掲載日2010/09/14 ライター:深見聡(ふかみさとし)
1975年、鹿児島市生まれ。2001年12月、NPO法人かごしま探検の会を設立し、2008年9月まで初代代表理事を務める。
2008年10月より、長崎大学環境科学部准教授。大阪観光大学観光学研究所客員研究員。鹿児島シティFMで毎週木曜18時過ぎから放送の番組内コーナー「鹿児島時空探訪」レギュラーゲスト。NPO法人かごしまライブカメラネットワーク副理事長。学術博士(観光地理学・地域づくり論)。主著に『観光とまちづくり―地域を活かす新しい視点―』(2010年、古今書院)、『鹿児島の史と景を歩く-街めぐり14コース-』(2004年、南方新社)。
鹿児島の伝統工芸品として知られる薩摩焼。九州には、有田焼や伊万里焼などルーツを同じくする焼き物文化が根づいています。陶工たちの焼き物に対する熱意と技術は、約400年にわたりどのように受け継がれてきたのか、みていくことにしましょう。
▼世界にその名を知られるようになった「Satsuma」こと薩摩焼
▼薩摩焼の草創期に活躍した朴平意の碑
▼檀君を祀る玉山神社
薩摩焼の起源は、豊臣秀吉による明国侵攻を企てた文禄・慶長の役(韓国では壬申倭乱とよぶ)にまでさかのぼります。1598(慶長3)年、秀吉の死により戦が終わると、九州の諸大名は陶磁がさかんな李氏朝鮮国の全羅道・慶尚道から数万人の陶工を帯同し帰国しました。関ヶ原の戦いで西軍に与した島津氏は、1603(慶長5)年に徳川家康により本領安堵がなされ、ようやく陶工たちの保護に乗り出します。美山の旧名・苗代川では、朴平意が彼らのまとめ役となり、のちに黒薩摩と呼ばれる日用的に使う器類や、加世田や天草などから採取した良質の白土をもとに白薩摩の生産もおこなうようになりました。
1605(慶長7)年、美山集落の小高い丘に、朝鮮国の始祖とされる檀君を祭神とする玉山神社が建てられます。後年に築かれた社殿の瓦には島津氏の家紋である丸に十の字が刻まれていて、薩摩藩による保護策がとられていたことがうかがえます。
神社に登る参道の入り口に、調所広郷の招魂墓があります。調所は、平田靭負・小松帯刀と並び、薩摩藩の三大家老の1人に数えられ、天保の改革で藩の借金500万両を整理したことで知られます。彼の財政再建策は、大坂商人への借金の事実上の踏み倒しに目が向けられがちですが、米の品質向上や樟脳の生産といった産業振興で大きな成果を残しています。窯業にも注目し、1846(弘化3)年の南京皿山窯の開設で染付白磁の製造を始め、さらに素焼彩色人形の生産、陶工を対象とした技術研修の充実に努めました。調所は、密貿易の責めを負って自害し、その後は戦後に至る長い間、島津斉彬派に敵対した人物として不名誉な評価が定着します。しかし、美山の人たちは、調所に対する恩義を忘れず招魂墓を建て、代々祀り続けてきました。
▼白薩摩の御庭焼を作った仙巌園
▼仙巌園内にある「近代薩摩焼発祥の地」碑
▼日置市東市来町にある「共同登り窯」
英語やフランス語で「Satsuma」といえば、「薩摩焼」の意味をもつ外国語になっています。Satsumaが世界にその名を知られるようになったのは、1867(慶応3)年のパリ万博。そのきっかけを作ったのは、11代藩主・島津斉彬が興した集成館事業です。集成館に隣接する島津氏別邸・仙巌園内に御庭焼窯を築き、白薩摩(在来技術)に西洋の技法を応用することで、細やかな絵付けができるようになりました。島津氏のもう一つの家紋である牡丹をモチーフにした白薩摩の数々は、幕末から明治初期にかけてヨーロッパで巻き起こったジャポニズム・ブームをリードする存在となります。
現在、海外にある日本製の伝統的な焼き物のうち、薩摩焼がもっとも多く、いまでもSatsumaの名は愛好家を中心に世界に知られているのです。
また、日用雑器の黒薩摩は、茶碗などの小物や焼酎を飲むときに欠かせない黒じょか(茶家)、鹿児島県霧島市福山地区でさかんにつくられる黒酢づくりに欠かせない大壷など鹿児島を代表する「黒の文化」を構成する工芸品として人気を集めています。
1998年10月、薩摩焼400周年を記念して、韓国で採られた火により東市来町共同登り窯が点火され、翌月には小渕恵三内閣総理大臣と韓国の金鍾泌国務総理による植樹をおこないました。2003年には指宿でおこなわれた日韓首脳会談の帰途、盧武鉉大統領が美山の沈寿官窯(鹿児島韓国名誉総領事館)を訪問するなど、民間から国レベルに至るまで両国友好のあかしとして、薩摩焼はいまも美山をはじめ県内各所で作られています。
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