「……テトラちゃん」
ううう、と震える声帯は、弱り果てたと言わんばかりの弱弱しい声を出す。
眉根は無意識の内に寄っていて、ため息が唇をつつくのも時間の問題のような気がした。
「んー?」
背後から響いてきた気の無い返事は涼やかで軽やかなアルトで、私の耳朶をさわりと撫でていく。
それがくすぐったくて、少しだけ気恥ずかしかった。
微かに身を捩ると、今度はくすくすとささめくような笑い声が来る。
真面目に受け答えする気はなさそうだと悟った瞬間だった。
「癖なの?」
……だからといって、こちらから吹っ掛けた話題を
すごすご仕舞い込むのも格好がつかない。私はままよとばかりに言う。
「でんぐり返しのこと?」
「癖なの!? ……いや、だから、体くっつけるの」
「ああ、スキンシップね」
白々しくそう言って、彼女は腕の力を殊更強めた。
は、と押し出された肺の空気が、脳髄に「後ろから抱きしめられている」という事実を叩き込む。
もはや身じろぎすら許されないような様相を呈してきた。
ことの始まりは――……ああ、二人して柄にもなく(他方に怒られてしまうが事実だ。)真面目に落語の話をしていたんだった。
『鰍沢』。
――あれはある旅人が道に迷ってしまった冬の雪山が舞台で――
そこからもし雪山で遭難したら、と話が脱線し、寝たら死ぬとか私がわめいている隙に、
テトラちゃんが「そういう時は体で暖めあうんだよ」と言い出したのだった。
……この場にガンちゃんが居れば、『室内でやるとロシアの刑務所だろ!』なんて
またどこかへ喧嘩を売って、妙な方向に再び話が脱線してくれそうなものだけれど、いまはそれを望むべくも無い。
「……テトラちゃん、それ和製英語。
本場じゃ伝わらないから、フィジカルコミュニケーションっていった方がいいよ」
妙に具体性を伴った想像を振り切るように伝えると、
「苦来ちゃんは賢いねぇ」
のんびりとした口調で返された。
そうしてテトラちゃんは、一端腕の拘束を解いて私の頭を撫で始める。
それはそれは、優しい手つきだった。
「……話、そらさないで」
その手つきがあんまりにも優しかったから――というのは言い訳だろうが――
先に逸らした責を棚にあげて、拗ねたような物言いをしてしまった。
「キグちゃんとか適任がいるじゃない。どうして私なの?」
取り繕うように出した言葉もまた同上だ。ここまでくるともう気分は泥沼だった。
んー、と、背後のテトラちゃんはうねる。
――振り返らずとも解る。
次の言葉がなんであれ、彼女はしれっとした顔で言いのけるだろう。
「みんな平等に触れてるつもりだけどなぁ」
「あ、意識はしてたんだ」
「まあね」
「でも私の頻度が高い気がするんだけど」
「…………」
返答は二秒の沈黙。これまでのレスポンスの軽さと比べると、それは対照的にずいぶん重く見える。
私の頭を撫でていた彼女の手は止まっていた。
「……思い上がりですよねすみませんすみません私なんかが」
すみません、と続くはずだった私のネガティブは
「いや、そうでもないかな」
と救い上げるような彼女の声で止められた。
「だって」
テトラちゃんはそういって、私の頭の上に置いていた手を耳元まで下ろして来た。
手のひらの熱っぽさが耳へ伝わってきて、じんじんする。
――低温火傷してしまいそうだと思った。くらくらと体のどこかの芯が揺れる。
白魚のような指先が頬へ触れる前の刹那、
「……っ」
小さく小さく息を呑んだ私の背後で、ふふ、と、楽しげな忍び笑いが聞こえた。
「苦来ちゃんのこういう反応、大好きなんだもん」
……このドS、と思ったものの、引きつった喉は一向に言葉を吐き出さない。
――――全てのキッカケになった鰍沢のことをふと思う。
『道に迷ってしまった旅人』と『その旅人が迷い込んだ民家に住む妙齢の女性』からなるあの演目は、
イメージとしては『三枚のお札』が近いか。
今だ腕の中で私を抱きしめる彼女が後者を担うならば――さしずめ私は、
「……はぁ」
そこまで考えて、私の口からやっとこ出たのは
お札代わりの『離れて』ではなく、重役出勤のため息だった。
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