僚友にノーベル賞 < 1.問題提起 2.目標の設定 3.TOF-MS開発 4.さて収穫は 5.世界初は世界一? ご参考に 講演録 > もくじ 

4. さて収穫は ・・・よくぞ、やってくれた! 田中耕一君 !!

▼ 成果の発表 ▼..... 国際的な反響へ

'87 S62  5/14   全員  日本質量分析学会 連合討論会(京都工繊大にて)に5演題を発表

[通常講演]
レーザーイオン化飛行時間型質量分析装置の開発 
  −−傾斜電界型イオンリフレクター−−
    (島津製作所)○吉田佳一・田中耕一・井戸 豊・秋田智史・吉田多見男

レーザーイオン化飛行時間型質量分析装置の開発 
  −−TOFスペクトルの高速・高精度測定回路−−
    (島津製作所)○秋田智史・田中耕一・井戸 豊・吉田佳一・吉田多見男

レーザーイオン化飛行時間型質量分析装置の開発 。
  −−高質量域に於ける高感度イオン検出器−−
    (島津製作所)○井戸 豊・田中耕一・秋田智史・吉田佳一・吉田多見男

レーザーイオン化飛行時間型質量分析装置の開発 「
  −−高質量有機化合物からの擬分子イオンの生成−−
    (島津製作所)○田中耕一・井戸 豊・秋田智史・吉田佳一・吉田多見男

[ポスター講演と展示]
レーザーイオン化TOF質量分析装置による高質量イオンの検出
    (島津製作所)○吉田多見男・田中耕一・井戸 豊・秋田智史・吉田佳一

(田中耕一談 日経産業紙)「変わったことをやったなという程度の反響でした」

 

'87 S62 9/15  田中  日中連合質量分析討論会(宝塚ホテルにて)に英文ポスター発表

 尻込みしながら申し込んだ英文ポスターでの発表だったが、米国から招待された質量分析の権威、ロバート・コッター教授の特別講演「イオン化技術の最近の動向(多分)」があり、いそいそと聴講した田中耕一は、おそれ多くもコッター教授に、「You must be mistaken, please look at my data.」と、異議を申し立てて、以後、敬愛し恵愛される親しい仲となる。

 上は、予稿集に載せた田中の発表要旨の初めの部分である。“N2レーザーをイオナイゼーションに用い、ラピッド・ヒーティング(1)を達成した”と書いている。引用文献(1)はコッター教授の技術解説で、有機物の分子イオン生成には、分解するより速く気化させるラピッド・ヒーティングがキーだ、と述べている。これを読んでいた田中は、コッターさんの提唱する急速加熱法を実現させた、と言っているのだ。
 それで、親しみを感じながらコッターさんの講演を聞いていると、「レーザー脱離質量分析法(LDMS)では高質量分子を測定できない」と言うではないか。田中は壇を降りるコッターさんに、思い切って迫ったのだった。

 上右の写真は、話を聞いて感動したコッターさんが、田中を彼の発表ポスターの前に立たせて撮影したものである。

 コッター教授は、それまでに、有機物の質量分析を発展させるために、多種類のイオン化法を研究している。右の図は、彼が70年代に実験したレーザーCI(化学イオン化法)の機構説明図である。
 当時、気化させた有機物に解離ガスを作用させてイオン化させる CI: Chemical Ionization が、親イオンが出やすい、として、盛んに研究され利用されていた。
 このレーザーCIは、試料を気化させ、さらに作用ガスを解離するのにパルス・レーザーを用いて、対象物や分析範囲の拡大を狙った。

 コッター教授は田中の方法を確かめると、ただちにピンと来た(多分)。
「これはレーザーCIではないか! レーザー光が、金属微粉の昇温で試料とグリセリンを気化させ、同時にグリセリン・ガスを解離(イオン化)して、解離ガスが試料ガスをイオン化させる! なんと、うまく考えたもんだ。」とつぶやいた(多分)。

 フェンスロウ教授は、コッターさんと夫妻である。有機物の質量分析を、化学の側から研究されている。そして、化学分析の学会誌 Analytical Chemistry の編集委員を長らく(今も)続けている。コッターさんは、物理学の側から研究を進めている。二人は、興奮しながら田中の方法を論議した(多分)。
 二人は同分野に、当然、知己が多い。ありたけ貰った田中の資料を、二人は大勢の知己に、議論を繰り返しながら配って廻った。

 もっとも大きなショックを受けたのは、独ミュンスター大の研究者、カラス氏とヒレンカンプ氏である(おそらく)。

 この二人は、80年頃からレーザーイオン化TOF質量分析法を研究し、85年には、アミノ酸化合物のLD TOF分析で、「レーザー光を吸収するアミノ酸と吸収しないアミノ酸を、いっしょにイオン化させると、吸収しないアミノ酸の親イオンの出方が良くなる」という現象を観測し、右の図に要約して Anal.Chem.誌85年に発表している。
 「これらの観測事実は、将来、有機物LDMSへの応用価値がありそうだ。」とまで述べている。

 田中のデータを見たとき、二人はその仕組みが直ちに理解でき、さらに改善案を思い浮かべることができたにちがいない(多分)。
 急いで実験装置を、高質量域まで測れるように改造して、心当たりの物質を添加したタンパク質を測定し、好結果を得て、 Anal.Chem.誌88年に投稿した。↓
 その文頭に、87年の田中らの先行業績を記載している。

'88 S63 5/16 Karas氏ほか 論文をAnalytical Chemistry誌へ投稿(5/16受付、7/5受理)

 カラス氏ヒレンカンプ氏は、その後、この課題に対して精力的に研究を進め、もっと使いやすい効果の大きい物質を、主に染料系の化合物の中から見付けて、この手法を“MALDI法”と名付け、高分子分析研究の世界に広めた。先の85年の論文をMALDI法の出発点として、創始者、権威者として偉容を誇る。
 手法の改良、普及に大いに活動し、田中も直接に恩恵を受けたとして、折りあるごとに敬意を表している。

'88 S63 6/6  Tanakaほか 論文を Rapid Communications in Mass Spectrometry誌に投稿(6/6受理)

 87年の日中連合シンポジウムでの発表は、日本の当分野での権威・松尾武清阪大教授(故人)の着目するところとなり、教授は田中らに、英文での論文を早く発表することを強く勧めた。松尾教授は上記学会誌の編集委員をされていて、書き上げ提出した論文原稿を、sponsor referee として即日審査され、受理された。
 これによって、87年の発表が裏付けられ、田中らの研究の国際的権威が確立したことになる。

'89 H1  5月   吉田佳、田中 日本質量分析学会 奨励賞 受賞

 

 田中、Karasの、それぞれの論文に載ったデータを、ここで比較してみよう。

 両者のスペクトル・データを、少し強引ではあるが、画像処理によって横軸目盛りを一致させて、眺めてみる。

 試料に添加する“マトリックス”を、田中らは金属(コバルト)微粉とグリセリンを混ぜて使い、Karasらはニコチン酸を選んでいる。

リゾチームでは、田中87年発表では5量体(5M)までのスペクトルを見せていた(予稿にもポスターにも)が、88年論文には7量体までの分子量10万を超すデータを提示している。
 カラス88年論文には「田中らは7量体までを観測した」と記しているので、このデータは早めに流布されたようだ。

 Karas 1988では2Mまでしか示していない。上が出なかったのか、低い領域が低ノイズであることを示したかったのか。
 Karasらの推奨マトリックスは、確かに低ノイズが特徴である。
 田中データは低質量域をカットしているが、ここには大きなノイズが広く存在していた。
 ピークの形状には、大差はないようだ。

 

  トリプシンでは、低域のノイズの差が歴然としている。

    積算回数(1024回:50回)から見て、
    イオン化効率の差も大きいようだ。
  

 

      最高分子量試料は物質が同じではないが、
      スペクトル形状は類似している。 
      積算回数は、500回 : 100回。

 

 

 

 以後、ヒレンカンプ教授、カラス教授は、種々のマトリックス剤を開発して、さまざまな分析対象物が好適な条件で測定できるように手法の発展に努めたので、両氏はMALDI法の開拓者として高名になり、表彰などもされたようだ。

 田中も幾度か教えを乞うたことがあるようだが、一方で、MALDI分析は対象物によってイオン化の様相が相当に異なり、マトリックス剤の選択や測定波長など分析条件の選択は、ずいぶん経験と考察の蓄積を必要とするもののようで、世界中の分析需要家を歴訪して指導したり結果を解析したりして、広範囲の経験を積んできた田中耕一の知見の累積は、いずこの分析研究家にとっても貴重なものとなったから、相互の知識の交換は、互いに歓迎することであったようだ。

 全体を総括して言えば、田中耕一によって発表された人類初の発見は、その情報をもっとも必要とした人に、速やかに的確に伝わり、そこに大きな刺激を与えて次の発見を促し、以後の技術進展を、両者が手を携えて促進させた、となる。

 技術は、このようにして、進歩してきたのだ。

 

▼ 初回の製品化 ▼..... 手応えあれども売れず

 中研が原型装置を開発する。事業部が、製品に仕上げる。当然の流れだ。

 だが、事業部は、つねに手一杯だ。利益管理の厳しい企業の中の製品生産は、手持ちの資源を精一杯に活用して続けられ、余裕は基本的にない。余裕が出れば、それは待ちかねている当面の懸案解決に投入され、あるいはもっと効果が出る他の部門に転用される。

 中研が新製品を開発した。だが、それには、生産技術は織り込まれていない。顧客に訴える特徴も彫り出されてはいない。顧客の仕事ぶりにマッチする利便性も引き出されてはいない。それらを作り込むのは、ノウハウを蓄積してきた事業部の仕事だ。

 だが、事業部は余裕がない。中研でもっと商品に仕上げてから持ってきてよ。せめて、研究員を付けて寄こしてくれ。
 しかし、中研にはその面の技術はない。次のテーマに取り組まなきゃならない。他のテーマにも応援が必要だ。

 早くから、こんなやりとりが続いていた。

 じれた上層部が恫喝する。中研を作って5年が過ぎた。まだ成果が出ていない。これは大物の成果だ。事業部は真剣に取り組め。

 なんとか製品化は進められた。田中耕一君一人が事業部に移籍して、事業部技術者の指導を得つつ、工場の生産技術を教えてもらいながら、事業部技術者と力を合わせて、図面を作り直していった。
 市場に出て調査を進めてみると、世の質量分析技術研究家には概して好評、中には激賞いただく方もあったが、懐疑的ないし酷評される先生方もあった。
 生体物質研究家は、一様に、使ってみなければわからん、の一言であった。 生体物質を研究する手段のなかに、どのように使い込むか、方法論をまず固める必要がある、とも指摘された。

'88 S63  1月  製品 LAMS-50K 発表

 製品1号機ができあがり、販売が開始された。全国に展開する営業部員が、これまでガスクロやGCMSのセールスを通じて獲得していた高分子研究分野の顧客多数に、カタログを配り、反響があれば田中耕一君が呼び出されて顧客に説明した。

 顧客の試料を預かって帰り、社の装置で分析してデータを送り返した。重要顧客は社に招いて、持参された試料を目前で分析した。

 結果として、1台も売れなかった。数千万円の高価な機械は、どこかで使われて効果が評判にならないと、大方には買ってもらえない。試しに買うには、高すぎるし、図体もばかでかい。


 アメリカに1台売れた。田中君が据付に渡米した。帰ってきた田中君に道ばたで出会って、立ち話に聞いただけだが、「アメリカ人は機械をじょうずに使いますよ」と、ぼそっと言った。
  その使い方は、こうだ。液体クロマトグラフの出力を、たくさんの試験管に振り分けたそのどれかに目的の成分が入っている、あるいは入っていないかも知れない。似たような物質が混在しているが、それらは分子量がかなり異なっているから、ピークが重なることはない。生体から抽出したサンプルは、ある意味で純粋だから、未知の物質が混入することはない。
 目的のものがどの試験管に出たか、それを手早く調べるには、なるほど、この装置が最適だ。
 「日本でも、似たような仕事をしているところは、たくさんあるんですけどねぇ」と田中君はくやしそうだった。 このままじゃ製造中止ですよ、としょんぼりしていた。

 ふり返ってみるに、やはり急ぎすぎていた。突出した性能に頼りすぎていた。商品として不十分だった。使用側の要望に、適合していなかった。

 もっと研究を進めるべきであった。全研究陣と事業部の専門家とで、商品設計、特に小型化と低価格化に努めなければならなかった。利用者と共同研究を進めて、利用側の試料とデータの流れに適合させるべきだった。使いやすさを考えるべきだった。そして、ドイツのヒレンカンプ氏らの知見、技術を導入しなければならなかった。

 私はMRIや他のテーマに熱中していて、こちらの問題は傍観してしまった。頼りの窪寺も、直接の担当ではなくて、動きかねていた。

 

▼ 世を追いかけて ▼..... 英 好子会社で再開発、製造、販売

'89 H1      島津製作所 英 Kratos社を買収

'92 H4  1〜12月 田中   英 Kratos社へ出向、KOMPACT MALDIシリーズ開発
              以後、応用技術を研究、MALDI技術の普及、向上に努める。

'97 H9  3月〜  田中  英 島津欧州研究所、ついでKratos社へ出向、次期装置QIT-TOFを開発

'02 H14  5月〜  田中  島津製作所 分析計測事業部ライフサイエンス部門へ

'02 H14  12月   田中  ノーベル賞化学賞を受賞

 英国ケンブリッジにあって、電子ビームやイオンを活用した分析機器の、良いものをさかんに作り出していたクレイトス社は、ユーザーには評判が良かったが、いつか経営が傾き、島津が救済資金を出して子会社にした。これも窪寺の主張によるところが多いのであろう。
 以後も経営は思わしくなく、窪寺はなにかとトップ陣から責められていたようだが、技術的には頼りになった。

 この間に、MALDI TOF-MS は、アメリカのアプライド バイオシステムズ社、ドイツのブルカー社が、最新技術を満載して販売を始め、好評を得つつあった。

 TOF MSを製品品目とすることを、クレイトス社に持ち込んだのは、当然、窪寺の提案による。
 クレイトスの技術はやはり優れている。田中耕一はしばしば英国に出張し、とうとう向こうに居着いて、英国で仕事をした。TOF MSは、きわめてコンパクトな、売れる商品になった。

 もう一人、クレイトス社で頼りになったのは、熊代 州三夫だ。彼は80年代から、分析機器の設計のための電磁界シミュレーション技術の必要性、重要性を説き、90年代には強力な計算ソフトウェアを作り上げた。光や電子、イオンが走行する電磁界のなかの、立体的また時間的な状態が、明確に把握できれば、これまで手探りで実験的に進めてきた分析機器内部機構の形状設計を、確信をもって進めることができ、性能が向上し安定になる。
 彼はその後、新設した島津英国研究所の所長としてマンチェスターに赴任し、TOF MSの改良設計、さらにQIT-TOF-MSを、クレイトス社と協同して進めた。彼の見識とクレイトス社のそれまでに蓄積している知見と合体させれば、強力な設計が進んだに違いない。

アプリケーション・ソフトの重要性

 要約して言えば、田中耕一が全身で推進してきたのは、MALDI分析装置を上手に使うテクニック、利用技術である。そして、そこから発想して、新製品、QIT-TOF-MS などを構想し開発している。 →
 一般に、分析装置は、試料から微妙な原理に基づいて情報を引き出すものであるから、微妙な状態をうまく作り出さないことには、情報がうまく引き出せない。

  MALDIの場合には、マトリックスの加え方が重要になる。その前にもちろん、試料の作り方が大切で、全血や組織片をいきなり分析するなどは不可能、ある程度の分離や抽出などの前処理は不可欠だが、マトリックスによる効果が大きいから、多少の共存物は問題にしないことは、最初に説明した例でも、強調されている。

 マトリックスの種類や混ぜ方は、対象試料の種類によって、くふうを要するところである。適切に選定されれば、親イオンが出やすく、感度が上がり、共存物質の影響が下がり、再現性が良くなり、信頼できるデータが容易に得られる。

 今度の授賞は、利用技術が大きな価値を持つことを、浮き彫りにして示してくれた。装置本体や検出原理にではなく、いろんなタンパク質が、装置に不慣れな生体分子研究者にも、易々と分析できるように、アプリケーション・ソフトウェアを作り上げた彼の功績が表彰された。 利用技術への授賞である

 これまで残念なことに、利用技術の充実が、その分野技術全体の、成長、進歩、普遍化のために、重要にして不可欠であることは、あまり認識されていない。だから、彼一人が黙々として働き、背後からはその働きが見えなかった。ノーベル賞がその価値をにわかに強調したが、さて、認識は深まったかどうか。

 

仕事の進め方について

 彼は、仕事を自由にさせてもらったのが良かった、としきりに言っている。
 当時も、しばしばこの言葉が論議のタネになった。他の部門から、中研所員は自分たちは自由なんだと吹聴している、しっかり管理しろ、と攻撃されたこともしばしばある。
  そんな人には、自由にさせたら人は仕事中も居眠りする、としか思えないのだろうが、昼間居眠りしていた所員が、明くる日の研究会に、徹夜で書きました、と言って、50ページの報告書を持ち出す姿は想像できないのだろう。
 奴隷にむち打っても、労力を引き出すことはできるが、智恵をいただくことはできない。無限責任を期待するなど論外だよね。
 使命をさとった「よくできる人間」には、自分の判断で自由にしてもらって、問題点を解決するための回り道や、改善アイデアを試みる余地を許し、個人のアイデアを尊重し、力量を信頼し、活動の幅を大きくし、プライド、自制心、自負心に期待することだ。(別ページ「苦し紛れの新製品開発」にも述べてみている。)

 特許についての論議もしばしばある。
 特許はこの仕事には有効ではない、と田中君は言っている。
 MALDIの妙義は、利用技術なのだ。その手技はいろいろあって、どれが有効かどれが効果がないか、そのノウハウは、効果を確かめた利用者からフィードバックされる。利用者はたえず新しい課題を持ち出す。どの条件がその分析に効果があるのか、利用者の研究の進展によっても変わってくる。対象が変われば条件も変わる。
 互いに教えて教えられて、利用技術はどんどん進歩する。情報交換によって進展する。
 利用方法は、特許にならない。手続き的に特許を得たとしても、利用者の行動を制限することはできない。発明者の権利を主張し、対価を請求することも効果がない。
 そして特許意識は、利用者、供給者の共同作業をぎごちなくさせる。お互いにアイデアの権利を主張すれば、協調は失われる。権利意識の強い子は遊びから弾き出される。
 一方、製品は特許で防衛でき、うまく製品化すれば競争を排除できる。だが、下手な特許や下手な製品化は、自己満足に終わって世に害をあたえる。自身のためにもならない。
  以上の私の論議は特許制度を非難するものではない。権利の行使には、自覚と配慮が必要と考えていたので、共感を覚えたのである。


最後に

 探せば、答は見付かる(だろう)。とても素晴らしい答が、“偶然”に、見付かるかも知れない。先人と交われば、より確実に、さらなる好案が浮かんでくる。探さなければ、答は無い。“偶然”を求める覚悟をしなければ、空振りを甘受する覚悟を決めなければ、答は無い。
 これは、“偶然”に、幸運だったのだろうか。いや、すごい探索の努力に、幸運がぶち当たったのだ。

 

 書き過ぎたこともあるようだ。異論がいろいろあるかも知れない。私は島津で永く暮らして、興味深いことをたくさんさせてもらった。感謝している。
 今回の名誉を機に、元気を出し、田中耕一君の偉業を刺激にして進んでいただきたい。そう考えて、ことばに力がはいった。失礼な言い方もあるかも知れない。お許しねがいたい。

 なお、全体に対しても細部に対しても、間違いや認識不足も多かろうと思う。ご当人に聞いてみたいことはたくさんあるが、前向きの仕事を進めていただきたいと思って、控えている。
 このページの文責はすべて私にあるので、ご了解願いたい。諸兄のご指摘も得て、改訂更新も重ねたいと考えている。

 挿入した写真、図表いくつかは、吉田多見男氏から提供いただいた。感謝する。

2003. 7. 1 記

 

僚友にノーベル賞 < 1.問題提起 2.目標の設定 3.TOF-MS開発 4.さて収穫は 5.世界初は世界一? ご参考に 講演録 > もくじ