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2012-10-13

当然の真理か”不都合な真実”か−「柔道は普通にやると寝技勝負になる」「投げは”不自然”。でも敢えて保護してる」(ゴン格)

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ゴン格柔道話の補遺。自分はある意味、これが一番印象に残った。

GONG(ゴング)格闘技 2012年11月号

GONG(ゴング)格闘技 2012年11月号

http://www.eastpress.co.jp/gonkaku/

☆失われたままの4年間“日本柔道”はどこにいる?

松原隆一郎×古田英毅(eJudo)

日本柔道強化委員会ロンドン五輪検証レポートの公開を求めます!」

より。68-69P

松原 (略)…柔道以外では、打撃計画討議は攻撃を教えると同時に必ず防御も教えます。しかし柔道は投げ技に対する防御は最初は教えませんよね。本にも書かれていない。そのことを柏崎先生(※日本柔道史上に残る寝技師)に伺ったら「防御を教えたら簡単には投げられなくなる」と仰る。「指導の最初は攻撃だけを教えて、お互い投げられたほうが面白いだろう」と・・・(略)

 

古田  「組み合う」という、柔道という競技を成立させる暗黙の掟が今回の五輪でいよいよ崩壊しかかっていると危機感を覚えました。IJFは投げを柔道の華と考えていて、僕もその姿勢には同意します。そして投げは柔道において歴史的に保護されて洗練されてきたものだと考えています。

ボクシングでいえば、掴んだり蹴ったりヒジを入れたりできる距離にも関わらず殴りあわなければいけない。それはある種、異常な状態なわけですけど、そこを切り捨てたからこそあれだけ洗練されたパンチングテクニックが醸成されたのです。そう考えれば、投げも他のものをある程度切り捨てることで進化していった。

そして投げに特化したゆえに柔道は美しさと説得力を持ち、海外に輸出されても受け入れられたのではないでしょうか。戦いとしては不自然なんですけど「投げなければダメだ」という思考を敢えてもって築き上げてきたものだということを、柔道界はもっと意識しなければいけないと思うのです。

勝負論だけを考えれば組み手と寝技に収斂していくのが当然だと思うし、それが洗練されていくのも面白いのですが、投げが失われることは柔道の魅力がなくなる(略)・・・ますます勝負論を追求して寝技重視・・・(略)ここで胴元が「投げる競技」としてはっきり仕切らないとアイデンティティの危機が・・・(略)このまま勝負論的に寝技の重要度が上がりすぎていくと、いずれは柔道がBJJに取り込まれ・・・(略)・・・投げなくても勝てるということになったらやる必要がなくなってしまう・・・

 

松原  勝負論でだけでいくと寝技に特化するのは必然かもしれません。(後略)

いかがですか。

自分はけっこう衝撃的な発言だと思うんですが・・・。


「投げは(初級レベルでは)防御を習えば簡単に防げる」

「投げは、ほかの要素を切り捨てて成立している」

「勝負論でいえば寝技になるのが必然。投げは見栄えや面白さの問題」

寝技を重要視すると、BJJに取り込まれる」


やっぱり格闘技って競技ではあるけど、上のような話を「”不都合な真実”だなあ」と思うような根っこって確実にある。

空手の型でも、土俵入りでもなんでもいいけど

「この腕の動きは、相手が武器を持っていたことを想定して・・・」「ここで向きを変えるのは、背後から別の敵が来たことを想定し・・・」

とかいうと、「おー、すげー」、となるし

「これは実戦では・・・(※ルール外の動き。例えば「首相撲からの膝」を代入せよ)でやられてしまうけどね。その攻防は見た目につまらないからルールで禁止している」

と言われると「えー? なーんだそれ」と、ちょっと失望したりしませんか。しないならそれはスポーツマンじゃのう。いや、スポーツスポーツでいいんですよ・・・。でもねえ。


とある打撃系格闘技(ぼかしているのではなく、何の団体だかほんとに忘れた)では、「試合時間内に腰より上を3回蹴らねばならない」みたいなルールがあったはず。なんかやっぱり、少なくとも自分は・・・「それはちょっと」と考えていた。しかし「柔道は本来、勝負論で言えば寝技に特化していく。『投げ』は見栄えや人気を考えてルールや運営で保護している」と断言されると、それと同じように「それはちょっと・・・」的な感覚が芽生えていく、のですけど。

 

私も講道館ブラックベルト(初段。ほぼ無意味)とはいえ、野次馬だからこういえるのかもしれない。逆に柔道を本当にみっちりやりこんだ、現在も柔道ファンの人たちは「うん、投げはルール保護してくれないと実戦では寝技ばっかりになるね。ですが何か?」とあっさり言うかな?逆にそっちこそ「そんなはずは無い!どんなルールでも極めれば投げられる!」みたいなこだわりが無いかな?

しかし「勝負は必然的に寝技になっていくものなのだ」というような言葉1993年のUFC開始直後の風景を思い出してちょっと懐かしくもある。センセイ・ホリベらが語っていたなあ。

UFCはその後、結局今のように皆グラウンドから立ち上がり打撃KO決着が増えたが・・・ジュードー・スローもほんのわずかな選手が、時折見せる、という感じになっている(まあ母集団が少ないのだが)


でも「ボクシングと同じ。異常な状態で洗練させた技術が役立つ」は説得力あり。

この主張はけっこう説得力あるような気がしました。

今、「ボクシングだけでMMAに挑戦する」とか言い出すような選手はいない。だが「ボクシングをまったく練習していない」という選手だって、いないわけだからね。

f:id:gryphon:20080702015248j:image:leftまあ、さらに柔道の「投げ」は、

「下がコンクリートならまさに一撃必殺!! 実は地面という凶器を使える一種の”武器術”なんじゃよ・・・」

という、厨二的というか”ホーリーランド”的というか、"喧嘩商売"的というか、そういう説得術もあるからね。ある意味、これを奥の手とすればいいだけか。

これ、以前書いたな。

http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20080702/p2

までの話は、すべてスポーツ視点の話なわけですけど、考えるだにブルブルガクガクの話もある。

つまりはこんなに危険だということはすなわち、路上だか護身術として、相手に対して情け容赦はもうイラねえ!という、まさにジ・アウトサイダーな展開になったら、こういうふうに落とす、体重をかけることによって本当に一撃必殺の技になる。

「フフフ・・・今の私は全身これ人間凶器・・・・」

であるってことですよ。やはり森恒二先生の経験談は正しかったと。

同じように「頭から落とそうと思えば落とせるんだぜ。ぎりぎりの時はそれをやるよ?」という文脈は、あの健全明朗サンデー柔道漫画河合克敏帯をギュッとね!」にすら登場していました。逆にいうと、この凄みに惹かれて柔道をやるやつもいるかもしれない。

しかし全柔連指導者が「柔道コンクリートの上なら最強なんだよ、それに喧嘩は大抵両者着衣だよキミィ!」的なことは、口が裂けてもいえないしな・・・