まず、本質を見失ってほしくないために言うが、当時、そうした人々は、海外政府やメディアの発表を、「そんな事実はない」「デマだ」と言っていたのだ。そうした自分たちの間違いはこのように消えてしまっている。
そして指摘の部分だが、江川氏はじめツイッターなどでいつも個人攻撃をする稚拙な人々は、この新聞の2011年3月19日付の記事を私が盗用したと決めつけている。
だが、わたしがこの情報を最初に話したのは3月16日の文化放送「吉田照美のソコダイジナトコ」、東京FM「タイムライン」であり、その情報とさらに、オバマ米大統領のホワイトハウス演説をもとに枝野幸男官房長官に質問をぶつけたのは3月18日の午後のことだ。
あの震災直後の多忙と絶望の一週間の最中に、どうやって私が3月19日の読売新聞の記事を知ったのか不思議だ。
もう、これだけ説明すれば、十分だろう。あとは、江川氏ら扇動する者たちが読売新聞に取材すれば済むだけだ。
少しだけヒントを出せば、当時、私は自らの情報に関しては著作権などの権利を解除していた。たとえばメルマガなどに載った情報も、問い合わせがあれば、「緊急事態です。人道的見地からも、どうぞ自由に転載してください」と言っていた。
だが、私はそれによって他者に権利侵害を訴えることなど考えもしなかった。なぜなら、そうした情報は被曝の危険性のあるすべての住民のものだったし、なにより日本人全体が共有すべき多様な情報のひとつだと信じていたからだ。
冒頭示したように、元ジャーナリストの私は、もはや幼稚な日本現代の言論空間で、自らの正しさを証明しようとは思わない。だからこうしたことがずっと続いたこの一年半、扇動者たちのを発言を放置し、とくに江川氏については、同じ自由報道協会にいた元同志として外野の煽りによる「分断」の象徴となることを避けるために、ただの一度もメンションを返さなかったのだ。