◇家族を第一に大事にするというような中途半端な姿勢では、社会の不公平も不正義も、何一つ個人として、根本的な改善に寄与することなく人生を終わってしまうのです。大谷藤郎
このような「名言」をブログに記載したところ多少の反響があったようです。
もちろん、私も人間ですから家族が一番大事と考えますが、このブログに何回も書いているミクロのインサイドアウト思想(自分の身の回りから世界を捉える小さな思想)ではなく、マクロのアウトサイドイン思想(目的地に向かう航空機のように外部のGPSから現在の位置などを捉える)で考えると、ブッダが家族を捨てて旅に出たように、言葉では表現しようのない心の葛藤が沸いてきます。
山崎行太郎氏のブログから
<引用開始>
村上龍もこういう発言をしている。「僕も、群像新人賞をもらったときに、高校、大学とさんざん悪さをしてきたから、受賞の言葉に、『両親の銀婚式のささやかなプレゼントになればいいと思う』と書いたんです。そしたら、『文学というものは、親孝行のためにするものじゃない』と、叩かれちゃった。あの頃はまだ書くことで家族が崩壊しても仕方がないぐらいギリギリのところで書くのが文学なんだ、という人がいた時代で。僕、バカだなあと思いました」。すると石原は、「あなたの時代でも、そんなバカなことをいう奴、いたかねえ」と付言しているが、僕は、石原慎太郎と村上龍はともに若くしてデビューした才能ある作家ではあるが、作家としての限界も明らかだと思わないわけにはいかない。「作家は家族を崩壊させなければ本物ではない」等というのは倒錯した論理だが、「文学や思想を極限まで問い詰めれば、家族や生活を破綻させ、破壊することになるかもしれない」という原理原則は、今でも昔でも変わりはない。作家や思想家の生き方として、文学や思想を深く追求していくあまりに、家庭や家族を犠牲にすることがしばしば起こるが、それが間違っているとは僕は思わない。
<中略>
しかし作家や思想家としては、親孝行や親馬鹿ぶりを公言し、それを得々として自慢するようではお仕舞いである。自決し、結果的に家庭を破壊した三島由紀夫や江藤淳、古くは芥川龍之介や太宰治等のような文学者たちを、おそらく「バカな奴だ」ぐらいにしか考えられなくなった石原慎太郎が、健全な生活者としてはともかくとして、もはや作家としては使い物にならなくなっていることは明らかだが、それは、当然のことだろうが、石原は気づいていないかもしれないが、政治家としても使い物にならなくなっているということでもあるのだ。
<引用終了>
http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20100425/1272141773
私は、家庭を壊したくて壊したのではありません。読売新聞社の知識暴力の犠牲になったのです。
読売新聞の誤報が問題になっています。私はこの問題に関してはしばらく静観します。なぜならば、読売の記事を「書いてくれ」などという人はいないと思われるからです。読売新聞社の記者は「どこからか」森口氏の評判(情報)を聞きつけたのでしょう。そして、記者は「功名心」から深く思慮することなく、スクープをねらい迷わずに記事にしたのでしょう。最後のパレード事件と全く同じ構図です。
このように、読売新聞社のように知識暴力団とも呼べる「判定者」が闊歩する社会において、真理を追究する作家、マスコミにひれ伏さない思想家は決して安泰ではない、私はそのことを言いたいのです。
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