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中央日報の若松孝二インタビュー - 「教育が間違った」
自分はどこに住んでいるのだろう、自分の居場所はどこなのだろうと、最近、強くそう思う。地図帳の東アジアの頁を開いて眺め、どうやら済州島の南あたりの東シナ海の海の上が自分の立っている位置ではないかと、そんな見当をつける気分でいる。日本と韓国と中国の真ん中で、どうやら沖縄には近く、日中韓3か国との距離感では、どう考えても日本より韓国に近い。沖縄のマジョリティの人々は、おそらく私と同じで、日本のマスコミよりもネット上の韓国の新聞記事(日本語版)の方が、よっぽど健全で正常な政治報道をしていると感じているのではないか。日本のマスコミの偏向は異常で、国内世論の右翼化も深刻だと憂鬱に思っているはずだ。このところ、中央日報のサイトを頻繁にアクセスする。見ていたら、映画監督の若松孝二のインタビューが載っていて、我が意を得たりと膝を打たされた。見出しは「侵略の歴史を教えない日本、極右の扇動をそのまま信じる」。こう言っている。「侵略の歴史をしっかり教えないため、人々は彼ら(右翼政治家)の主張を信じてしまう。韓国と中国がなぜ反発するのか理解できない。政治も、教育も間違った」。「反原発デモも全部老人ばかりだ。若者たちはゲームだけして、スマートフォンばかりみている。若者たちは世の中の矛盾に抵抗して変えようと努力しなければならない」。直截で痛快だ。


若松孝二は、連合赤軍を描いた作品で2008年にベルリン映画祭最優秀アジア映画賞を取っていて、今年の釜山映画祭でもアジア映画人賞を受賞している。つまり、世界の映画ファンの中では著名な人物で、アジアの映画界では巨匠的な存在だ。ところが、そうした情報は国内のマスコミから流れることはなく、名士の文化人としての発言が注目されることはない。日本人一般は、日本映画が海外の映画祭で賞を取るときは、ビートたけしか宮崎駿のことだと思い込んでいる。マスコミの関心がそうだからだ。本来、若松孝二のこの発言は、朝日が紙面に載せなくてはならないもので、NHKがインタビューしなくてはいけないものである。釜山映画祭の受賞を機に、クローズアップ現代で特集して、国谷裕子がスタジオで対面すべき絶好の素材ではないか。被災地である宮城県涌谷町の出身であり、取材して番組の中に盛り込む中身は無限にあった。若松孝二に関するプロフィール情報を掘り出せば掘り出すほど、今まさに、この人物がマスコミに登壇して時代批評の言論を発しなくてはいけないことが分かる。リアルな肉声を聞きたいし、それは現在の情報市場でバリューを持つものだ。需要にミートする大型の論者であることは確実だ。だからこそと言うべきか、マスコミは若松孝二に機会を与えないのである。正論を排除しているのだ。

若松孝二の「教育も間違った」の指摘が気になる。当を得ていると思う。大雑把に言って、80年代の初めくらいから日本は正しい教育をしなくなった。教師がサラリーマンになり、教育者でなくなり、文部省に全面服従して業務する従業員になり、教室に正義がなくなり、生徒の人格を育成することができなくなった。教育も脱構築が基調となり、何が正しいことか、何が善なのか、社会はどうあるべきか、人はどう生きるべきかを教えなくなり、ただ無機質的な知識だけをドサッと提供し、後は自分の頭で考えなさいという「教育」になった。脱構築とは脱規範であり、脱理念のイデオロギーである。教育の目標と関心は受験だけになった。90年代はさらにその傾向が甚だしくなり、それらを教師が生徒に教え、人格的なコミットをしていた戦後教育が根本から否定される環境と制度になった。私は、前から言っていることだけれど、90年代にマンガ右翼がブームになり、「つくる会」の右翼運動が燎原の炎のように広がったのは、左派が脱構築化の中で棄ててしまった教育の契機を、右翼がしっかり拾ったからだと確信している。右翼への共感を隠さない反原連の若い者たちが漏らしているのは、90年代にマンガ右翼に影響されて精神形成をしたという正直な一言だ。脱構築化は東大・岩波が主導した思想のムーブメントだが、その本質は紛れもなく転向そのものだ。

国民否定、近代否定、戦後思想否定、高度成長否定、そして個性重視、競争否定、日本版ビルゲイツ、それを言いつつ、巧妙に変節と逃避をしていたのである。その思想的傾向は現在も続いていて、例えば、私が橋下徹に対して「ノンポリではなく右翼だ」と指弾すると、「そういう批判では多数が肯かないからメタのレベルでやらないといけない」などと浮薄で屈折した反論が返ってくる。石原慎太郎を批判するのに「右翼」の語を使用することは、古臭いから有効ではないなどと腐った反論が返ってくる。これらはすべて、「右も左もない」の脱構築イデオロギーに大脳皮質を漬け込んだ結果だ。要するに、反左翼の信仰が為せる業であり、意識するしないにかかわらず、転向して川を渡った先で達観した境地から言葉が発せられている。改宗して掴んだ左翼否定(=脱構築の新宗教)の信念が、戦後民主主義や理念や基準や法体系を十把一絡げに否定してよいとする判断に繋がっている。「メタのレベルでやる」くだらない言葉遊びが説得力になるということは、まさに脱構築的な、真善美の哲学を欠いた、記号情報の詰め込みだけの知識教育の賜物だ。脱構築教育で大量生産されたロボット人格が前提されている。そのような「教育」よりも、マンガ右翼の「教育」の方がパワーがあって分かりやすく、青少年の人格形成に影響を及ぼすのは当然ではないか。今、日本の教育は、脱規範から規範へと戻りつつある。平成版教育勅語の起草は、石原慎太郎や安倍晋三の政策として定置されている。

その方向に進むだろう。


by thessalonike5 | 2012-10-12 23:30 | Trackback(1) | Comments(0)
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Tracked from NY多層金魚 = Sec.. at 2012-10-12 13:52
タイトル : この巨大なアメリカという鏡
                            タウトの桂離宮・関連エッセイ               世界中が声高に「反米」を叫びながら 牙を剥いて この大きな鏡 いたるところぼろぼろになったこの巨大なアメリカという鏡に向って 吠えている そこにはむろん 吠えている自分たちの姿が映し出されているはずなのだが その怪物鏡の壊れた部分には大量のスコッチテープが張りめぐらされ 被写体は ぼけかすみゆがみ 醜悪に染まり とうてい自分が吠えている姿とは思えない なんだか......more
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