最終更新: 2012/10/13 15:58

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震災当日の都心の大渋滞、国内初の「グリッドロック」と確認

東日本大震災当日、東京都心は震度5強の激しい揺れに襲われた。
鉄道はストップし、およそ515万人の帰宅困難者が発生した。
そして、当時、悪夢のような「大渋滞」が車のドライバーを襲った。
当日運転していたタクシー運転手は、「もう最悪でしたよ」、「全然動かない。どこ走ってもいっぱいなの」、「1人乗せたら6時間走って。(普段だったらどのくらいの時間で?)30分くらいで行けるんじゃない」などと語った。
道路を埋め尽くすおびただしい数の車。
明らかに歩く人の方が速かった。
あまりの渋滞で緊急車両も立ち往生していた。
震度5強の揺れで、首都・東京の交通網は完全にまひした。
実は、これが国内で初めて確認された、大規模な「グリッドロック」と呼ばれる渋滞現象であることが、芝浦工業大学の研究でわかった。
グリッドロック現象とは、ある交差点に車が殺到して車が動かなくなると、その渋滞の列が別の交差点の通行をも妨げ、短時間のうちに、周辺の広い範囲で交通がまひしてしまう現象のこと。
芝浦工業大学(交通計画学)の岩倉成志教授は「(上空から撮影した映像を見ると)幹線道路で非常に長い渋滞がつながっているのがわかる。こういう状態をグリッドロックと」と語った。
震災当日の映像を見ると、青信号でも交差点内に車がとどまり、全く動かない様子がわかる。
芝浦工業大学交通計画研究室の清田 裕太郎さんは、震災当日のおよそ3,000台分のタクシーのGPS(衛星利用測位システム)データを分析した。
清田さんは「(グリッドロックが)最初に始まった場所が皇居の周辺。首都高速道路の出口付近が多かった」と語った。
地震発生後渋滞を示す赤い線は、数時間で皇居周辺から一気に郊外に広がっていた。
清田さんは「首都高速の芝公園の出口、次の時間帯になると、周りの道路にも速度低下が見られます。17時・18時になると、それが原因で、周りの大きな幹線道路も、グリッドロックし始めていることがわかります」と語った。
東日本大震災発生直後、首都高速道路は全線通行止めとなった。
そのため、大量の車が一斉に一般道に降りたが、その際、首都高速道路の出口の周辺で、渋滞が発生したという。
首都高速道路によると、管内で震度5強以上の地震が発生した場合、構造物の安全と緊急避難路確保のため、高速の入り口は閉鎖され、通行止めになるという。
実は、渋滞が発生した首都高速の出口には、特徴があった。
震災直後に渋滞が発生した首都高の出口は、芝公園、飯倉など、環状線の西側が多かったという。
岩倉教授は「(都心環状線の)北東側インターチェンジの間隔と、西側インターチェンジの間隔が、非常に相対的に差がある。1カ所のインターチェンジから降りる車の量が違っていた」と語った。
影響が小さかった環状線の北東側は、出口と出口の間の距離が比較的、短くなっているが、激しい渋滞が発生した西側は、霞が関から芝公園までがおよそ3.7kmなど間隔が長く、北東側に比べ、多くの車が1カ所の出口に集中したとみられる。
南海トラフや首都直下地震のおそれも指摘される中、短時間で都市の交通網をまひさせるグリッドロック現象に対策はあるのか。
岩倉教授は「インターチェンジの間隔を短くして、なるべく降りる交通量を分散させていく。一般道路の交通量も考えながら、中間出口を造っていく必要性があるというふうに考えている」と語った。
首都高速道路は、こうした中間出口について、「造る計画はない」と話している。

(10/10 18:10)


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