アイドル雑誌『女学生の友』は小学館から発行。別冊の『プチプチ』はファッションが中心の誌面作り。1974年3月号はアグネス・チャンが表紙を飾ってくれた。
カメラマンは川島和弘。僕のクレジットはスタイリストだが、アグネスが所属する渡辺プロダクションへの取材交渉も兼ねている。
当時のアグネスは人気絶頂。だけど、僕にとっては興味が全くない。
表紙を誰にしようかと思案していたところ、デスクから「アグネスは?」と押し勧められた。
一度くらいはよいかと決断。渡辺プロの宣伝担当者はスケジュール調整してくれた。
アグネスはスタッフ、お姉さまと共に小学館のスタジオへ。メイクルームの雰囲気は決して和気あいあいではない。それでも機嫌をとりながら服に着替えてもらう。
カメラの前へ。さすがはアイドルである。歯を見せてニッコリというか、作り笑いをしてくれた。しかしだ。帽子を深くかぶってくれない。僕が撮影途中に直しても、すぐに後へずらす。それも白いチュールも。おしゃれがイマサンである。同号を店頭で見たとき、僕は早急にスタイリストを卒業したいと考えた。
そして、音楽雑誌を中心に仕事していた頃、渡辺音楽出版で沢田研二も担当の敏腕ディレクターから「新曲が出るから取材してよ?」と直接依頼されたけれど、僕は「アグネスの性格が好きになれないから遠慮するね」と断りました。
当時のアグネスは人気絶頂。だけど、僕にとっては興味が全くない。
表紙を誰にしようかと思案していたところ、デスクから「アグネスは?」と押し勧められた。
一度くらいはよいかと決断。渡辺プロの宣伝担当者はスケジュール調整してくれた。
アグネスはスタッフ、お姉さまと共に小学館のスタジオへ。メイクルームの雰囲気は決して和気あいあいではない。それでも機嫌をとりながら服に着替えてもらう。
カメラの前へ。さすがはアイドルである。歯を見せてニッコリというか、作り笑いをしてくれた。しかしだ。帽子を深くかぶってくれない。僕が撮影途中に直しても、すぐに後へずらす。それも白いチュールも。おしゃれがイマサンである。同号を店頭で見たとき、僕は早急にスタイリストを卒業したいと考えた。
そして、音楽雑誌を中心に仕事していた頃、渡辺音楽出版で沢田研二も担当の敏腕ディレクターから「新曲が出るから取材してよ?」と直接依頼されたけれど、僕は「アグネスの性格が好きになれないから遠慮するね」と断りました。