セールスマン出身から成功した尹錫金氏は、2世、3世がほとんどになった財閥オーナーの中で数少ない「たたき上げ創業オーナー」として経済界でも経営手腕を高く評価されていた。
ところが、30位程度の財閥になっても満足できないのが韓国の財閥オーナーの宿命だ。「もっと大きくなる」ために、2007年に大型M&Aに踏み切った。6600億ウォンで極東建設という中堅建設会社を買収したのだ。
大型M&Aで負債が急増
韓国ではつい数年前まで「不動産神話」が健在だった。オフィスでもアパートでも、造れば売れたことも確かだ。建設会社は、カネを生む有力事業だったのだ。
ところが、直後のリーマン・ショックを機に、韓国でも不動産市場が冷え込んだ。一時は持ち直したが、最近になってアパートやオフィスビルの価格が低迷し、物件によっては新規分譲しても売れ残りが続出している。これまでは考えられなかったことだ。
結局、買収後に経営正常化のために4000億ウォン以上のグループ資金を投入したが、それでも資金繰りは好転せず、極東建設は大きなお荷物になっていた。
それだけではない。将来の有望分野として太陽光発電事業にも進出し、巨額の資金を投じた。さらに2010年にはソウル貯蓄銀行を買収したが、経営支援のために3000億ウォン以上をつぎ込んだと見られている。
建設、太陽光発電、貯蓄銀行というここ数年間で買収したり新規進出したりした事業はすべてうまくいかず、負債額が急速に膨らんでいた。
財閥ドット・コムによると、熊津グループの借入金総額は2009年末時点で1兆5000億ウォンだったが、2年後の2011年末にはこれが4兆3000億ウォンと3倍近くに急増していたという。
寝耳に水の再生手続き申請に金融機関が激怒
尹錫金会長は、グループの経営難を、優良企業である熊津コーウェイの売却で乗り切ろうと考えた。投資ファンドに1兆2000億ウォンという巨額で売却することで基本合意し、熊津グループの取引先金融機関もこの売却を前提に経営支援に前向きだった。
ところが、売却直前になって尹錫金会長は「企業再生手続き」の申請に踏み切った。熊津グループは、極東建設の手形を決済できなかったことと、取引先の被害やグループ企業の経営の混乱を最小限に抑えるためのやむを得ない措置だったと説明するが、金融機関にとってはまったくの寝耳に水だった。
- 
		プノンペンで人気のネイルサロンは東京育ち (2012.10.10) 
- 
		アラカン山脈の向こうにあった親日の国 (2012.10.09) 
- 
		海外投資の大衆化と個人投資家の国際化 (2012.10.01) 
- 
		韓国大統領選まで3カ月、飛び交う「有望株」情報 (2012.09.27) 
- 
		韓国の格付け、「日本抜いた」と言うものの・・・ (2012.09.20) 
- 
		日本の起業家が集結し始めたカンボジア (2012.09.19) 
- 
		世界に挑む燕三条の中小企業 (2012.09.18) 
- 
		ベルリンで消えたサムスンの有機ELテレビ (2012.09.14) 
- 
		韓国電力が天文学的赤字、政府機関を提訴へ (2012.09.06)