東日本大震災:「パパに会いたい」 福島へ帰る母子避難者、家族離れストレス限界 二重生活負担重く /秋田
毎日新聞 2012年10月12日 地方版
◇放射能不安あるが…
東日本大震災から11日で1年7カ月。この日を前に、幼い娘と2人で秋田市に避難していた母親が、夫の暮らす福島県へ戻った。福島第1原発事故による放射能汚染への不安は依然強いが、家族が離れて暮らすストレスが母子共にピークに達したためだ。県内では今月1日現在、推定137組の福島からの母子避難者が暮らしているが、不安定な生活に悩みはつきない。【小林洋子】
「子どものためにと思ってやってきたんだけれど」。吉田真美子さん(30)は深いため息をついた。昨年7月、原発から約60キロ離れた福島県郡山市から秋田市のアパートへ、長女の杏ちゃん(4)と2人で自主避難した。郡山のアパート近くは、今も空間放射線量が年間3・7ミリシーベルト近くに上る。
秋田では国の緊急雇用対策事業などを利用して働き、生活費や杏ちゃんの幼稚園の費用を稼いだ。夫は避難に積極的に賛成はしなかったが、過去には単身赴任のため仙台と福島で別居生活したこともある。月1回程度は週末に車で様子を見に来てくれた。
しかし、今夏ごろから杏ちゃんの様子がおかしくなった。「パパに会いたくなった」「パパに電話する」。我慢強い方だったのに、1日10回以上訴えるようになった。父親に電話した後は、アパートの片隅でポロポロと涙を流した。わがままとは思えなかった。
吉田さん自身も体調を崩すことがあった。「福島にいても秋田にいても苦しい」。補償も期限もない生活で、単身赴任で別居していた頃とはまるで気分が違った。「これ以上このままの生活が続くと子どものためにもよくない」。放射能への恐怖感は消えないが、夫婦で支え合って福島で暮らしていこうと決めた。
9月末で仕事を辞め、今月6日に秋田市を離れた。郡山市より放射線量の低い須賀川市に移り、家族3人で暮らす。吉田さんは「放射能はなくせと言ってなくなるものでもない。水や食べ物に気をつけながら、休みの日には家族で一緒に出かけるとか、普通の生活を送りたい」と話す。
県被災者受入支援室によると、福島からの母子避難世帯は4月は155世帯(推定)だったが、徐々に減少している。ほとんどが福島県の避難指定地域以外からの自主避難で、30〜40代の母親が多いという。