JICAベトナム事務所長・築野元則さん1957年和歌山県生まれ。81年東京大学法学部卒業後、国際協力機構(JICA)の前身の海外経済協力基金(OECF)入社。日本が対ベトナム有償支援を他国・機関に先駆けて再開した1992年11月からハノイに3年間駐在し、94年10月の駐在員事務所開設に奔走。OECFの流れを汲む国際協力銀行(JBIC)円借款部門と統合した新JICA誕生の08年10月からベトナム所長として勤務。ベトナムとは節目、節目で強く関わってきた。 人、技術、企業、国をつなげる2011/8/11 グエン・タン・ズン首相の再任で、5カ年の新体制が始動したベトナム。これまで日本とベトナムが培ってきた協力関係の真価が問われる5年になる、とJICAベトナム事務所長の築野元則さんは語る。 大学時代は、社会格差や労働問題に目を向け、ボランティアのサークル活動に取り組む。坂本義和教授(当時)の国際政治のゼミで学ぶうち南北問題に関心を持ち、貧困や紛争に苦しむ途上国への支援を志し1981年にOECFに入社した。 入社当初の80年代の主な担当はアフリカ支援。85〜88年の初の海外勤務はパリ事務所で、アフリカ諸国の公的債務救済に関する債権国会議(パリクラブ)などに出席し、国際交渉を間近に経験。調達や環境配慮など政府開発援助(ODA)の国際ルールの議論にも接した。 帰国後のアフリカ担当課で最初に取り組んだのが、ケニアの稲作かんがい事業。アフリカの円借款かんがい事業の代表例となっていたタンザニアとナイジェリアでの問題や教訓をケニアで生かそうと、農業専門家のアドバイスを聞きながら事業審査に取り組んだ。 その後、総務部で国会担当となり、ODA事業の環境問題に対する批判への対応に追われ徹夜での作業を続けていた92年、ベトナム行きの内示をもらう。 この駐在で印象に残った案件が2つある。1つは幻となったハノイ・ノイバイ空港ターミナル。日本側でベトナム空軍による滑走路併用を問題視する意見が強く、円借款供与が見送りに。結局、ベトナム政府が自国予算で現ターミナルを建設したが、完成直後から施工不備で雨漏りなどの問題が多発。新ターミナル建設が急務だったが、築野さんの2度目の赴任後に円借款供与が決まり、近々着工予定だ。 もう1つは、円借款再開後の第1号案件、ハノイ〜ハイフォン間の国道5号線とハイフォン港改良。今では北部産業大動脈に発展し、日本のODAが重視するインフラを通じた貧困削減効果を示す代表例となった。しかし当時は経済改革が緒に就いたばかりのベトナムへのインフラ支援に対し、他の支援国・機関や日本のマスコミには効果を疑問視する見方があったと、築野さんは振り返る。 OECFが日本輸出入銀行と統合しJBICとなる99年9月までインドシナ担当課長などを務め、03〜06年に2度目のパリ勤務(首席駐在員)やアフリカ担当部長などを経て、3年前にJICA所長として再びハノイに赴任した。 ■日本の支援に感謝の声 東日本大震災後も日本がODAを継続することに対して、ベトナム政府・国民の感謝の声は大きい。円借款は昨年度から年1,500億円と、インドに次ぐ規模に拡大し、無償技術協力でも日本からの専門家、ボランティアなど約130人を抱える。事務所も日越のスタッフ50人を超える大所帯だ。 日本企業にとってもベトナムは、経営ノウハウを含むパッケージ型インフラの輸出先として、重視する国の1つ。その一方で、日本企業が参加したインフラ円借款事業で、困難な土地収用や資材価格高騰を背景に、契約をめぐる争いや支払いの遅延が生じ、リスクを嫌って建設業者が受注に消極的になるという問題も生じた。例えば、ニャッタン橋事業の入札では、STEP(本邦技術活用)案件にも関わらず、土地収用遅延への懸念から日本企業の応札がなかった。しかし、JICA、運輸省、ハノイ市人民委員会が協力体制を確立し、土地収用の行動計画で合意してフォローするなどした結果、ようやく入札が成立し着工に至った。ホーチミン市での事業でも、日本企業と市当局の調整役として、板ばさみとなる苦労が続いているが、「日越双方の教訓として今後に生かして欲しい」と語る。 ベトナムは、ODAの実施に時間がかかり過ぎるが、アフリカ諸国などと比べても投資効果は格段に大きい。一方、日越協力で合意しているハノイ・ホーチミン市の地下鉄や南北高速道路を含め、今後必要となる大型インフラ案件の全てをODAに頼るのは不可能。官民連携(PPP)スキームなどで、資金調達に民間投資も呼び込む必要がある。 JICAの取り組みには、人と世界を結ぶ強みがある。「環境や文化を大事にした観光・産業開発で、沖縄の知見を生かせないか」との提案を受け、先月にはベトナム政府要人のミッションを同県に派遣した。また、アフリカ支援では、日本よりむしろ、ベトナムからアフリカを支援する南南協力の方が効果が高い分野もある。JICAは、アフリカのコメ生産を10年で倍増させる構想を打ち出しているが、モザンビークの稲作かんがい技術協力では現在、日本人のチームリーダーの下にベトナム人専門家4人を派遣している。 コメといえば、築野さんの実家は、米ぬかから抽出される米油や薬品の製造を行っている。創業者の父親(90歳)は87年に初めてメコンデルタ地方のカントーを訪問し、精米機を寄贈するなどベトナムと交流を続け、農業研究者などの知己も多い。昨春のカントー橋(JICA事業)完成式の折にも訪越し、崩落事故を乗り越えての大動脈開通を喜んだ。築野さんはベトナムとの不思議な縁を感じながら、これからも途上国の発展や日本との橋渡しに寄与したいと意気込む。(ベトナム版編集部・遠藤堂太) >>この目次トップへ[P R] [P R] [P R] |