以来の大宝令制では、天皇の兄弟(姉妹)と皇子(皇女)を親王(内親王)と定めておったわけであります。しかし、平安時代に入りますと、一方で皇子(皇女)に生まれても臣籍(源氏など)に降下せしめられ、他方で皇孫以下に生まれても親王の宣下をこうむれば親王と称しうる、という例が開かれました。
しかも、中世には、皇子以外の皇族でも、時の天皇の猶子、つまり名目養子となり、親王宣下をこうむって宮家の称号を賜るのみならず、それを世襲する例が表れました。そのうち、近世から近代まで続いたのが、いわゆる四親王家であります。その四親王家がどのように世襲されてきたか調べてみますと、皇位と同様、男系男子が継ぐことを慣例としてきました。これは参考資料に詳しい継承次第系図が入れてありますので、後ほどご覧いただけたらと存じます。
しかしながら、正室の嫡子だけではなく、側室の庶子も公認されていた時代ですが、それでも実子による相続ができないため、天皇の皇子や他宮家の王子を養子に迎えた例が少なくありません。とりわけ桂宮家の場合、初代の智仁親王以後10代のうち、実子は3例のみ、あと7例は養子であります。しかも、途中で長らく、当主がおられない空主になっていた時期があり、幕末に至って、同家の家臣らから要請され、文久3年、西暦1862年に、孝明天皇や皇女和宮親子内親王の姉に当たられる敏宮淑子内親王が第11代の当主に就任しておられます。ただ、早く婚約していた閑院宮第5代の愛仁親王に先立たれ、一生独身を通されましたから、明治14年(1881)、その薨去により絶家となってしまいました。
次いで近代の宮家を見ますと、幕末から明治時代に設立された10以上の宮家当主は、ほとんど伏見宮家第20代邦家親王の王子たちであります。しかも、初めは1代か2代限りとされていましたが、やがて明治22年制定の皇室典範により、永世皇族とされました。ところが、それに対しまして、実は明治天皇もそうだったのですが、内大臣の三条実美、宮内大臣の土方久元、司法大臣の山田顕義などが、将来的に品位の低下と負担の増大を招きかねない、と危惧の念を抱き反対しております。そして、間もなく皇族の総数が過多となる現実を改めるために、明治40年、皇室典範増補によって、親王以外の王が臣籍(華族)に下るとか、また華族の養子となる道を開いております。
しかも、大正9年(1920)には、宮家当主であっても王の5世以下は全て臣籍に降下しなければならないという「皇族の降下に関する施行準則」ができあがりました。これによって、明治典範の永世皇族制は、実質的に否定されたのであります。
その一方、明治天皇は直系の血縁を重視されまして、4方の内親王(昌子・房子・允子・聡子さま)を近代新設の4宮家(竹田・北白川・朝香・東久邇の各宮家)に降嫁せしめておられます。しかも、東久邇宮家には昭和天皇の御長女(成子内親王)も降嫁されております。したがって、現皇室との血縁関係を、従来どおり男系(父系)だけでたどれば、伏見宮系の全宮家は40親等くらい離れておりますけれども、女系(母系)のつながりも重んじて考えるならば、明治天皇の皇女を1世として、降嫁4宮家の母系子孫たちに大正9年の準則を当てはめますと、玄孫の4世も、つまり現在ほとんど30歳代の方々でありますが、れっきとした皇族と認められることになります。
さらに、戦後の状況は、GHQの皇室弱体化政策によって、昭和22年(1947)、天皇の直宮を除く伏見宮系の11宮家に属する皇族(男女51名)が全員一斉に皇籍離脱を余儀なくされました。これは甚だ遺憾なことですから、5年後(昭和27年)の講和独立直後、その全員か希望者を皇籍に復帰できるようにすべきであった、と思われがちであります。ところが、昭和29年、神社界の指導的な言論人が書かれたものを見ましても、皇位継承は男系男子が原則なのであるから、「皇庶子の継承権を全面的に否認したのは同意しがたい」と批判しておられます。その上で、「事情のいかんに拘はらず、君臣の分義を厳かに守るために・・・・元皇族の復籍といふことは決して望むべきことではない」と厳しく注意をしておられます。その影響もあってか、旧宮家の復活論議は長らく遠慮されてきたように思われます。
それが約半世紀ほど経ちますと、平気で主張されるようになりました。例えば8年ほど前、ある若い保守系の論客は、「男系継承の原理を守るための安全装置」として、もはや「側室制度の復活は望めない」のであれば、結局、「旧11宮家の方々に皇籍に戻っていただく以外に方法はない」というようなことを繰り返し述べておられます。確かに、側室制度は既に昭和天皇が摂政時代に女官制度を改革して否定されたことでもありますから、それによって男子を得ることは許されません。一方、旧宮家の復活論も君臣の分義を厳守するためには、決して望ましいことだと思われません。
ただ、皇室の将来を考えれば、さまざまな可能性を探る過程で、旧宮家子孫の復活も一つの案として具体的に妥当性を検討されたらよいだろうと存じます。その場合、もし男系のみにこだわらなければ、旧宮家のうち、前述のとおり、明治天皇の4内親王が降嫁された4宮家において現存する御子孫、及び今上陛下の御生母(香淳皇后)が出られた久邇宮家の御子孫は、母方を通じて現皇室との関係が極めて近いわけです。したがって、その方々を優先的に検討対象とすることも考えられたらよいと思われます。
また、ほかの旧宮家、さらに旧華族も含めて、その子孫たちは皇室への理解が深く、立派な人格を備えた方が多いでありましょう。そうであれば、その中から今後結婚される皇族女子の伴侶が選ばれる際、有力な候補になられる可能性もあるかと思われます。
しかしながら、一口に旧宮家の子孫と言っても、大正の準則を適用されて、戦前に情願という形を採って降下した方々の子孫とか、また戦後、離籍後に養子として他家を継がれた方の子孫などもおられます。さらに嫡子と庶子の区別まで考えますと、それらの方々を特定して、皇籍の取得を法的に実現するようなことは、なかなか容易でないだろうと思われます。
そこで、あらためて歴史に学び、現実を正視しながら、将来への展望を開こうとすれば、中核的な皇位継承の原則は当面従来どおりとした上で、周縁的な皇族女子の処遇について、「婚姻後も皇族の身分を保持していただくという方策」を早急に実現する、という課題の解決から着手するのが当然でありましょう。
まず、現行典範の第12条が続く限り、皇族女子は一般男子と結婚なされば、皇族の身分を離れることになります。ただ、皇室経済法を見ますと、第6条に「皇族の品位保持」のために皇族費が定められております。その中に「独立の生計を営む親王」だけでなく、「独立の生計を営む内親王」の項があり、また「女王」の年額も「内親王に準じて算出」するとあります。つまり、内親王も女王も、親王や王と同じく、独立の生計を営むことが想定されております。そして、万一その方に宮号を賜れば、いわゆる女性宮家ができます。
しかしながら、それは皇族男子の桂宮宜仁親王殿下のように、皇族女子が結婚しないで独立されるケースかと思われます。そうであれば、その子孫が得られませんから、1代限りで終わってしまいます。この点は最近かなりの人々が考えておられる1代宮家論も同様であります。皇族女子のみが皇族身分を保持しても、結婚相手の夫とか、あるいはその子供を皇族と認めなければ、後が皇族として続かないわけですから、一時しのぎの不適切な案と言わざるを得ません。
したがいまして、現状程度かもう少し多い10前後の宮家を確保し、末永く維持していくには、当面まず女性宮家の設立と相続を可能にする必要があります。この女性宮家を認められる皇族女子は、その範囲が問題になります。要旨の(7)辺りでありますが、私は原則として、1世と2世の内親王だけでなく、3世以下の女王も全員可能とした上で、典範の原則にもあります直系・長系・長子を優先する方針により、御本人の意向や当代の事情を考慮しながら、皇室会議で検討して承認を得れば、辞退することができる、という運用の工夫も必要であろうと考えております。
これを失礼ながら、現在の方々に当てはめてみますと、未婚の皇族女子は内親王が3名、女王が5名おられます。そのうち、今上陛下の孫に当たる3名の内親王は、まず秋篠宮家の御長女が同家を継がれ、御次女が新しい宮家を立てられる。次いで皇太子家の御長女が新しい宮家を立てられるようにする。一方、三笠宮殿下の孫に当たる5名の女王のうち、寬仁親王家の御長女及び高円宮家の御長女は、それぞれ同家を継がれる。ただ、他の次女や三女は、姉君に代わって同家を継がれるということもありましょうが、原則として長女以外、皇族の身分を離れられてもよい、ということにしておく、という考えです。
さらに、そうして設けられる女性宮家は、現行の男性宮家のような永世皇族としない方がよいだろうと思います。やはり将来、それが増え過ぎることを防ぐためには、各宮家の相続者以外は順次皇籍を離れる、というような調整の準則をつくっておくべきであろうと考えております。
このような女性宮家の設立は、確かに前例がありませんから、いろいろ慎重に配慮しながら実現する必要があります。ただ、皇室の歴史を広く見渡せば、古代にアジアで初めて皇太后を女帝とし、初めて藤原氏を皇后に立て、中世まで前例のなかった男性宮家を設け、そのうち数家を世襲親王家とし、やがて桂宮家では皇女を養子に迎えて当主としましたが、これらはいずれも新例を開いたことになります。
この女性宮家では、皇族女子が当主となって独立の生計を営みますから、結婚する男性は入夫として皇族の身分を得ますけれども、当主になることはなく、もちろん皇位継承の資格を認められません。これは一般の家庭において、娘に他家から迎える男性を当主とする、いわゆる婿養子とは立場が異なります。
それに反対する人々から、女性は祭祀を行うことができないから当主にすべきでないとか、男性は世俗的な野心を持っているから皇族にしてはならない、というようなことが言われております。しかしながら、それは単純な誤解ではないでしょうか。申すまでもなく、宮中祭祀に最も奥深く奉仕するのは「内掌典」と称される女性であります。また、伊勢神宮で大宮司より上に立つ「祭主」を務めておられるのは、元内親王にほかなりません。さらに、今や全国的に女性の宮司も少なくありません。およそ祭祀、お祭りというものは、宮中であれ民間であれ、男性も女性も、けがれのないように心身を清め、真心を込めて奉仕をすることこそ、本質的に重要だと思われます。
もう一つ、世俗的な野心を持っている人は、恐らく男性だけでなく、女性の中にもないとは限りません。それ故に従来、皇族男子の結婚相手は、一般女子の中から最もふさわしい方を選び抜き、皇室会議の議を経て、決定されてきました。それと同様に、皇族女子の結婚相手も、男子の中から最もふさわしい方を探し求め、その際、旧宮家や旧華族の子孫に適任の男性があれば、選ばれる可能性も高いでしょうが、その方を皇室会議で吟味して決定するようにすべきだと思います。
そこで重要になるのが、皇室会議の役割であります。現行の皇室典範によれば、皇室会議の議員は皇族2名と三権の代表者8名からなり、やや形式的な役割しか果たせないことになっております。しかしながら、第10条の「立后及び皇族男子の婚姻は皇室会議の議を経ることを要する」という規定が改正され、男子にも女子にも適用されるならば、とりわけ皇族女子の婚姻により宮家を設ける場合、より実質的な審議を尽くすように運用してほしいと思います。
さらに、宮家の設立とか相続などは、天皇及び皇族たちにとってお身内の重大事でありますから、御希望や御意見を持っておられるに違いありません。その御意向は皇室会議の議員である2名の皇族を通じて、会議に伝えられることも可能でありましょう。しかし、むしろ議長の総理大臣が皇室に出向いて御意向を承り、それを会議で最も尊重してほしいと考えております。
最後でありますが、先般来のヒアリング記録を見ますと、皇族身分を離れても皇室関係のお仕事をしていただくために、婚姻後も内親王・女王の称号を用いられるようにするという案を支持する声が少なくありません。これは、旧典範の第44条にヒントを得たものでありましょう。しかしながら、当時の「皇室典範義解」によれば、「皇族女子の臣籍に嫁したる者は皇族の列にあらず。仍(なお)、内親王又は女王の尊称を有せしむること、必ず特旨あるをまつは、その特に賜る尊称にして、その身分に依るに非ざればなり」と特に注意しています。つまり、臣下との結婚により皇族という特別な身分を離れる女子に対する例外的な措置です。
そのために、約半世紀余りの旧典範時代に特旨を賜った実例を探しましても、大正9年、朝鮮王公族と結婚されました梨本宮家出身の方子女王への「お沙汰」以外には見当たりません。どれほど高貴な方でありましても、一旦皇室を出られたら、現行憲法のもとでは一般国民となってしまわれます。その方々に身分としての内親王あるいは女王という称号を便宜的に尊称として認めれば、皇室と国民の区別を曖昧にする一因となりかねません。したがって、こうした方法を安易に用いることは適切でないだろうと思われます。また、皇族女子であっても、結婚されましたら、その嫁ぎ先でのお仕事に主力を注がれるのが当然でありましょう。そういう元皇族に、それより重い皇室のご活動を公的に担っていただくことを制度化すれば、かなり無理をしいることになりかねません。
しかしながら、皇室に生まれ育って外へ出られました元内親王や元女王は、現皇室に最も近い大切な存在であります。そういう方々は現に名誉職的な役割を数多く引き受けておられますけれども、更に皇室の多様な活動を外から支え助けることのできる公的な任務と待遇を明確にしておくということは、現実的に意味があることであろうと考えております。
以上で公述を終わらせていただきます。