(続きはこちら)
1.福沢諭吉「そんなことはいっていない」
福沢諭吉のこの有名な言葉ほど間違った解釈がなされた言葉もないですよね。この言葉は「世の中は平等にできている」という趣旨で用いられることがありますけど、「福沢諭吉の言葉」として理解するのであればそれは間違っていますね。
まあ、そもそも論ですけど、福沢諭吉「は」、そんなことをいっていませんよね。
どこでどういう風にしてねじ曲げられて伝わったのかよく分かりませんけど、「情けは人のためならず」と同じくらい本来の意味とかけ離れて用いられている典型例といえるのかもしれません。
だいたい、この有名な文章が書かれている本は「学問のすゝめ」ですからね。そもそも、文中に学問が全く出てこない時点でおかしいですよね。
実は、この一文には重要な続きがあって(というか、この一文だけではまだ本文にすら達していない)、そこに本当に福沢諭吉のいいたかったことがあるというわけです。ちょっとそれを見てみたいと思います。
「天は人の上に人を造らず,人の下に人を造らず」
この続きはこうなります。
□学問のすゝめ:gakumon no susume
天は人の上に人を造らず,人の下に人を造らずと云えり。
されば天より人を生ずるには,万人は万人皆同じ位にして,生れながら貴賤上下の差別なく,万物の霊たる身と心との働を以て,天地の間にあるよろずの物を資り,以て衣食住の用を達し,自由自在,互に人の妨をなさずして,各安楽にこの世を渡らしめ給うの趣意なり。
されども今広くこの人間世界を見渡すに,かしこき人あり,おろかなる人あり,貧しきもあり,富めるもあり,貴人もあり,下人もありて,その有様雲と泥との相違あるに似たるは何ぞや。
その次第甚だ明なり。実語教に,人学ばざれば智なし,智なき者は愚人なりとあり。されば賢人と愚人との別は,学ぶと学ばざるとに由て出来るものなり。
これは要するに、(あまり大雑把に書くと怒られそうですが)「世の中は平等というけど、現実には能力の差、貧富の差などが存在する。それは「学問」をすることによって生まれるのだ(だから勉強しよう)」ということですね。
問題の箇所は(私の理解が間違っていなければ)、福沢諭吉が翻訳したアメリカ独立宣言の言葉です。もっと分かりやすくするとこんな感じですね。
※「天は人の上に人を造らず,人の下に人を造らず」と「云えり」
「天は人の上に人を造らず,人の下に人を造らず(アメリカ独立宣言)」と「いわれている」
□Declaration of Independence Adopted July 4, 1776
(The Unanimous Declaration of the thirteen United States of America)
"We hold these truths to be self-evident, that all men are created equal, that they are endowed by their Creator with certain unalienable Rights, that among these are Life, Liberty, and the pursuit of Happiness.… "
-福沢諭吉訳 アメリカ独立宣言
つまり、福沢諭吉がそのように言っているのではなくて、アメリカさんのところではそういっているというわけですね。う~ん、なんというか、全然違いますよね。
※私も初めてこの言葉を聞いたとき、「当時にしては、やけにキリスト教的な考え方だよね。おかしいなあ。」と思ったものです
まあ、この話は割と有名なので知っている方も多いかと思いますが、そういう話の中では決まってこのあと諭吉先生の悪口が続くのですね。ここには書きませんが、要は「列強諸国に反発するのはいいことだけど、そのために列強諸国のような考え方をするのはけしからん」というわけです。
まあ、個人的には、いまだからいえる(結果から物事を見た)、当時の時代背景を無視した批判かなとは思いますけど、それはそれで、それくらいにしておきたいと思います。
2.この言葉から分かること
さて、ここからが本題なのですが、(個人的な意見ですが)私はこの言葉は非常に興味深いと思っています。その点をちょっと述べてみたいと思います。
「天は人の上に人を造らず,人の下に人を造らず」
これから分かることは、天は人に優劣を付けないということですね。
つまり、人間は平等に「無価値(自然界には「価値」などという評価は存在しない)」ということです。
しかしながら、現実には人間界にはいろいろな「価値」が存在しますよね。そうすると(そのことを踏まえると)、その「価値」を決めるのは、人間だということになります。
要するに、「価値」というのは客観的な事実ではなく(価値とは普遍的なものと考えがちですけど)、人間が作りだした相対的な評価だということです。これがまず1点です。
ある人がある人より優れているというのは、人間が勝手に決めたある「価値」に基づいた評価だというわけですね。標語風にすればこうなるでしょうか。
「天は人の上に人を作らず、人は人の上と下に人を作りけり」
次に、その価値評価においては、「価値」が高いと認められれているものは重んじられ、「価値」が低いと考えられることは軽視されるというルールが存在します。価値など人間が勝手に決めた指標ですから、そんなものにより、人間の優劣は決せられないのですけど(自然界にとっては、ある意味、どうでもいいことなのですけど)、人間界ではそれが一番重要だったりします。
そうすると、私たちは、人間が集まって「社会」を形成していますから、そういうルールがあるのであれば、そのルールに則り、なるべく自らの「価値」を高めることが賢明な方法だということになります。
そこで、福沢諭吉先生の言葉が重要となってくるわけですね。
世の中には、いろいろな「価値」があり、その「価値」の高め方は様々ですが、その中で最も簡単に、最も強力に、効率的に価値を高める方法が存在します。それが「学問(学ぶこと)」だというわけですね。
こう考えると、福沢諭吉先生の言葉がすっきり頭の中に入りますよね。
このように、(ありきたりですが)自分のために(自らいい思いをするために)、学ぶことは重要だといえるのかもしれませんね。 Tweet
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