前記事の続き。
「悪意であっても」
ふと思うのだけど、
匿名で誹謗中傷している人間は
人のことを誹謗中傷できるほど正しいのか?ということ。
正しさというのは実は曖昧なもの。
多面的なもの。
例えば、
正義の反対が悪ではなく、もうひとつの正義であるように。
ところで、人を美しくないと批判して喜ぶ人間は美しいのだろうか。
誹謗中傷を喜んで書き込む人間は
容姿も含め、美しいと言えるんだろうか。
そういう人間はそもそも自問すらしないのか。
前にアメブロの女性がFacebookに自分と配偶者を公開写真にしていたのを
ここに書いた途端に慌てて削除か非公開にしていたことを思い出した。
私はその夫婦の容姿は見たけれど。
何も興味なかったな。
知らない人だし。
でも、あの夫婦も某掲示板で他人の容姿をけなしたり、
誹謗中傷しているとしたら、いろいろな意味で、冷笑もの。
掲示板では匿名だし、自分の姿もわからないし、
何でも言ってしまえ、という感覚なのか。
何にせよ、こういうのは「基本的に美しくない」ということは確か。
この結論には、ある正しさがある。
それでも、誹謗中傷中毒の人間には何言っても無駄。
これも明らか。
そういう人間と、
たとえどこかで関わった(関わったことがあった)としてもさっさと切るか、
関わったことすら、存在していることすら忘れるのに尽きる。
そういう点で、悪意であってもどうでもいいこととなる。
些末なことですらない。
私の人生には関係ない。