そう、もう一度言おう。当時の問題は、海外の政府やメディアがこの事故に対して、自国民の安全の為にどういう施策を採用したかということに尽きる。
どうしても引用の問題を炎上させたいのならば、そもそもこの海外避難情報のソースはすべて各国大使館のHPであることをもうひとつだけ付け加えておこう。
過渡期の現状は日本の言論空間が
成長するために不可欠のプロセス
さて、本題に戻ろう。いまの日本の最大の問題は、排他的な言動によって日本社会を分断させているこうした人々が再び増殖していることだ。
残念ではあるが、尊敬するジャーナリストである江川紹子氏までが、そうした幼稚な人々の仲間に入ってしまった。これも3.11によって、私が知ってしまった哀しい現実のひとつだろうか。
だが、これは過渡期なのだ。哀しいが、日本の言論空間が成長するための不可欠のプロセスなのだ。
確かに、彼ら、彼女らは世界の言論レベルからすれば幼稚ではあり、そうした人々に健全な言論社会とは何かを気付かせることは無理かもしれない。
変わって、そうした無知ゆえに可哀想な扇動者たちを、優しく舞台から退場させることも、成熟した多様な言論空間への第一歩なのかしれない。
いま、私はそう思っている。
3.11以降、大手メディアやそこに追従する者たちは、恐怖に慄いてきた。自らの間違いが白日の下に知らされ、罵倒を受けることを――。