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昔の魔法少女ってこんなんだったよな幼女が大人になって不思議体験みたいな?いつから、銃器や剣や槍で戦うようになったんだ
キタ━━━(゚∀゚)━━━!!
>ニートはいい…
コーラ飲んでゲップ…ゴァーッ!!
屁死・カルメル
バトル系魔法少女は昔もあったね
布団を敷こう、な?
闘うために鍛えたんでごわす
今日も道路に棒を立てまくったぜ!!
昔は夢を叶えるための手段だったが今は運命を切り開くための武器になったからな
>>バトル系魔法少女は昔もあったね 戦う女性系はたしかにねなんといってもこのジャンルの良い所は”スタイリッシュで華麗に戦い勝利する”所だなしかもセックスアピールのおまけつき
魔法少女の定義が広すぎてもうわけわかめ
某局で料理作ってるだけの魔法少女なんか可愛いもんなんだな
こういうぷにっとしたキャラがなつかしい
戦わない魔女っ子はジュエルペットだけになってしまった微妙に戦ってるような気がするがガチバトルではない
>No.8777323ナタが斬艦刀に見えた俺は疲れてるのだろうか
>バトル系魔法少女は昔もあったね 超クソゲーって本にハニーやサリーやルンルンが出てくる魔女っ子大戦みたいなゲームが挙がっていて少々的外れな扱き下ろされ方していたけど初っ端から「魔女っ子なのに何故かキューティーハニーがいるのは置いといて…」って書かれていた
ハニーは魔法じゃなくて空中元素固定装置だからね
>バトル系魔法少女は昔もあったねそれらは別ジャンルとして存在してた格闘マンガとスポーツマンがくらいはジャンルが違った今の魔法少女はテニプリみたいにスポーツを騙りながら戦闘してるようなものだから
>昔の魔法少女ってこんなんだったよな>幼女が大人になって不思議体験みたいな?>いつから、銃器や剣や槍で戦うようになったんだ中間的な存在としてCCさくらがあったさくらはバトルとはちょっと違うんだけどもその後、プリティサミーやなのはみたいなネタ魔法少女(スピンオフ魔法少女)が戦闘主体になってって、なのはが変にブレイクしたせいでそれを真似るのが一気に増えた
セーラームーンだろ流れ変えたの
OVAだとセラムン直前にも妖子とかあったんだけどね
>>バトル系魔法少女は昔もあったね>>それらは別ジャンルとして存在してた>格闘マンガとスポーツマンがくらいはジャンルが違ったそれじゃあ別ジャンルのほうが主流になちゃったってだけなんじゃあないんですかい
10歳が16歳になったところで大人になったとかせめて36歳くらいになれよ
>セーラームーンだろ流れ変えたのセラムンは明らかにキューティーハニーの直系のバトルヒロインで魔法少女要素ないじゃないか
魔法はともかく「女の子が戦う」という要素だと、車田正美「スケ番あらし」をあげていいかなあの当時は女の子が戦う漫画って斬新だったっぽいし
初期の魔法少女は金髪で目が青かったように、西洋人だった。魔法の国(つまり豊かな欧米)からまだ戦後の貧しい日本にホームステイして、物質(魔法の力)だけではダメだと学ぶ話だった。これがクリィミーマミから、日本人少女が小動物に期間限定の魔法を授かるパターンになる。物語は自分の幸せを追求する話で貧困など社会的な題材はほとんど扱われない。しかし他人の幸せが自分の幸せにつながるのだというテーマは同じだった。セラムン・さくら以降はバトル要素が加味されて別物。
大人になることは夢のひとつだったからね
書き込みをした人によって削除されました
魔法少女の草分けってひみつのアッコちゃん?
サリーちゃんのほうが古いかな実際見たことないけど懐かし番組とかで白黒だったし
魔法少女と変身少女ものって同類なん?まぁセラムンもプリキュアも不思議な力で変身してアイテムから技出したり魔法みたいなものだけどさでも魔女っこでも変身しないのもあるよねCCさくらの衣装替えは普通に着替えてるだけだし
この話し始めると長くてキモくなるんだが……まずそもそも東映の魔女っ子は「奥様は魔女」のサマンサが起源実写ドラマであり女優が子供たちより年上であった「コメットさん」は「メアリー・ポピンズ」の「年上のお姉さん」要素が強い(だから「さん」付けで呼ばれる)あと、アラビア系の「小さな魔女ジニー」はアクビちゃんの起源だけど他に継承者がいない東映魔女っ子は主人公が生来の魔女か何らかの理由で魔法を授かった一般人かでサリー系とアッコちゃん系に分けられる戦う魔法少女は特撮の「好き好き魔女先生」のアンドロ仮面の要素がキューティーハニーに収斂してアニメに入ってきた
「好き好き魔女先生」がそもそもかぐや姫ネタだったのはセラムンに通じるところがある東映魔女っ子は「メグちゃん」や「魔法のマコちゃん」で少女の女性性に傾斜していったがそのたびに反動を起こし退行(「魔法のチャッピー」「さるとびエッちゃん」)したが、怪物番組「キャンディキャンディ」から恋愛とロードムービー要素、そして自分の人生について思い悩む要素を受け継いだ「花の子ルンルン」が誕生する
「花の子ルンルン」によって魔女っ子は自らの思春期的課題に向き合わざるを得なくなったが、東映は再び反動と退行を繰り返す(「ルンルン」の成功要素を全く理解しなかった「魔法少女ララベル」は再びご町内に戻ってしまった。これが「魔法少女」の名の初出なのは歴史の皮肉)ここで東映魔女っ子はいったん休止し、魔女っ子の要素を葦プロ(「ミンキーモモ」)が、そして新たな思春期的課題をぴえろ魔法少女が受け継いでいくことになる
かつて魔女っ子がご町内やクラスの問題に立ち向かっていたのと違い、ミンキーモモは「大人」に変身しプロフェッショナル性を身にまといぴえろ魔法少女はあこがれであった「アイドル」に変身するだがぴえろ魔法少女は変身によってアイデンティティを引き裂かれる運命を背負っていた恋する少年は変身後の姿に夢中になり自分自身には何も残らないしアイドルとしての能力も自分自身のものではない自らの力で手品を学び「魔法を返す」選択をしたマジカルエミによってこの矛盾は解消されたやはり思春期の課題は魔法ではなく自らの手で解決して行かなければならないのだ、と
その後アイドルが少女たちの「魔法でなければかなわない」夢ではなくなり細々と葦プロ系などでかつての魔女っ子の血を引く作品が作られていったその一方で、東映特撮では不思議シリーズが美少女仮面ポワトリンの登場によりコミカルな特撮ヒロインシリーズに変化これが伏流水のようにアニメ界に流れ込み、「美少女によるアニメ版戦隊物」として「美少女戦士セーラームーン」が登場する
セーラームーンはかつてのぴえろ魔法少女のように戦う自分と日常のギャップや恋に悩むことなく、恋人も友も敵もあらゆる運命を「前世」に根拠を持つ世界観だった(>CLAMP的運命論)セーラームーンのフォロワーたちは山ほど生まれたが多くは同じ運命観を共有していて思春期的課題に直面することはない
このころかつて魔法少女をオタク的に見ていた世代がクリエイターとなり新たなパロディとしての魔法少女が生まれそして拡散していく(「魔法少女プリティサミー」など。この作品のマッチポンプ的な世界観や著名作のスピンオフという手法は後の影響が大きい)同じ現象が東映にも影響する。「おジャ魔女どれみ」はかつての魔女っ子のテイストを色濃く受け継ぐ作品(初期メンバーのうちあいことはづきのキャラ設計と「サリー」のよしことすみれの類似など)だったが、同時に「セーラームーン」の「戦隊要素」をも受け継いでいた(ヒロインの複数化)そして「キャンディキャンディ」の夢再びと目論んで失敗した「ナージャ」を挟んでプリキュアシリーズは誕生する特撮に由来するセーラームーンの血筋を色濃く残し、運命論により思春期の課題を持たないプリキュアたちは魔法少女とは別の「変身美少女」あるいは「美少女戦士」だと思う同じく「魔法少女」を名乗っていても特撮の要素が強いなのはシリーズなども同じく「変身美少女」あるいは「美少女戦士」カテゴリーだと個人的には考える
あ、あともう一つRPGゲームに由来する「職業としての魔法使い」ってのもまた別ねそれ自体がプロフェッショナルであり「未熟な存在でありアイデンティティを模索してる」という要素とは全く相反する者だから以上。この時間に長文、そしてこの内容我ながらキモすぎる
牙を抜かれた存在が、嘗ての雄雄しさを取り戻そうと足掻き、抵抗していく流れのようにも見えなくも無い
>No.8780618〜そうそう、「サリー」あたりからはじめるとこれくらいの文章になっちゃうでしょう。お疲れ様です。「魔法使い」「魔女っ子」「魔法少女」「魔法の〜」の肩タイトルだと、例外もありそうだけど「魔法少女」は生来の能力じゃないことが多いみたい。>いつから、銃器や剣や槍で戦うようになったんだテレビで放映され比較的メジャーだったのって「レイアース」あたりでは?当時のRPGブームや「ワタル」あたりの影響がありそうな無さそうな...
他作品のスピンオフ魔法少女が諸悪の根源だろうな具体的には、なのはあれが魔法少女を名乗らずに魔女とか魔法戦士とか魔導少女と名乗っていれば「戦う魔法少女」なんて流れにはならなかったと思う
語るなぁあと、明らかな百合の元祖はコノ二人セラムンほど女の子同士が仲が良いアニメはコレ以前には無かった要素セラムン以前は友達の領域を越えるほどではないしルンルンなんて特定の女友達がライバルだけだったりする森沢優もOVAになって初めてクラスメイト以上の友達が出来るくらいだしモモもレギュラーになるほどの友達がいない
今、プリキュアでロボットネタやってるけど、戦い魔法少女ってこれと同じような『ネタ組み合わせ』だったんだよね「普通はこの組み合わせはないけどネタでやってみよう」っていうのが今の主流になってしまった皮肉
スピンオフの用法は違ってない?作品キャラや世界観の別売りがスピンオフでプリティーサミーや小麦などがスピンオフ作品。No.8781465氏の言いたいのは「オマージュ」じゃない?No.8780618〜氏も丁寧に説明して頂いたが、戦う魔法少女だけど、古い作品でも全く戦わない訳ではなく、泥棒やら悪魔相手に戦う話が1、2話混ざる事は多かった。あとスケバン刑事あたりを起点とする「バトル少女」モノも忘れちゃいけないと思う。現在の戦闘メインの魔法少女は魔女少女とバトル少女の合流であると言えると思うよ
剣を持つとか仲間が複数集まるとかは魔物ハンター妖子でかなり確立されたっぽいと記憶してるんだが名前あがんないな
>スピンオフの用法は違ってない?>作品キャラや世界観の別売りがスピンオフでプリティーサミーや小麦などがスピンオフ作品。>No.8781465氏の言いたいのは「オマージュ」じゃない?なのはは元々「とらいあんぐるハート」っていうエロゲのスピンオフだよ?
スピンオフっつーか元々はファンディスクの1コーナーでサミーとかのオマージュ作品だったはず
>>No.8782630サンクス!不勉強ですみませぬ><
No8780618 長文レスお疲れ様です。おおむね同意です。ただ、「戦う魔法少女」のラインについてはセーラームーンを戦隊系変身ヒロインものとしてもっと明確に切り分けても良かったと思います。ガチで(1対1的な)バトル始めた魔法少女というと個人的にはプリティサミーかなと思います。スピンオフでという似た経歴はともかく男性向け魔法少女モノとして濃縮還元したのがなのは。あと、90年代以降はクリエイターのオタク化もあるけど現実・非現実というより女の子向け・男性向けという切り分け方もあるかとスピンオフモノは明らかに後者だし
あと>当時のRPGブームや「ワタル」あたりの影響がありそうな無さそうな...レイアースはコミック・セガサターンでのRPG化・アニメの話がほぼ同じ時期に展開していたのでちょっと違うかと下手したらサターンの売り出しにキャラデザCLAMPで幅広い年齢層にPRできるRPGを企画したら(アニメもイケるんじゃない?)(セガでヨネザワ買収しておもちゃも始めたから女子向けおもちゃを・・・)(じゃあコミックをセーラームーンと同じなかよしで・・・)なんていう所謂メディアミックスじゃないでしょうか?変身もするけどロボットまで出す辺りこれもやはり魔法少女というより特撮ヒーロー+セラムン的変身ヒロイン+RPGのような気がします。
>No.8782696 ご指摘・解説ありがとうございます。「魔法少女」ではなく「魔法騎士」なんですよね、考えてみれば。むしろ戦わなければ話にならない、しかし「魔法少女」が戦うと...やはり肩書きが原因なのでしょうか?そういえば、ぴえろの魔法少女もOVAではバトルしてますよね?(怪物退治か何かを。うろ覚えですみません)脈絡の無い書き込みではありますが...
長文のキモい人です>8780829>8782030>8782695皆様キモい考察にお付き合いいただきましてありがとうございますまだまだ自分も不勉強なのですがNo.8780574氏の>魔法少女と変身少女ものって同類なん?という問に対しては「起源を異にするもの」だという考えですもっとも「魔法少女=思春期的課題に取り組む魔女っ子」という自分の考えは狭量にすぎる気もしますので皆さんの解釈も伺いたいところ
サリー的な生来の魔女っ子=ホームステイしている西洋人というNo.8779618氏の解釈には唸らされましたただ、異世界にルーツを持つ客人であるがゆえに居場所を失うことを恐れアイデンティティ危機に陥った境界例の見本のようなサリー(最終回の、学校を救うためみんなの前で魔法を使うことを選択するシーン)とそもそもアイデンティティ危機を感じることなく遠くはなれていた父のもとに戻ったひみつのアッコちゃんとの差を考えるとアッコ系が主のはずの魔法少女たちに宿った思い悩む心の起源はサリーが最終回で見せた涙だったのかもしれません
このジャンルは「キャンディキャンディ」のような少女もの「すきすき魔女先生」を始めとする特撮「さすらいの太陽」以来の芸能界アニメなどさまざまな他ジャンルの影響を受けている点がはっきりとうかがえて考察するのが面白いです逆にぴえろ魔法少女の断絶でジャンルが下火になったことがDNAを残す形でポワトリンの登場の呼び水になるなど「魔法少女アニメ」が他ジャンルに与える影響も大きい大友向けOVAブームの影響や女児向けとみせかけた大友向け、なんていうものももっと考察していくべきかもしれません>(じゃあコミックをセーラームーンと同じなかよしで・・・)女児向けアニメと掲載雑誌を俯瞰するといわゆる音羽系・一橋系の競争なんていうのも見えてきて面白いですね
異なる例も多いとは多いけど、大雑把に分類して、起源で分けるとA:正体を隠した異邦人→魔法少女?(魔女っ娘)B:特殊な能力を与えられた一般人→変身少女?目的で分けると1:特定の目的は無し2:目的がある(人助け、何かの捜索など)3:戦うことが主目的となるのかな?混ざり合って混沌としているとは思うけど。
おー、なんかいつのまにか良スレになってる懐かしくも良い感じの分析を楽しく読ませて貰いましたこうして見ると時代背景や流行の変化とかも面白いね
ミンキーモモ(空)かな盗みもするしロボにも乗るぜ
年齢層が高いのか80〜90年代の話が多いので自分からプリキュア考察を一つ世界の破滅と戦う90年代(ななこSOSやセーラームーン)からプリキュアは「世界の命運も大事だけど日常が大事」というコンセプトを打ち出した(もっともどれみはその先駆けだと思うが)しかしそれだけだとドラマにならないので後のシリーズでは成長(MHや5、ハトプリ)や敵との和解(SS、フレッシュ、スイート)要素を取り入れていった現行のスマイルは五人と妖精の日常⇔戦いを延々と描き続けていてある意味先祖帰りした印象つまりプリキュアにとって戦闘は学校のテストや親の小言と同レベルの存在まで落ちたと思うその一方でビジネスとしてオタク層をターゲットに取り込んでいる以上効率的に劣情を煽る戦う魔法少女というパッケージはこれからも残り続けるんだろうな(そしてそれを皮肉ったのがまどマギだったんだ訳で)
タイトルに「魔法少女」を含むアニメはネタアニメ魔法少女って冠する事で興味を引こうとしてるけど中身はそうじゃないっていうあらわれ
ちなみにモマエら子供いんの?
しかしなぜ魔法を使わない娘でも魔法少女なのか
なのはは魔導師まどかは魔女の卵
いやプリキュアとかの方キューティーハニーなんてアンドロイドだったよね変身も科学の力じゃね
高度な科学は魔法と見分けが付かなくなるってばっちゃが言ってた
サリーちゃんもマハリクマハリト〜 とかで敵爆砕してたじゃん
PSOも魔法はマジックでなく、テクニックだもんな
魔女っ子ファン垂涎の逸品…なのか?
魔女の子供が「魔女っ子」魔法を手に入れた少女が「魔法少女」魔法をぶっ放して戦うのは「魔導士」魔法の力を借りて物理戦闘するのは「魔法戦士」
プリキュアについては初期の2シリーズしか見られてないんで考察ありがたいですプリキュアにとって戦闘は日常にすぎない、ってのは「常在戦場」みたいで面白いですけど、終わらない日常の連続は「思春期的変化の暗喩」としての魔法=ファンタジー要素ではないわけですその時点で魔法は魔法でなくなっている…もっともプリキュアのメイン視聴者は就学前の女児であるぁら「思春期的課題」よりも「あこがれのお姉さんの生活」を楽しく描くことが主目的なのでしょう大友向け視点と同様に主視聴層の推移も考えていくべきかもしれませんまどか☆マギカについても考察したいところですがあちらにつながるミッシングリンクとしては「愛ゆえの闘いの物語」であった「舞−Hime」の存在をもっと重視しないといけないかもと考えていますところで混ぜっ返すようで申し訳ありませんが>世界の破滅と戦う90年代(ななこSOSやセーラームーン)90年代のセーラームーンフォロワーで「SOS」は「ナースエンジェルりりかSOS」ですね
魔導師リリカルなのは魔法戦士まどかマギガうーん売れないね
魔女っ子や魔法少女だとロリだが魔女だとBBA臭くなる
>ところで混ぜっ返すようで申し訳ありませんがむしろ誤りを指摘してくださってありがとうございます主視聴層(女児)を考慮すると制作側の少女に求める成長願望の推移が70年代東映=姫(よき妻)から80年代ぴえろシリーズ=アイドル、90年代=本当の自分(exセーラームーンなら前世)ゼロ年代=今の自分の肯定みたいに考えるとすっきりしますが図式的過ぎますね魔法についてですがむしろ終わらない日常(であると同時に非日常)というのは思春期で終わるべき万能感と葛藤としての魔法が大人になっても終わらない現代社会の反映ではないでしょうか(魔法少女かは微妙ですが廻るピングドラムはまさにその点から観ることができます)
>>魔女っ子や魔法少女だとロリだが魔女だとBBA臭くなる そこで「魔少女」ですよっ!
魔法少女ものの基本は、他人の幸せが自分の幸せにつながるのだというテーマ。だから他者のために魔法を使う。ぴえろ魔法少女はアイドルという自己実現を大テーマに置きながら、しかし各話を見ると他者のために魔法を使うことが多かった。基本的に魔法少女ものというのは、女の子の情操教育なのだから。まどかマギカは他者の幸せを考える究極のパターンを生み出した。対して、アメリカのオタはセラムン以降のバトル少女ものを魔法少女ものとして完全に同一視している。これはつまり、この板の若い層がセラムン・さくら以降の魔法少女しか知らないことと類似している。年齢的にはいたしかたのないこと。
東映魔法少女は最終回で魔法(物質的な豊かさ)が絶対ではないと学んで魔法の国に帰る。ぴえろ魔法少女も最終回で魔法を返上するのがパターンだった。大人になって最終回。対してセラムン、さくら、なのはなどでは魔法を返上しない。つまり大人にならない永遠の魔法少女。視聴者である男性が、永遠にボクだけに奉仕してくれる少女であることを求めていることに、作り手が応えている。差はここにある。
それについてはアメリカ人の感性が「悪と戦う=最大の善行」というのも有るんじゃない?例外も有るけど多くの戦闘メインの魔法少女の戦いは基本迎撃、侵略的行為への対処であり、人々の安全と幸せを願っての行為とも言える。どちらかというと製作サイドの事情、戦闘シーンで間を持たせないと毎週30分の作品はつらい、という面が強いかもしれない。
>戦闘シーンで間を持たせないと変身バンクとサービスシーン挿入にはもってこいだCCさくらだけは毎回違うコスなんでさすがと思うが
>>魔女っ子や魔法少女だとロリだが魔女だとBBA臭くなるBBAじゃねーよ
この辺りも「魔法少女」としてカテゴライズしていいんだろうか?
>アメリカ人の感性が「悪と戦う=最大の善行」関係ない。向こうのヒーローは着替える。呪文で変身するのは魔法。だからセラムンは魔法少女。東映魔法少女、ぴえろ魔法少女を知らないからひと括りにできる。
>PSOも魔法はマジックでなく、テクニックだもんなそもそも初代のファンタシースターではマジックだったんよそれがファンタシースター2で「誰でも使えるよう大系化された」って説明が入ってテクニックと称されるようになった
>高度な科学は魔法と見分けが付かなくなる>ってばっちゃが言ってた リミットちゃんは科学と魔法のあいのこ?
基本的に877961の主張に肯くばかりなんだが>まどかマギカは他者の幸せを考える究極のパターンを生み出した。むしろまどマギは他人のためにはたらくことが自分の幸せになるというのが欺瞞だからこそ杏子は父親を自殺に追い込み、さやかは絶望で魔女化する、ほむらはまどかを最強の魔女(候補)にまでしてしまったという悲惨な結末を招いたのではないだろうか(結局全ての業を平凡な女の子であるまどかが背負うという女神的救済は男のロマンチシズムに感じた)877961の言うパターンの意味がどうも分からなかった、こちらの勘違いなら申し訳ない>この辺りも「魔法少女」としてカテゴライズしていいんだろうか?ラノベ含めると偉い数になりそうだな個人的にはリナはRPGの魔法使いに近いと思うが
>>この辺りも「魔法少女」としてカテゴライズしていいんだろうか?>ラノベ含めると偉い数になりそうだな>個人的にはリナはRPGの魔法使いに近いと思うが魔法を使うから魔法少女というのなら入るのだろうけれど魔法を使わないセラムンとかの変身バトル少女ものが魔法少女になるなら、魔法を使う使わないは関係ないみたいそうなるとリナは魔法少女とは呼べない気がするただの職業みたいな感じ
>対してセラムン、さくら、なのはなどでは魔法を返上しない。>つまり大人にならない永遠の魔法少女。>視聴者である男性が、永遠にボクだけに奉仕してくれる少女であることを求めていることに、作り手が応えている。セラムンとさくらは原作なかよし連載で元々普通に少女向けでしょ実際セラムンは女の子に相当人気あったし(結果論としてオタ人気も出たけど)さくらはちょい微妙だが・・作者も同人あがりのクランプだし
>この辺りも「魔法少女」としてカテゴライズしていいんだろうか?これについては前述のとおり>RPGゲームに由来する「職業としての魔法使い」ってのもまた別理由としては前述のそれに加えて>「誰でも使えるよう大系化された」って説明が入ってテクニックと称されるようにというのもありRPG由来の世界では同じ魔法を敵もモンスターも使う少女に授けられた唯一無二の力ではなく単なる技術だからよって「RPGの魔法使いは単なる職業(クラス)」
>思春期で終わるべき万能感と葛藤としての魔法が大人になっても終わらない現代社会の反映魔法が前思春期的な万能感に由来するというのは蒙を啓かれる思いです自分としては少女の女性性の発露(母性愛の出現)から完成(恋の成就)までの短い期間に由来するものというイメージがありましたそれ故に異性の介在なしに母性愛を注げられるマスコット(処女性の象徴)の来訪とそれとの別離の間に「魔法少女」である期間は限られるのではとそんなふうにストレートに女性性に由来すると考えてしまうのは「ふたつのむねのふくらみは なんでもできる証拠なの」という例のフレーズの影響かもしれません
>主視聴層(女児)を考慮すると制作側の少女に求める成長願望の推移正直、ララベルの失敗(成長とロードムービーと恋を排除し、ロマンチックな「花ことばのコーナー」を教育的な「ことわざのコーナーに変えるなど)こそが制作側の求める成長像が「少女たち自身が求めるそれ」と乖離していると示し、それゆえに東映魔女っ子がここで命脈を絶たれたのだと思いますそれ以降の作品が内包する成長像は少女自身が望むものでなければ生き残れなかった80年代以降は少女自身が望んだものだと思いますただし少女のアニメ卒業年齢が低下した現在、プリキュアが提示しているものは思春期的課題ではないのです>ゼロ年代=今の自分の肯定これは「作られた今の自分より本当の自分のキャラになりたい」という「しゅごキャラ!」がゼロ年代の魔法少女だったという結論に至るかもしれません
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